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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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「世界」という可能性の混沌。
 さて、その若いバンドを見て、音楽的な傾向として、昔の(60~70年代)の日本のロックの影響を感じる。実際に挫・人間のメンバーに今何を聴いているのかと尋ねると、「外道です」という答えが返ってきた。フム。おそらく、今迄の洋楽フレイヴァーの根本J-POPという碌でもない「J-ROCK」というメインストリームへのアンチテーゼとして、古き良き日本のロックが「自分、若しくは分かる仲間だけ」の音楽として浮上してきたのも不思議ではない。クラスの人間がみんな聴いているJ-ROCKを、「あんな下らないもの」として自分の道を見つける、まさしく正しいロックへ向かう道である。また、メインストリームに対して、バンドがよりレアでガレージなものに向かっているのは世界的な傾向である。未だに巨大なフェスやアリーナ/スタジアムクラスのショウに足を運ぶ人は少なくはないけれど、若い世代はもっと親密でギューギューした空間でのライブ体験へと要求が移行していると感じる。

 しかし、前回も書いたように、日本の若き世代に関してボクが懸念しているのは、それが只のリバイバルになってしまっているところである。つまり、音楽としては残念ながら「若いというエネルギー」以上の新しさを感じることは出来ない。外という巨大に向かって「どうだオレを見ろ」とガムシャラにエネルギーを放出しているというよりは、mixi的な内輪の世界(とは言えそれは決して小さい訳ではないのだけれど)にだけ「どう、オレかっこいいでしょう」と小ぢんまりとまとまってしまっていると感じる。そこは「世界」という客観性の欠けたフィールドである。なので結局前の世代が洋楽的真似事しかできなかったのと同じように、古い日本ロックの復権にしかならない可能性もある。それは日本のロック史から見て、何の進歩もない。むしろ、彼等が手本にしてきたミュージシャン達は、どうにかしてロックを自分のものにしようとガムシャラに努力してきたのではないか。ボクとしては、音楽そのもの以上にその姿勢から学ぶべきだと思う。「今」という世界の中で自分だけが出来る唯一の音楽を見つけていって欲しいと思うのである。日本というガラパゴスの中に安住の場所を見つけてしまっては、世界の中からどんどん取り残されてしまっていく。

 とは言え、以下のニュース(「新入社員の内向き傾向」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100728-00000108-jij-bus_all)に垣間見れるように、若者の意識が世界へ向いていないというのも事実なのだろう。どうしても今迄と同じようにお上やマスコミのお墨付きでなければ世界の情報を受け入れないという体質を変えるのは難しいのか。現在、インターネットが世界同時進行で情報を流している。それも各国マスコミだけでなく、ローカルな一人の個人的感想ですら同等にニュースだと言える世の中なのである。つまり、受け手も、関係者であれ、個人であれ、手に入れられる情報は100%同じもので、時間差もない。もし自分の感覚を頼りに出来るのであれば、マスコミから流れる情報も(例えば)オハイオ州の田舎に住む少年の感想も、結局は自分の判断の一参考材料に過ぎない訳である。

 今迄は違っていた。インターネット以前では個人の情報収集ではとてもマスに対抗出来なかったので、マスコミから流れてくる「これが世界の今の流行ですよ」という情報に自分を合わせるしかなかった。このシステムを多くの人が信頼してきたし、そこから離れられない人も多い事だと思う。しかし世界全体でこのシステムは崩壊してしまっている。もはやマスコミの情報にコントロールされる必要はないのである。そして、自分の好みを徹底的に追求しつつも、世界とのコネクションも無くさずにいられるようになるのではないか。後は、自分で物を考えることが出来るかどうかである。

 世界の中に飛び込むには、冷静な客観性を自分がしっかりと持っていなければならない。音楽に関しては、「これが本当に自分自身のものと言えるのか」「誰の前であれ、これをどうだと自信を持って演奏できるのか」、このように常に自問自答する姿勢を持ち続けなければ。スタートは今のままで結構である。すべては前人の模倣から始まる。その先に新しい自分を開拓していけば良い。大きく客観的な目を持ち、巨大な可能性の混沌へ飛び込もう。

 じゃあ、ボクはお先に!
 
by dn_nd | 2010-07-29 11:40
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