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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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湯冷めする前に。
 どうも日本のロックを聴いていると、どこか自己憐憫して、そのぬるい湯に浸りながら「ねぇ、そうでしょう。分かるでしょう。」と自分は駄目人間を装いながらも、自己肯定しているように感じるのだ。曖昧だが深い悲しさ、はかなさ、やるせなさを好むのは分かるが、もうそのお風呂から抜け出して現実世界に戻って戦わないといけない。

 なんと言っても、これだけグローバル世界やら国際競争やら叫ばれていて、その中での日本の行動の拙さが国の地位を落としている時代である。色々な分野から日本改造の気炎を吐く人々が現れ始めていて、それをフォローする人々も増えているように見える。しかし、音楽に限っては国際競争のスタートラインにすら立っていないというのが現状である。ワールドカップの予選落ちみたいなものである。「音楽は国の文化だから日本人の微細な感情など外国人には分からないのだ。」と言う人もいるかもしれないが、ロックは日本の文化ではない。ロックはただの音楽ではないのである。世界の壁をブレークスルーする最高にクールなツールなのである。それを日本人はうまく使えていないだけなのだ。

 アメリカの最近のインディロックを聴く。日本と同様、若しくはそれ以上の崩壊を経ている(今もか)国であるが、その音楽に自己憐憫は感じられない。「シカタガナイサ」という諦めはない。そこから感じるのは「確かに駄目だ。しかしこれから"自分達"が新しい世界を作っていくのだ。今ここからスタートを切ってガンガン良くしていけばいいのだ。」という現状認識を踏まえた上での結論と、そこへ向かっていく為の高くピュアなエネルギーである。「もっと良い世界」というのが彼らのゴールである。バカみたいにシンプルだが、それ以上ボクらが望む事があるだろうか。それをアメリカ人の考える自分勝手な世界だと揶揄する人もいるかもしれないが、それぞれが「もっと良い世界」のイメージを持ち、そこに向かって行けば良いのである。誰も「オレの良い世界にみんな来い。」と言っている訳ではない。

 自らの「もっと良い世界」のゴールを持つことが出来ない人間は、風の吹くままただ漂ってしまう。映画「ペルシャ猫を誰も知らない」のイランの若きミュージシャン達のように、家族や国を捨ててまでも理想に向かって突き進もうとする人間もいる。日本人にはそのようなエネルギーは持ち得ないのであろうか。ボクはそうは思わない。しかしそれは覚悟を決めた戦いだと自覚しなければならない。心地よい湯から出てしまわなければならない。いずれにしてもその湯の源泉は枯れつつあるし、湯の温度だって冷め始めているのではないか。湯を出るとき、一緒に浸かっている人々は「馬鹿なことして」と見るかもしれない。しかし世界はそこだけに存在している訳ではないのだ。
by dn_nd | 2010-09-13 06:30
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