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今日も自由を持って。
 ここのところの中国でのノーベル賞に関する報道規制のニュースを聞くにつれ、あのように国民の意識をあからさまに国が(というか、一部の人間が)コントロールしている国がすぐ隣にあることに驚き、あきれてしまう。「国によって色々な価値観が・・」などと言う人もいるが、国家が国民の思想を統一・コントロールするということが、正しい価値観だとは到底思えない。人間という超巨大な可能性を持つ生物の能力を生かすには、健康と自由が不可欠なのだと信じる。

 それでも、自由をすでに持っているからと言って、人間の思想や可能性を大きく飛躍出来るかというと、そうでもないと思うのは、自分の怠惰を知っているからである。自由を求めてロックンロールしている訳ではない。その「自由」はすでに持っている。にもかかわらず、何故にボクらはロックンロールしなければならないのか、それこそ考え抜く必要のある命題であろう。楽しいから、というのも一つであろう。しかし「楽しい」ことは他にも沢山ある中で選んだことである。何故にロックンロールか。

 50年代に最初のロックンロールが誕生して、50年以上たつ。未だに人々は60年代のロックンロール・ルネッサンス期への憧れを持っているが、すでに時代は大きく異なっている。すでにロックは「若者の反抗」的な音楽ではないし、新しいものですらない。ロックスターは誕生しないし、ロックで大儲け出来る時代はとうに去ったと言っていいだろう。それなのに、何故ロックか。

 そこに魂にかかわる問題を見る。人間の心の闇は深く、こころの「病み」もまた深い。文学、絵画、優れたアートは人間のこころにタッチし、その闇にひそむものを直視させ、昇華させる作用がある。ロックンロールも同じような存在になっているのだと考える。音楽を聴き、パフォーマンスを体験することで、人のこころの深い部分が動いている筈である。それは「楽しい」とか「癒される」とかいう簡単な言葉では言い表せない、または、自分でも掴みきれていないこころの動きがある。

 自由であるボクらは、それについてもっと突っ込んでいくべきであろう。生まれたシチュエーションが違ったばかりに、能力にかかわらずそのような自由を持てない人がいるという世界にいて、自由をひたすら甘受するばかりでどうするのか。自由になって退屈になり、ぼんやりと目の前の事だけにあくせく働き、死ぬまで自分を獲得できないという人生を送ってしまうのは、実に勿体ない話ではないか。ボクらの国もほんのちょっとした歴史の作用で中国のような国になってしまったかもしれない。その有り難みを考えてみなければ。
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by dn_nd | 2010-10-14 06:46
<< 右でも左でも。 病院の待合室にて。 >>
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