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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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師と弟子と。
 Keith Richardsの自伝を読んでいる。すでに知っているエピソードであっても、本人の口から語られると(なんせ自伝だから)、その一つ一つが生命と質量を持つように感じる。明らかにこれは第1級の資料として後世に残さなければならないものだから、日本語への翻訳は慎重にやってもらいたいと思う。Keithに主観的かつ客観的愛情を持ち、音楽それ自体と歴史に関する広い知識を持ち、「あのような」喋り方をするイングリッシュ・スピーカーのニュアンスを上手く日本語化できる人間でなければならない。間違いなく今までのRolling Stones関連の翻訳者では太刀打ちできないだろう。なにしろこれは(一部だとは言え)「あの」Keithの頭の中そのものである。生半可な音楽知識で伝えれる訳がない(一体どんなストーンズ・ファンがブルースやレゲエとモーツァルトを同時に語ることができるのか。)Keith Richardsは偉人である。それも、ライト兄弟やアインシュタインと並ぶレベルの偉人である。それを、おそらく世界は(ストーンズ・ファンですら)理解していないに違いない。

 数々の面白いエピソードや、思い込みでKeith像はどうしてもドラッグ絡みの「ロックンロールおやじ」的なものになってしまっているが(これまでの翻訳のひどさもある)、自伝を読んで伝わってくるのは、如何にKeithという人間がエネルギーとパッションに満ちた存在であるかだ。Keithは基本的に元気でやんちゃな人間で、多くのKeithフォロワーのようなダルいところやだらしないところはほとんど感じられないのである。だからこそ彼はここまで長生きもできたし、これだけ沢山の音楽影響を世界に与えることが出来たのだ。考えてみれば不思議なところは何もない。

 その表面的なイメージの奥にあるエネルギーに人々は動かされてきたに違いない。ロックンローラーは退廃的でだらしなくて良い、という一般的な考え方は間違いで、そういう人間は「正しく良いもの」を創り出すことは出来るはずがない。表面に現れるイメージはどうあれ、人間の強いエネルギーや情熱だけが心を動かすものを作る。それを忘れてはいけない。それに欠けるものを「売れてる」とか「みんな好きだから」とか表面的に受け取って、表面的に感動していては、自分が表面的な存在になってしまう。

 そんなKeithの人生は、自らが語ることによって文学作品といっても良いようなものになっている。一方で、有名でなくとも一つのことに長年打ち込んできた誇り高い市井の人間の一生も同様に文学であろう。どちらも同じように価値と輝きを持ち、真剣に耳を傾ければ学ぶ部分が沢山あるに違いない。結局のところ問題は「我々」がそこから何を聞き出すことができるか、学び取ることができるかである。発信する人間ではなく、それをフォローする人間が世界を作っていく。ボクらには、思っているよりも大きな役割が与えられているのだと認識しなければ。

 今日は師匠の誕生日。出来ればいつまでも長生きして欲しいです。



by dn_nd | 2010-12-18 09:07
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