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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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変化が常態。
 ボクは基本的にアンプは現場にあるものを使うことにしている。また、場合によってはエフェクターやギターですら、そこにあるのを使って演奏することもある。それは実際不都合なことだし、そんなことをしているミュージシャンには(どんなアマチュアであっても)会ったこともないのだけれど、ボク自身はそうであることを前提として受け入れているのである。勿論、ボク自身は自分の出す音に大きなこだわりを持っている。しかしそれと「いつも同じ機材を用意していなければ自分の音が出せない」という考えとは違うものだと思っているのである

 むしろ「同じ機材を用意しているのにいつもの自分の音が出ない場合がある」ように考えている。というよりも、自分が「その場その時」に出したい音というのは、すごく微細なものであっても、常に一定ではない。極端な話、サウンドチェックで決めたアンプのヴォリュームや場所ですら、本番に取り掛かるときには「どこかシックリこない」ものになってしまっていることもある。ボクは「ははぁ、会場の響き方とか、お客が入ると変わるもんね」というような話をしているのではない。そのような外部的な原因で起こる変化ではなく、自分の内部的な変化によって「今出したい音」が微妙に変わってしまうということなのである。

 この問題に関しては、随分長いこと悩まされてきた。そのせいで結構人にも迷惑をかけてきたようにも思う。なにしろ、リハーサルで決定したものなのに、本番では「これじゃない」と言われてしまうと、ステージを手伝ってセッティングしてくれたりする方々には何のことか訳が判らないであろう。しかも自分の内的変化だと自覚出来てなかった頃はそれを外部の不備として八つ当たりしたりするので、実際質が悪い。

 すべては、過去のルールが現在の自分にも適用出来ると信じているから起こるのである。もっと言うと、自分という人間が一瞬一瞬の間に変化し続けているのを無視しているから、リハーサルでやったことを担保しておこうとするのである。変化そのものが常態であるのを理解していれば、どうあっても「まぁそんなものかな」と思うほかない。そのような行動は「気まぐれ」と写るのは良く分かっている。しかし、どう考えても人間は「気まぐれ」なものだし(ボクだけが特にそうなのだろうか?)、要は「気まぐれ」であっても最終的には仕事を万全にやり遂げることで義務を果たせるかどうかである。自分に「気まぐれ」を許す為に周囲に周到な配慮が必要だ。「気まぐれ」と「我儘」はまったく違うのだと自覚していなければならない。(しよう。)

 その為にボクが担保するのは自分の感覚だけであって、不都合な音響や機材や人のせいにしないように鍛えているだけの話なのである。(あくまで鍛えている最中なのですが。)考えが「居着く」ことのないように、優秀なボクシングの選手のように常にフットワークを軽く保たなければならない。決してギターやアンプ運んだりするのが面倒だ、という訳ではないですよ。
by dn_nd | 2011-01-23 09:18
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