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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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"Mo' FUNKY"の記憶。
 "Mo' FUNKY"と云う曲を録音した時のことを思い出す。この曲は、始まりにちょっとしたコンセプトがあった。ひとつ「ただ二つのコードを表情を変えながらミニマムに繰り返し、今やっている演奏はその前の状態よりも熱を孕んだものになっていなければならない。」、ひとつ「ギターのリフでグイグイ持って行くのではなく、できるだけその登場を遅く・少なくする。」である。そうして、keyはA(つまりもうひとつのコードはD)、テンポはこうで、ベースのリズムはこう。ただし1音だけを弾き続けること。ドラムのバウンスはこんな感じで、ちょっと循環させて演奏してみよう。この演奏にマッタがエレピのちょっとブルーな色合いのリフレインが加わった瞬間に、曲はもう出来ていた。一度演奏をやり終えた後でボクは「この曲のタイトルはMo' FUNKY。Funkyを超えたものだ。」と言った。勿論、その場の思いつきである。

 最初に演奏したのは97年年の暮れのイヴェントのライブでであった。しかしそれはコンセプトに忠実なもので、一方向に盛り上がりを、しかも無理に、持っていこうとしたので、ちょっと空回りした演奏になってしまった。その頃にはまだ"part 2"とされる後半のインストゥルメンタルパートが存在せず、掛け合いのコーラスで終わるもので、エンディングはその場まかせの場当たりなものだった。当然その頃のボクにはそれを上手くコントロールなど出来なかった。(上手くいく時は上手くいき、駄目なときは駄目)そうして、演奏に若干の失望を覚えつつ、しかし曲がすごいものになり得る確信も一方ではあった。

 年が明けて、そのライブから2週間ほどたってレコーディングに入った。当初は、レーベルの要請でシングルのデモ録音の予定であった。日程は二日間用意され、一日づつ違うエンジニアを使い、いずれ"Let It Bomb"となるアルバムの制作を見据えた気軽な気持ちでのレコーディングだった。しかし、勿論ボクは「はいはい、デモを軽く録るだけでしょう?」と言いながらも、本気の本気でレコーディングに臨んでいたと思う。

 初日に昔からやっていて、カセットテープ時代の最初のアルバムに入っていた"DON's Dream"を録音した。その頃はマッタさんと二人でレゲエ~ダブに(憧れを持ちつつ)入れ込んでいて、その要素をレコーディングに持ち込みたいと思っていたのだけれど、"DON's Dream"は素材的には余りそっち向きではなかった。なので、レコーディングすることによって曲が化けることはなかったものの、なかなか良い出来ではあるな、と思っていた。勿論、シングルのB面としてはということだが。

 そうして二日目に"MO' FUNKY"を録ることになる。バッファロー・ドーターのZAK氏をエンジニアに迎え、普通の街のリハーサルスタジオでの録音だった。ZAK氏はとてもプロフェッショナルで気取った人のように見えたが、彼の指示通りにギターアンプも使わずプリアンプを通した直の音を録音することにした。その頃のボクはまだ従順であった。でも"Mo' FUNKY"の録音のクールさがあるのは間違いなくZAK氏の貢献である。リハーサル的に一度演奏し、録音レベルや音響を確かめる為に数回演奏して、本番となった。ボクはスイッチを入れたと思う。

 その演奏の段階では、実は、まだハッキリしたヴォーカルラインは存在しなかった。なので、構成も相変わらず場当たりで、目線で次の段階、次の段階へと進んでいくようにしていたのだと思う。(後日L7というバンドの人達にイントロが長すぎると言われた。確かにシングル的な長さではない)最初から演奏はとても良かった。酩酊的で、ドライブしていた。そうして、歌のパートが終わった時に、とっさにボクはこの演奏を続けるべきことを「発見」した。「この先にあるポイントまで、我々は向かわなければならない。その光景を見なければならない。」本当にとっさの瞬間でムーストップにベースの演奏をやめないように指示を出した。それがどういうものだったか覚えていないけれど、ムーストップは「理解」した。あの時ムー氏が指示を読み違えていたら、"Mo' FUNKY"は違う存在になったかも知れない。そうして次にマッタ、しばらくおいてドラム(ブッカビリーだ)にインするように指示を出す。ボクはあるポイントから語り口の少ないギターソロに入った。そうして再度演奏は熱を帯び始め、エンディングを迎える。ボクらは言い表せないほど興奮していた。これが「とても良いもの」であることが分かっていた。

 それがあの録音で、その後ワンテイク録ったと思うけれど、とてもじゃないが超えるどころか同じものを再現することだって出来なかった。スタジオにあったコンガを加え、マラカス、シンセを少々に、ゴミ箱のジュースの缶をパーカッションにして加えたのを覚えている。そうして歌を入れて、コーラスは入った時に初めてZAK氏は「やっとこの曲がどういうものか分かった。」と言った。

 その10年以上前に「誕生」した曲は、誰が書いたというものではないように思う。色々な偶有性が「たまたま」それを一点に集約したに過ぎない。その日・その時でないと、完成しなかった。それだけにボクはこの曲を愛している。どこかから与えてもらったプレゼントのようにも思う。そうして、結構たくさんの人がこの曲を気に入っている。誰に、というか、神さまに感謝するしかないであろう。

 未だにこの曲は形を変えながら、というよりも、生き物と同じように成長し続けている。未だに演奏するのがフレッシュで楽しい。ボクらは色々な解釈をし、それに応えるだけの器があるということだ。"Mo' FUNKY"をキャッチ出来たのは、ボクらにとって、実にラッキーだった。
by dn_nd | 2011-09-12 07:35
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