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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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アナログからデジタル変換の恩恵。
 昨日は朝から吉祥寺にて、エンジニア三木くんと打ち合わせ。9・18のズボンズのイヴェントで販売するライブ音源のマスタリングをお願いする。(これは20枚!限定の、限りなくマッタさんハンドメイドのブツで、実に貴重なものであります。皆さん、お早めに・・・)ここのところのボクと三木くんとの間での一番の話題、というか議論のテーマは、「アナログ録音がデジタルに移行して、一体どんな進歩や"良さ"があったのか?」というものである。確かにprotoolsに代表されるデジタル録音機材のポータブルさや普及による価格の下落によって、誰にとっても「(割りに)良い音質で(それなりの)CDが作れる」時代になったのは事実である。アナログレコーダーを使っていた頃は、レコーディングするのにそれなりのコストがかかったし、職人的な高い技術も必要だった。しかし今ではハードディスクレコーダーを使って、それなりの録音研究家/愛好家やマニアであれば、その辺のリハーサルスタジオや場合によっては自分の部屋ででもプロクラスのレコーディングが可能である。アナログ時代では許されなかった失敗も、現状では何度でもトライすることで確実にスキルを上げていくことが出来るように思う。

 しかしそれは基本的には「コスト」の問題に過ぎない。つまり、アナログ時代の失敗というのは必然的にテープの無駄使いを生むし、スタジオに余計にかかる時間も生じてしまう。それがあるので、決められた時間の中でのベストパフォーマンスをやらなければ、という意味での緊張感や、素人に扱わせるのを許さない部分があった。つまり「コスト」である。ではコストもかからず便利なった現状のデジタル録音で、一体どんな物事が「良くなった」と言えるのだろうか。つまり、「安価で便利」になったということが、一体どのような貢献をクリエイティビティに及ぼしているのか、という根源的なことである。

 先日、TVがアナログからデジタルになった。「これで色々と便利になる」とか「画面がきれいになる」と云う触れ込みではあったけれど、そこには何の興奮も、ハッキリ言うと進歩もなかったように思える。親やもっと上の世代の人々が体験した「白黒からカラーへ」変換されたときは、度肝を抜かれた感動があったと言う。誰もがこぞって「もう白黒は古い、ウチもどうしてもカラーテレビが欲しい」とビックリマーク付きで思ったことである。アナログからデジタルに変わった時は、そのようなエキサイトメントから程遠かった。何しろ「安価で便利」というだけでは、それほど人の心は動かないのであろう。「便利」と「感動/芸術性」はまったく違う次元のお題であるからだ。

 そうしてボクが思うのは、「レコードからCDに移行して、便利以上の何を獲得出来たのか」というところである。メディアとしてのCDの可能性を追求していないのではないか、という部分もあるけれど、長くなるのでそれは置いておいて、録音に関してである。確かに安価で便利になった。今ではどんなアマチュアバンドでも自分達の音源を作り、それをバラ撒いている。音もそれなりにちゃんとしたものである。しかし、ボクはただ誰もが簡単に音源の制作が出来るようになったということを「デジタル化」の恩恵だと言わない。(場合によっては百害と言えなくも、ない。ハハハ。)問題は、どこか。非常に多くの者が「安価で便利」になった機材を使って「その辺にいくらでもある普通の音源」を作ろうとしているところである。つまり、彼らが目指しているのは「自分が聴いたことのある、プロの作っていた音源」の安価で便利な再現であり、なんとなくそれに近づけば嬉しいという、実に貧乏ったらしいモティべーションである。確かにその目標は達成している。しかしそれでは結局「アナログ時代の方が音が良かった」みたいな、大きく広げると「昔は良かった」みたいな何ら進歩していかない年寄りの精神しか持ち得ないではないか。

 ここに一枚のCDがある。スライの"暴動"である。ボクがこれを最初に聴いたのは18の頃だった。その音の「遠さ」に、どっか間違ったのではないかと感じたのを覚えている。2年ほど前にリマスタリングされたのを聴いても、まだ「遠かっ」た。つまり、スライはこのような音を目指していたのである。謎である。しかしその謎はスライという個人の人間の深遠を感じさせる。何故彼はこのような音源を制作したのか、彼の心に何が生まれていたのか。ボクらはそのことについて考える。謎は解けない。しかし解けない謎について思いを馳せることが、如何に人生の中で大切なことか。ここに良質の芸術を見る。このように"個人"をハッキリと打ち出すことが69年というアナログな時代にどれだけ大変な作業かは分からないけれど、今ボクらはそのような作業をやることが出来る時代に、いる。スライはスーパースターだったので、いくらでもスタジオ作業にお金をかけることが出来た(ついでに言うと月何百万という借お屋敷に住んでいた)けれど、スーパースターではないボクらでも、同様の作業を思いのままに出来る時代、それこそがデジタル化最大の恩恵の一つではないかと思う。

 プロ「っぽい」音を作ることが目的であるのは、貧しい。本当にデジタル化の恩恵を生かそうとするのであれば、とことん自分の考えを反映させるようなものを作る自由を、最大限活用することである。その為には、言うまでも無いが、それをやるだけの「自分の」中身が必要である。その完成した作品が自分そのものである、と言い切れることが出来るのか、どうか。それをやってのけて初めて「いやー、アナログからデジタルになって良かったなぁ」と思えるだろう・・・・・・・と言うような事を三木くんと話したのである。しかし話したのは30分くらいだったのに(しかもまだ途中だ)、書くと時間かかるもんである。原稿料が欲しいくらいだ。
by dn_nd | 2011-09-14 10:10
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