ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
☆最新の記事☆
DirtyなPresent。
at 2015-11-17 18:26
致命傷を負った生き物、その回復。
at 2015-06-21 00:26
それは未来の話である。Zoo..
at 2015-05-08 08:18
これまでは楽な方向に傾いてい..
at 2015-05-06 19:06
もっとチャレンジが必要となっ..
at 2015-05-05 08:54
☆以前の記事☆
2015年 11月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 02月
more...
☆その他のジャンル☆
☆検索☆
☆ファン☆
☆記事ランキング☆
☆ブログジャンル☆
☆画像一覧☆
Top

ツアー中の「状態」における時間軸。
 The Sweet Passionの国内ツアーを(とりあえず一旦)終えて東京も戻ってきた。昨晩の新宿ロフトでのライブも、ツアーファイナルという訳ではなく、あくまでこれからオーストラリア、アメリカ、カナダと続くツアーの第一セクションといったところである。(いずれにしても来週は横浜、そしてその翌週に吉祥寺と断続的に続くのですが)とは言え、国内を2週間ほどツアーしてきての東京なので、すごく気合が入っていたかと言えばそうでもなくて、昨晩のライブはあくまで”壊れかけのテープレコーダーズ”のレコ発企画に参加というイレギュラーな形だったので、実はそのお陰で随分伸び伸びとリラックスしてやらせていただいた。もしこれがボクらがメインの、となっていたら、もう少し、いや結構緊張感が漂っていたかもしれない。そういう意味で、昨晩のようにバンド間の雰囲気も良く、楽しくやれたのはとても良かったです。(まぁ、その分”壊れかけ”小森くん達は大変だったでしょうなぁ。お疲れさまでした!!)

 例えば、何度も経験している筈なのに夏がくると、「あぁ、夏ってこんな感じだったよなぁ」と夏が来るまで実感出来ないのと同じように、ツアーも始めてみるまでは自分達がどのような状態になっていくのか、始めてみるまでは分からないものである。その疲労と毎晩の発散が自分自身に、バンド内部に及ぼす変化・影響とはどのようなものか、これは何日も演奏を続けて実際に自分がそのような”スポット”に入り込んでみないと分からない。「そうそう、こんな感じだった」といつも思う。(夏が来た時のように。)

 それは一種、現実離れしたような感覚でもある。日常、というものは(もちろん)存在しているのだけれど、同時に意識はあらゆる日常から遊離していて、世間の時間とはあまり関係なくフワフワ漂っているような感覚である。身体の細胞は疲れ、休みを取りたがっているのだが、その反対に脳は冴えていて、その逆方向に向かっているギャップが、「遊離」した状態へと導いていくのかもしれない。「遊離」しているとき、身体は疲れから緩んでいて(何しろ力が入らない)、感覚機能はクールなものだから、意識はオープンになっていて、エネルギーの出入りが容易になる。もちろん、「音楽さん」もそこから入って来て、出ていくのである。ボクらはスポンジというか、ストローというか、そういうものになっていて、自分の中に蓄積されたエネルギーを振り絞るわけでなく、ただその通過を感じるだけだ。

 そのような「遊離」した状態に入るには、実は、結構過酷なスケジュールが必要なのかもしれない。身体がきついからといって、休みをとっていたりすると、すぐ元の状態に戻ってしまう。こと音楽をやる、ということに関して言えば、いくら疲れていてもステージに上がって演奏を始めた時に不思議とキレの良い動きをするものである。そうして、ステージをやっている間は、演奏するという行為そのものが自分をチャージしてくれていることに気付く。(でも、それが誰にも当てはまることかどうかは分からない。もしかしたらボクらだけかもしれないですね。)さてこの状態が、更に続くとしたらどうなるのか。例えば、アメリカでの日程のように6週間同じようにやり続けたとしたら?

 その時に、自分は自分の考えていた限界を超えることが出来るのだな、という経験をすることになる。それは(多かれ少なかれ、意識的であれ無意識であれ)、自分が考えていた人間の力というものは「自分」自身が蓄積として持っていたものなんかじゃなく、偉大なる大きなエネルギーの一部として存在しているのだなという感覚である。身体が疲れ果て、一方で知覚が研ぎ澄まされていくとき、更に何と言っても毎晩のステージで「事」を起こさなければならないとき、人間は偉大なる大きなエネルギーを素通りさせる装置・媒体にならざるを得ない。その時に感じるのはエネルギーの巨大さであり、自分もそのエネルギーであって、自分もまた巨大なのだなという実感であろう。その経験が、あまりに素晴らしく、喜びが大きいが為に、ボクらは過酷なスケジュールを厭わない、のだと思う。そのような状態に入るには(今のところ)肉体的な追い込みが必要なのである。(もしかしてもっと年を重ねていけば、いつでもその状態に入れるようになるのかも知れない。でもまだそれはまだまだ先のことだろう。)そうして、その「状態」にいるときの創造というものがある。それもまた自分の小さな脳が考えることの出来る範囲を大きく逸脱したものになっていく。ライブの演奏であれ、レコードを作ることであれ。結局、最終的に残るクリエイティビティがあるからこそ、色々なものを投げ打ってまでもこういうことを、やるのだ。

 さてさて、そうは言いながらも、これからまたちょっと日常に戻らなければならない。偉大なる大きなエネルギーに包まれていた喜びの時間軸から、また小さな人間の時間軸に戻る。今日は2012年7月24日だ。この落差は誰にとっても激しいもので、だからこそ多くのロックスターやアーティスト達がアルコールやドラッグにはまり込んでしまうのだろうと思う。しかしこの小さな世界で経験することからのフィードバックもなくてはならない。そうしてまた「状態」へと戻る。これもまた、年を重ねていけばいつかその境目も無くなってしまうのかもしれない。でも、まだまだボクらは経験しなければならないことが沢山あるのだし、人間の力の未知な部分は、本当に沢山残っている。
[PR]
by dn_nd | 2012-07-24 08:33
<< 「保守」か「自然」か。 日常的なイメージトレーニングに... >>
hidden hit counter