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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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不満足でなければ。
 昨日、姉と話していて考えていたことである。

 パティシエの話。洋菓子といえばということで、フランスで修行し、それを謳ってお店を開く人も多いのだが、昨今では日本人の技術もすごく向上していて、もはや(というか、むしろ)フランス人よりも日本人のレベルの高いパティシエの方が優れていて、フランスで修行してもネームヴァリューを身に着ける意味合い以上のものでははないのだと言う。そうかも知れない。日本人は本当に器用だし、研究熱心だし、細かい部分に関しての行き届いた感覚は世界中で卓越しているのは間違いない。そういう部分から見ると、世界中の様々なものが上手にイミテートされ、日本にいるままで経験も味わいも出来るような気がする。

 しかし、実際はきっとそうではない。フランスには行ったことがないけれど、かの地で提供されるケーキと日本で手に入るものとでは、その感覚への訴えの「強力さ」に於いて、相当違うのではないか。それは、何と云うか「剥き出し」の強烈さである。その皮一枚もない「剥き出し」さは、いくら高い技術で補おうとしても出来ないものである。また、「剥き出し」ている当の本人達も意識していることではないので(勝手に「剥き出」されるのだ)、それを技術として伝えることは出来ないだろう。彼らにとっては空気のようなものなのだ。おそらくそこには原材料やシチュエーションやと、あれこれ細かく色々なものが異なるので当然なことなのだけれど、結果的に大きな感動や憧憬を生む。その経験が、日本に戻ってのケーキ作りに生かされるのならば、フランス修行も無駄なことにはならないだろう。要は、技術やネームヴァリューを求めることではなく、自分がしっかりと感動出来たかどうかである。

 その感動は、大きければ大きいほど、ある種のくやしさを引っ張ってくる。「あれ」をもう一度体験したい、出来れば自分の手で再現したい、しかし自分のいる場所は原材料もシチュエーションもまるで違う、ならばどうすれば・・・・・、と。それでも自分の希求心が強ければ、そこに向かって大きな努力をせざるを得ないであろう。最初の感動に近づく為に。もちろん、その「剥き出し」のものは別の場所では再現出来ない。しかしそれを再現すべく、自分のものにすべく、あらゆる試みをした結果が別の場所に生まれることになる。

 その場所に安住してはならない。常に自分にはないものに憧れ、満足のいくまでトライしなければならない。しかしきっと、満足することは出来ない。何故ならば本質というものは、決して手に入るものではないからだ。でも諦めてはならない。憧れや羨みを失くしては創造はドライブしないからだ。より高い創造は、より深い満足と納得とを与えてくれる。そして、より高いチャレンジは、より強い欲求や憧れからしか発生しない。創造は楽しいことだが、憧れ→創造→不満足→更なる改良・再創造→少しの納得、しかしやはり不満足→再創造・・・・・という終わりなきサイクルに入ることによって、深みを増して行いく。言い直せば、満足してしまっては創造はストップしてしまう。終点がどこになるのかは分からない、しかし外部に対して大きな憧れがある限り、創造を止めることも出来ないであろう。そのような人生に幸いあれ。創造の希求が人間にピュアでクリーンで大きなエネルギーをもたらすと、ボクは信じているのである。
by dn_nd | 2012-08-12 07:42
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