ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
☆最新の記事☆
DirtyなPresent。
at 2015-11-17 18:26
致命傷を負った生き物、その回復。
at 2015-06-21 00:26
それは未来の話である。Zoo..
at 2015-05-08 08:18
これまでは楽な方向に傾いてい..
at 2015-05-06 19:06
もっとチャレンジが必要となっ..
at 2015-05-05 08:54
☆以前の記事☆
2015年 11月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 02月
more...
☆その他のジャンル☆
☆検索☆
☆ファン☆
☆記事ランキング☆
☆ブログジャンル☆
☆画像一覧☆
Top

<   2010年 08月 ( 39 )   > この月の画像一覧

キミは友達。
 つくづくまずい選択を行ってきたのだなと思う。明治の開国以降、日本は欧米列強の真似をして「脱亜入欧」のスローガンの元、アジアを侵略していくが、2次大戦での敗戦により、結果アジアの中で孤立してしまう。友人にしたいと思っていた欧米の国々とはハナから分かり合える筈もない上に、湾岸戦争やドルショックなどの国際協力が必要な大事な機会にいつもヘマをして、更に信頼を失くしてしまう。まるで世界というクラスの中で誰とも親しい友人関係を結べてない孤立した生徒みたいなものである。

 世界の中でどこにも属する事が出来ないという不安感が過去の日本の高度成長をドライブさせてきたのだろうが、それも終焉を迎え、日本に残ったのは不安感だけである。その他国との関係における不安感は、漠然と国民に浸透しているのではないか。

 今、目覚しい発展と遂げるアジアは、世界を牽引しつつある。日本がアジアの一部なのは本当に幸いな事であるにも関わらず、歴史も日本人の意識もそれを簡単に許さない。もはや沈みつつある日本はしがみついてでも、しっかりとアジアの仲間として認めて貰う必要があり、このチャンスを逃すと後はないだろう。馬鹿なプライドは捨て、卑屈にならず、心から「我々はアジアの人間です。」と言えるようになれれば良いのだが。

 日本は唯一無二の素晴らしい国である。しかし、他の国とて同様に唯一無二の素晴らしい国であるのは言うまでもない。同じである。何も優越を競い合う必要はない。そして、しっかりと相手も認め、お互いに学び、成長していくのが正しい道であろう。我々にその覚悟はあるのか。また、数々の失敗を犯してきた我々を他のアジアの国々は許してくれるのか。個人個人の問題として考えてみなければと思っている。
[PR]
by dn_nd | 2010-08-31 07:17

人の目を気にして。
 もしかすると、もう一昔前の話になってしまっているのかもしれないが、ブログや掲示板の書き込み等に「よくまぁこんな事を沢山の人が見れる場に発表できるなぁ。」と思ってしまうような内容/文体の文章が多かったように思う。「人の目を気にするな。」と言うけれど、「人の目」を気にせず、独りよがりなブログを自己満足の為に書いていては、アウトプットしていても本人の成長は望めないものである。「人の目」を意識してアウトプットする事で、ちょっと背伸びした課題に取り組む事になる。

 勿論、まずは始める事が大事である。文章であれ作曲であれ、最初から「人の目」を意識しすぎて外に出さないようでは始まりも何もない。また、最初はどんな人であれ模倣する訳だから、「どこかで見たような」ものを創り出してしまうものである。その後、自問自答を繰り返し、人の意見を聞き、批評に傷ついたりしながらも、それを克服するよう努力していくと、ちょっとづつ的の絞れた「自分の考え」が立ち上がってくる。

 思うに、日本人はそもそも客観的視点が弱いので、「こんなことやっていたら、自分はかっこ悪いと思われるかもしれない。」という意識を上手に使わなければ、自分が高まっていかない。何をアウトプットするにしても、「ワタシはワタシのありのままが一番良い。」なんて公言しているアーティストは常に低いところで満足しているように見える。ある意味で人の人生に於いては、誰もがアーティストであり、その必要がある。より高い表現を目指すのが必然なのは言うまでもないだろう。
[PR]
by dn_nd | 2010-08-30 07:48

脳内でループする感情。
 例えば友人と喧嘩する。本当にに腹が立っていて、向こうが謝ってくるまで口をきいてやるものかと思っている。謝ってくるのであれば、許してやろうと最初は思っているのだが、一向に謝ってこない。その内段々不安になってくる。よくよく考えてみれば自分も至らない部分はあった。いやもしかすると自分の非の方が大きかったかもしれないし、もっと大人になってお互い許しあえたら良いのだがと思うが、すでに時期を逃してしまっていて、謝るのも難しくなってしまった。相手はどう考えているのだろうか。いやそれでもやはり向こうの方がおかしい。自分ばかりがこんな苦悩させれるのはフェアじゃないと思う。大体友人は他にも沢山いるのだから、アイツなんかいなくても自分は大丈夫なのだ。あんな奴知ったものか。でも淋しいか・・・・グルグルグルグル。

 例えば上司に怒られる。散々痛いとこを突かれ、すっかり弱ってしまった。確かに失敗したのだし、上司の言う事はもっともなように感じる。自分としてはベストを尽くしたつもりなのだが、出来ないなんて本当に自分は駄目な人間なのかもしれない。どうしたら良いのか。これからも同じ仕事を続けていけるだろうか。辞めるか。でもやり甲斐のある仕事だから出来れば続けたい。しかし自分には能力がないし、上司に相談してまた怒られるのが怖いし・・・・グルグルグルグル。

 誰しも良くあるような話だと思う。また、結局相手と率直に話してみると、すべてきりが晴れるように解決してしまった、というのも経験した人は多いだろう。結局これもアウトプットしていないのが問題で、外に出ていかない感情が脳の中をグルグルグルグルとループしているのである。そしてそれは一回ループする毎にディレイ音が加わり、次のループで更にディレイが加わり、更にまた、と段々と悪夢のような音響になってしまっていくのだろう。いわゆる「煮詰まった」状態である。客観的に見ると一目瞭然で、すぐ謝れば良かったじゃないか、とか、すぐ相談すれば良かったと分かるが、その渦中にいるときは、ループに圧倒されていて、行動出来ないのである。

 大なり小なり日々起こる喜怒哀楽のエモーション達は形にして外に出してやるが良い。そうして自分の自信を取り戻し、やるべき事にすべての時間をつぎ込んだ方が絶対に得である。脳の中に余計なファイルを増やしておけるメモリーの余裕のない現代なのだ。いくら昔を懐かしんだとしても、世界の速さについていけないなぁ、と思ったとしても、結局この世界で自己実現するしかない。覚悟を決めて前に進む。それで良いのである。
[PR]
by dn_nd | 2010-08-29 07:50

やったもん勝ち。
 昨日は挫・人間のライブに参加しました。ほとんど10代のバンドがひしめき合った若さ満タンのイヴェントで、若者がロックの現場(ライブ)に戻ってきている実感がして、とても良かったです。皆さんお疲れ様でした。

 挫・人間のギター兼ベース的な、割りに重要なパートで参加させて貰ったのですが、当日の朝から演奏する6曲に取り組み始めたのです。短い時間の中で、出来るだけ集中して、更に曲にクリエイティブを重ねるように、脳の回路をフル稼働させました。他人の曲をやるというのは、左に箸を持ってご飯を食べるようなもので、いつもの手馴れた自分のやり方と違うものだから、四苦八苦するのだけれど、とても良い訓練になったなぁと思います。(日頃、好き勝手やらせてくれているメンバーにも、感謝です・・・ありがう。)脳の回路も活性化し、なんとも得した気分だ。結局、出来る出来ないを考えずに、飛び込んでいく事で自分を高めた方が良いのです。どんな事をやっても、自分を切り開いていった方が得なのである。やったもん勝ちということです。
[PR]
by dn_nd | 2010-08-29 07:03

脳の労力の無駄遣い。
「いつも興味深く読んでいます。
 日本経済崩壊後、組織やシステムに守られると言う保証は無くなり、個の時代である事は急速に加速していると僕も感じています。にも関わらず、日本人の個のエネルギーが異常に低いと感じる原因に教育と言う視点でドンさんはどうお考えですか?
 義務教育では(人にとっては幼稚園や高校も)集団で有る事を強く意識させられます。社会に出る上で、周りと足並みを揃える術は大事ですが、集団の中でも個が大事だと言う事はあまり教育されません。むしろ、はみ出ない事が正しいと言う認識の中で育てられます。平均でいる事が優等生とされます。そして無意識のうちに、自分の感覚を世間や社会と言うものさしで測って行動してしまう癖が付いてしまっている気がします。
 勿論、今の現状の全てが教育のせいだとは思いませんし、関係なく情熱とビジョンを明確に持って自立できる人も沢山居るわけですが、時代の変化に伴う教育の仕方、それも個人と言う観念の元では子供にどういった教育が必要なのでしょうか?」
 
 というpaparock氏からのコメント入っていたので、これについてちょっと思うことがあるので書いていてみよう。質問の答えになるかは分からないけれども。

 海外のミュージシャンや音楽ファンと話していて、いつも関心させられるのは、年齢を問わず音楽は勿論、文学や映画その他アート全般、政治経済、人間心理について大きな興味を持っているし、それなりの知識を持っていて、自分の考えを持っているところだ、と前にも書いた。良く思い出すのはToledoというOHIO州の小さな町でのライブ後にアフリカン・アメリカンの青年と「民族や育つ環境がどれだけアイデンティティの確立に影響を与えるか。黒人vs日本人」について延々1時間近くバーカウンターの前で議論した事だ。彼は特にインテリでも学生でもないのだけど、ボクは話ながら一体日本でこれくらい議論出来る若者がどれだけいただろうかと考えていた。

 ほとんどいないのである。大抵の場合はボクの言う事を「なるほど、そうですねぇ。勉強になります!」と感心し聞くことしか出来ないか、とんちんかんで浅く視野が狭く説得力のない「自分の意見」を勝手に述べる奴である。誰とも文学の心に及ぼす影響についての考えを聞く事は出来ないし、自分の持つ心の奥底に潜んでいる恐怖感についてのオープンな議論なんて出来ないのが現状である。日本人は頭が悪い、というつもりはなく(むしろ逆だ)色々な事を感じ、考えているのだろうけど、それを深く考え、まとめた上で自分の言葉でアウトプットする事が出来ないのである。勿論、それが出来るようになる為に文学・アート・政治その他色々と興味を持ち、学習していく事が不可欠な訳だが、それこそ有名大学に通う程の頭を持つ学生であっても、中身はしょうもなく腑抜けた状態にあって、実に嘆かわしいと感じる。

 さて、ボクは教育の専門家ではない(勿論!)ので、自分の視点からでしか言えないが、そのような自分の見えない人間にしてしまう日本の教育システムの仕様のなさが原因だというのは、分かる。日本の若者は一番多感で感性を養うのに重要な時期をものすごく無駄に過ごさせられているのではないか。まず子供達は「勉強」は嫌なものだと考えている。それはそうだ。自分のやりたくない事をとことん押し付けられているのだし、やりたくない事を「やらなければならない」として取り組むには、やりたい事を自主的にやるのと比べると何十倍もの労力が必要とされるからだ。

 ブリティッシュロックの歴史やカルチャーを覚えるのは、好きな人間にとっては簡単だし、快楽以外の何物でもない筈である。それに引き換え興味のない時点で世界の歴史を無理やり覚えるのは、どれだけ脳の労力が必要か!その上数学や物理や英語のグラマーや、と、子供達は相当な労力を使って実の結ばない知識を頭に入れ込んでいるのである。(なんでこんなことやらなきゃならないの、という葛藤と戦いながら!)そうして、無駄に頭をとことん使った挙句、疲れてしまって残りの時間はTV見るか、ゲームするか、友達と馬鹿話するかして頭を休めるしかないのである。そんな子供達のどれだけがドストエフスキーを読んだりするエネルギーが残されているというのか。これは実に国難であって、すべての人間は国を相手訴訟を起こして良い程、人間を損なっているシステムだとすら思う。絶対に変えていかなければならない。

 しかし現状に於いてはどうするか。大人となり自分の時間を持てるようになればレッツ・ビギン!でそこから学習をスタート出来るが、子供達には現状の教育制度が改まらない限り、日本にいて個人を確立するのは難しいと言わざるを得ない。現時点でボクらが出来ることは、まず自分が学習し、自分の考えを持つ人間となり、それを子供達に見せていく事しかないのではないか。自らが子供の手本になるような生き方をするしかないのではないか。社会の大きなシステムやマインドセットを変えるのは難しいし、大きな所が変わらないから何も出来ないという受身な姿勢でなく、どのような環境でも自分の生き方を問い続け、頑張りぬくインディペンデントな存在であろう。それは日本においては実に大変な生き方かもしれないけれど、それを分かってくれる人は案外沢山いる。ボクはそう思います。
[PR]
by dn_nd | 2010-08-28 07:28

DON's recomend 08272010
 日頃から強く意識している訳ではないが、どうも自分の感覚や嗜好を「日本人」という括りの中から外れすぎないように微調整しながら生きているようである。つまり、「自分としては決してそれを最上だとは思わないけれど、実際にそれは存在しているのだし、他の沢山の人は支持しているのだから、自分としてもとりあえず理解するよう努力しよう。」という具合に、激しい言い方をするならば「必要ない」と思っている物事の存在を認める為に、自分の価値基準を調整している訳である。「おそらくこの辺りが皆が好きだと思う部分であろう。考えてみれば、良いと言えなくもない。(しかし自分は好きではない)」という捻くれた判断を日常的に下しているのである。日本で生活している時それはあまりに日常的なので、気にもしていないのだけれど、フとした拍子に、例えばこのBrian Jonestown Massacureの凄まじいドキュメンタリー映画"DIG!"を観たりすると、「あぁ、ボクはなんと自ら抑圧しながら毎日を過ごしていたのだろう。本当に求めるエネルギーに満ちた世界はこっちではないか。」と激しく自覚させられるのである。

 メジャーvsインディー、売るvs売らない等と色々な見方があると思うが、ここで繰り広げられる「世界」自体が日本の音楽業界にはないのである。顧みると、日本の音楽業界というものは何としみったれた小さな世界かと言わざるを得ない。日本人だからといって、ハナから諦めてその中でだけやっていく必要なんかないのである。冷笑されようが、失敗しようが、誇大妄想と言われようが、最後まで変えていく努力をやるのだ、とボクは宣言しよう。


Brian Jonestown Massacure 映画"DIG!" 予告編

[PR]
by dn_nd | 2010-08-27 18:01

カジュアルな革命。
 最近、良く考えている「日本人のアウトプットレス」の問題であるが、今回のこのような件~「民主代表選:小沢氏が出馬表明 鳩山氏の支持受け」~にすら何も表明しないとするならば、相当問題である。ボクは万が一小沢氏が代表選に勝ち、総理大臣になる事態までなってしまったら、本気で日本に見切りをつけてグリーンカードの取得に走ろうか、とすら思う。だって、そんなのが許されてしまう国というのが、まったく理解の範疇を超えてしまっているからだ。(もしくは、まったく国民に支持されていないのを分からずに狂ってしまっているのか、あの二人とその周辺の人達は。)

 一方で、確かに反対を表明するのに躊躇があるのも良く分かる。バンドのメンバーも言っていたが、反対とは思っていても、そういうへヴィーな発言をするには勉強不足だし、荷が重いのだ。また、いくら反対を唱えたところで、今迄それが反映された事もなく、向こうは向こうでただ勝手にやっているだけだという印象もある。言っても無駄というところか。
 
 またこれが「反対運動」のような集団での大きな行動になってしまうと、参加しやすくなる人も出てくるかもしれないが、マスになったが故に逆に個人の思いが淘汰されてしまい、「反対」という大きな部分だけの意見一致があるのみで、別の責任を負わされるような気が(ボクは)してしまう。どことなく無理やり反対し続けなければならないような気がしてしまって、それこそ荷が重い。

 しかし、そうやって日本人は長年アウトプットしていかなかったが為に、今のように政治家がどうしようもない事をやっているのを受け入れ、他人には理解してもらえず、先進国なのに世界に大きく遅れをとってしまった結果を生んだのだ。民主国家を謳う国民が自分の国に対して意思を持てない/ 持たないという事は本当にシリアスな問題じゃないか。結局は個人が認められていないという事ではないか。個人の可能性や力を踏みにじられているのと同等の扱いを受けているようなものではないか。そしてそれを受け入れてしまっているのではないか。

 ボクらがやりたいのは運動となるような大きな行動でなくても良い、としたい。必要なのはカジュアルな革命(レヴォリューション)である。誰かと会い、その事を話すのも良いだろう。ブログで書くのも良いだろう。twitterで軽く呟くのも良いだろう。どういう形であれ、自分は国の動向から目を離してはいないし、自分の意見を持っているというアウトプットをする事から始めれば良いのである。「まったく何考えているんだろうね~。」という程度のアウトプットからで良いのである。ゼロになってはいけない。ゼロは何を掛けてもゼロのままだが、どんな小さな数値であっても、そこには大きくなっていく可能性が生まれる。これは希望ではなく、事実だ。
[PR]
by dn_nd | 2010-08-27 07:08

小さく干からびた将来。
 先日、早稲田で友人のやっている定食屋に顔を出した際、隣でご飯食べていた学生と話していた。彼は先生になりたくない教育学部3年生で、就職について今考えているところだという。何がやりたいのか、と尋ねると「営業っすかねー。」と言っていた。どの会社の営業か、と更に尋ねると、会社は特に決めてないと言う。他人の嗜好についてはそれぞれだという前提があるにしても、どんな会社・商品を取り扱っていても営業をやりたいと言えるものだろうか。ボクは首を捻らざるを得なかった。そして彼らは大学の3年生で就職活動を始め、その後長きに渡る(筈の)自分の仕事を「~っすかねー。」という調子で決めてしまうのである。

 ボクの記憶では大学で学部の専門課程が本格的になるのが3年生からで、白状するとボクはその3年生になっての半年で建築の勉強は自分に合わないし、その仕事なんて出来る訳がないと自覚し、学校に行かなくなってしまった。もし3年生になりたての状態で就職を考えなければならなかったとしたら、他のクラスメートと同じように大手の建設会社を目指していたに違いないと思う。その時、ボクの将来はどのようなものになっていただろう。

 一方で、先のアメリカツアー中、フィラデルフィアで会ったオーストラリアの女の子は心理学の専門課程を学ぶ為にカナダの大学へ留学し、博士課程を終え、今年卒業だと言っていた。同じく、何をやるつもりかと尋ねると、「まだ自分でも分からない。これから時間をかけて自分の出来る事をじっくり探してみたい。」と話していた。彼女は最後の長い休みを利用してバックパックで一人で旅行中で、世界の色々なところを見てみたい、とも話していた。色々な国の人たちと友達になり、色々な価値観を知る。そしてとりあえず最後はシドニーに戻るけれど、そこで仕事をし続けるとは限らないそうだ。

 先述の男子学生は、言わば一流の大学に通うエリートだと言って間違いないと思う。そして、その大学に入る為につぎ込んだ労力はオーストラリアの女の子とは比較にならないほど大きなものだったに違いない。しかし彼はすでに日本という国のマインド・セットに取り込まれてしまっていて、すっかり小さく干からびてしまった将来しか期待出来なくなってしまっているかのように見える。彼の可能性はどこへ閉じ込められてしまったのだろう。

 そしてこれが日本人中に蔓延しているのだとしたら、国の将来も同様に小さく干からびたものになってしまっていると言わざるを得ない。色々と威勢の良い事を言う人もいる。根拠もなく国を誇りに思う人もいる。そして世界の中でズブズブと沈没しようとしている国をよそ目に派閥争いしている政治家達もいる。その在り様と男子学生の在り様は同等である。誰もが明治時代に入り日本は開国したと思っている。しかし日本人のマインドは未だに鎖国状態だと感じる。開国、とは国ではなく、個人レベルで成されなければならないメタファーだ。ボクはそのことについて考えると、とても落ち着かなくなってしまう。
[PR]
by dn_nd | 2010-08-26 07:23

DON's recomend 08252010
Royal Truxは残念ながら解散してしまったけれど、クラシック・ロックをかっこ良くアップデート出来た数少ないバンドだった。95年のalbum "Thank You"以降はどれも外れはなく、どのアルバムもボクの中で基準を作り上げる礎となっている。(それ以前のものは好みが分かれるかもしれない。)The Rolling Stonesと並んでいる。

Royal Trux "A Night To Remember"


Royal Trux on Amazon
[PR]
by dn_nd | 2010-08-25 10:35

アウトプットの勧め。
 毎日、何か発見があるように努めている。努めないまでも、一日の間に思い・感じ・考えることは無数にあるのだから、意識してなくとも、何かがどんどん溜まっていっているのだろう。例えば、移動の電車の中でショルダーバッグを抱えた若者が後ろを通り過ぎようとして、思いっきりバッグがボクの腕に当たったにもかかわらず、本人はイヤホンをしたままシレッとしている姿を見ても、色々と思考している。(この場合は、「若者論2010~何故すぐにスミマセンが言えないのか。」、「日本における一人一人の距離の近さ、またそこから感じる日常的なストレスが日本人の性格にどのような影響を与えているか。」、「昔の自分はどうだったか。自分がどのように成長してきたのか。そしてこれから更に注意すべきは。」etc.)

 ボクは人と会って話すのが好きである。先日も挫・人間の吉田と話していて、気づいたら2時間もたっていた。曼荼羅の藤崎氏とは3時間過ぎていた。そしてそこには何かしらの発見や、思考の発展がある。特に相手に意見や提案を求める訳でなく、会話しているだけなのだけれど、話している間に自分では気づいていなかった思考の深層が現れてきたり、考えが整理されてまとまってきたりする。

 インプットがあり(例えば本を読む。例えば、電車で若者にぶつかられる。)、思考し、アウトプットする、という作業を通して脳はドライブして回路を増やしていくのだろう。そしてそれは直接的な事柄でなかったとしても、実際に演奏中であれ日常であれ、アイデアをドンドン出してくれるのは、そんな「脳」である。回路は増えれば増えるほど良い。ボクの腕にドンッとぶつかった若者(から派生する思考)が様々な脳の回路を経由した後に、演奏中のアイデアに結びついている。何事も捨てる部分はない、というか自分次第ですね。

 作業としてのインプット→思考→アウトプットが必要なのである。特に日本人に欠けているのはアウトプットの作業であろう。インプット&思考で止まってしまうと、良いアイデアもまとまらず定着もせずに沈殿してしまう。引っ張り出そうとしても、回路が繋がっていなければ必要な形で出すことが出来ない。脳の回路は3つ揃って初めて開発されていくものなので、出来るだけ他者と長時間話してみるのを勧めるのであります。(日記書くのも、それこそブログでも、アウトプットとして良いとは思うのだが、あくまで一方的なものになってしまいがちなので、他者に読ませるつもりで書くことが必要だ。尚、長時間話すとは言っても、酒が入ってしまうと、アウトプットしてはいても、なんだか今ひとつ後の役には立たないように思う。感情の起伏が通常でないからだ、きっと。演奏する時のように、どこか冷静さが必要なのである。)

 なので、ボクにとってはどんな相手であれ話するのは楽しく得のある事なのだけれど、唯一話しても話しても疲弊させられ、得るものが無いように感じさせられる相手が音楽業界の人達である。そこには延々とまっすぐ続く平行線があるのみである。価値観が違うと言ってしまえばそれまでなのだが(では一体ボクと近所のオバサンのどこに同じ価値観があるのか。)、彼らと話しているとスクエアな「常識」を前提に生きていて、なかなか本心を発露してくれない所に共感が生まれないのだと思う。でも一緒に酒を飲むのも真っ平である。本心は出てくるけれど、彼らは大きな事を言って、その場だけの口約束するからである。もしかしてそれは普通のサラリーマンによくある姿かもしれない。でも、そんな人間達に音楽を背負わせてなるものか、とボクは思うのであります。
 
[PR]
by dn_nd | 2010-08-25 06:44
hidden hit counter