ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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現時点で最善。
 前回の日記から、ずいぶんと日にちがたってしまった。書こうとは思うのだけど、日本で起こっている事態が、あまりに様々なエモーションや考えを引き起こしてしまう為に、すんなりと書けないというのが実情だ。日本からは、アメリカはそれ程遠い。何故に自分達がこの時期にここにいるのか、という実際は常に大きな疑問を自分達に投げかけてくる。また、これほどまでに日本のニュースを見て、日本のことについて考えながら送る海外ツアーというのも初めてである。それはある意味で、客観的な視点をボクらにもたらしてくれるのかもしれないし、一方では何を言っても「現場を分からない人間」の発言としか捉えられない可能性もある。いずれにしても、今回の震災は日本と日本人の本質を剥き出しにしつつある戦後最大の事態なのは間違いない。これから国がどう進むのか。そしてそれが「我々の」手で実現していけるのか。大きなヴィジョンを持たなければ、と思う。ボクの思うことについては、帰国後、日本の実際を感じてからにしようと思っています。

 さて、一方で「小さな我々」ことズボンズは、アリゾナ州Tuscon(Get Backで有名ですね)、カリフォルニア州Fullerton(LAディズニーランドの近く)にて、なかなか大変なライブを経験し、ツアー中の貴重な一日の休み(とは言っても8時間ドライブでしたが)をとってOaklandのCreamery(アイスクリーム工場?)スタジオへ。6日間でアルバム1枚を仕上げるという無謀なツアーの上に無謀なスケジュールを組んで臨んだのでした。Oaklandは夢のサンフランシスコから車で内陸に1時間ほどの街で、古くはTower Of PowerなどのOakland Funkというシーンが存在していたりして、シスコとも違ってなかなかハードボイルドな場所です。人種の入り混じり方は全米でも随一らしく、かなりエキサイティングな街なのだけど、それだけにアメリカの中でも犯罪率の高い街として有名です。確かに街中でも白人率は少なくて、有色人種だらけといった感じだ。もちろん、ボクらはその雰囲気を好き好んでこの剣呑な地を選んだ訳ではなくて、アメリカIndie界でそれなりに有名なサイケデリックバンドThe Gris-Grisのリーダー、Greg Ashleyが「ここでレコーディングしたら?」と誘ってくれたからなのだ。The Gris-Grisのファンであるボクらには、もったいないオファーである。

 GregのスタジオCreameryはその名の通り元々はアイスクリームやチーズを作っていたウェアハウス跡で、今やOaklandのクレイジーなアーティスト達が住み込んでいる。(一体何人いるのか最後まで分からなかった)1階と2階にライブが出来るスペースもあり、外からは分からないが、とても大きな建物である。(そしてその近辺は、どう見てもやばそうな黒人がフラリフラリと歩いている。)Gregが所有しているのは完全フルアナログ16trk機材だけなので、今回はノーコンピューター、ノー修正の完全1発録音で決めなければならない、というのがズボンズのミッションである。しかも我々に与えられたのは6日間。しかもその前には20日に渡る連日のアメリカツアーをやってという、けっこう過酷な条件付で。(ついでにレコーディング中にも2本ライブが追加された)ボクらは過酷なスケジュールが当たり前だった昔のロックバンドのように、自らに鞭を打ち、自らを励ましながらやるしかない。

 なんと数えてみると、前のアルバム"BBB"から5年も経っていて、その間にPittくんを迎え、相当数のライブをこなしてきたので、バンドのコンディションは申し分なかったし、アメリカでの契約という追い風も手伝って、けっこうすんなりと予定通りにレコーディングは終了した。いたってシンプルなズボンズのアルバムである。はっきりしたことは分からないのだけど、ズボンズはもうこのメンバーのまま最後まで行くんじゃないかと思う。現時点ではこれ以上のフォーメーションは求め得ないだろうと、リーダーであり「ロックスターの空気を自然に纏った男(@エルパソのライブ評←これが嬉しくてネ~。)」ドン・マツオは思うのである。いずれにしても、これからどうなるか、というよりも現時点で出来うる限り最善、というのがズボンズのスタンスである。その点に関しては、いつでもどこでも厳しくやっているのです。

 ずっと書いていなかったので、書き始めるとすごく長くなりそうなので、この辺りで。お、もうL.A.でのライブ会場へ向かう時間か。さて、アメリカツアーもあと2本。がんばりますです。
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by dn_nd | 2011-03-31 19:52

Z.A.T.#12「ボクらの意思は。」
 TexasはAustinでのSxSWフェスティバルも終了。なんとも人が多く、酔っ払いとビジネスに溢れていて、どうにもボクには馴染まない3日間だった。どうにもああいう大きなフェスティバルというものの中にあっては、音楽そのものにあまり敬意を払われていなくて、「その時だけ盛り上げればいいや。」的な一過性で済まされる部分があって、どことなく虚しい。良いとかすごいとか、いくら言われても「どうせ明日には忘れてしまうんだろう。」なんて思ってしまう。いくら大勢の人達がいたとしても、空虚なものがいくら束になっても、カラはカラなのだ。(その意味で、業界そのものがカラである。)何をやるにしても確かな実感が欲しいんだ、ボクは。(とは言え、ズボンズはWiredが選ぶ「必見のバンド、ベスト10」に選ばれ、それなりに評判でもあって、ライブは盛り上がったのだけれど。)

 国境の街、El Paso。もはやここはアメリカであってアメリカではない。Austinで占めていた白人の率はグッと減って、ほとんどチカーノで、英語とスパニッシュが半々くらいになってくる。こういう具合に人種が混じったところは、やたらと活気があって、ボクらもブリブリに飛ばした演奏をした。こういう演奏はなかなか日本では出来ない。(あえて言えば九州か。)ビール瓶は飛んでくるわ、でっかいバスケットボール選手みたいなのに抱きしめられるわ、とんでもない騒ぎだった。とても良かった。

 そのEl Pasoで終演後にこう言われた。お前らはすっごいエネルギーでぶっ飛ばして、ノイズもバリバリやってるけどよう、その基本にあるのはクラシックなロックンロールだな?レッド・ツェッペリンやThe Whoとかストーンズとか?な?すげえよ、こういうことやっているバンドはもうアメリカにもイギリスにもいないんだ。ほんとお前らは完全にオレをブロウ・アウトしちまったよ・・・。
 また、アメリカのレーベルの女社長Nadineも「西洋で生まれたロックンロールが海を渡って、ファーイーストのズボンズが完成させた。」と言ってくれる。
 
 こういう風に言って貰えると、自分のやってきたことがやっと理解されているように感じて、実に感無量である。ボクは何も革新的なことや破壊的なことをやろうともやりたいとも思っていない。ただひたすら真っ当に自分という人間を育んでくれた音楽を引き継ぎたいと思っているだけである。そこには個人的なレベルでのメッセージなどないと言ってもいい。ただ良いものを良いままに、フレッシュなものとして引き継いでいるだけである。ただ街のパン屋のようにコツコツとやっていくばかりである。

 さて、ほぼ20日間続いたライブも、ようやく明日は一日休みである。なんとその間にズボンズは23回もショウをやっている。そして明後日からOaklandで一週間のアルバムレコーディングが始まり、その合間にも明後日に1本、土曜日に1本とライブが入っている。レコーディングが終了した(してれば良いけれど!)翌日には、また8時間ドライブしてライブを2~3本やって、おそらく満身創痍での帰国となるだろう。(つまり、まだまだ全然終わってないということですね。)このようにハードなスケジュールでやっているバンドは少ないだろうと思う。それでもズボンズは俄然元気に音楽に取り組んでいる。もちろん誰も文句の一言もない。素晴らしいチームであり、ボクの誇りである。演奏も、自分で言うのはちょっとだけど、そうとう良いと思っている。とにかく良いライブをやり、良いレコードを作る。このシンプルなミッションの、その達成だけがボクらを支えていると言って良い。がんばるぞ。
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by dn_nd | 2011-03-22 10:19

Z.A.T.#11「これから世界は。」
 疲れもピークに達し、なんとも虚脱した状態でコロンバスへ乗り込んだ。しかし、これは一体何事かというくらいに疲れている。ホテルにチェックインし、例によって壊れているギターを修理していると、もうロードインの時間である。ふらふらの体で今日のヴェニューへと向かう。着いてみると、誰もいない。マッタさんが、どうも全然宣伝されてないらしいと言う。嫌な予感がする。今日はオハイオ友達のThe Valley Boysと2バンドだけでのライブである。彼らが始まっても客は数人しかいない。そして、ボクらの本番になっても、人数はほとんど変わらなかった。まぁ、いいさ。ここはアメリカだもの。こういう日もないと厳しさを忘れちゃうよ、などと嘯きながらも、いつものエネルギー全放出的なライブはとてもやれそうになかったので、試しに新曲ばかりでセットを組んでやってみることにした。曲は演奏を重ねることで、より肉体性を纏ってくる。曲それ自体が生き物のように、しなやかにのびのびとしたものになる為には、どうしてもオーディエンスの前で演奏し、その反応を「身体」で感じながら育ていくしかない。その意味では、待ったなしの崖っぷちでのライブをやらなければならない毎日のライブセットの中では、様子を見ながらの新曲の演奏を試したりは殆どできないので、良い機会だったように思う。演奏が終わってもいつものような高揚感はなかったけれど、新曲に関してかなり「実感」を掴むことが出来た。ここからの成長を望みたいところだ。

 朝早くメンフィスへと向かう。今日は9時間半のドライブを予定している。車内でU.S.A.Todayを読んでいるが、連日日本の震災の報道が一面と、大部分の紙面を飾っている。事態はこちらでも把握できる。しかし、それに対して自分が出来ることが何かということへの解答を見出せないでいる。あまりにも事態が大きすぎる。こちらの新聞では日本人のこのような非常時での民間人の自然なお互いの助け合う姿をネイティブ・アメリカンの精神を引き合いに出して褒め称え、評価している。これは本当に素晴らしいことだ。一方で、原発のメルトダウンへの一発即発的な状態や、万が一それが起こったときに世界のエネルギー政策への多大な影響を大きく心配している。世界が大きく舵を切る瞬間が来るかもしれない。人類のエッジに立っている日本、というイメージは、ボクから恐ろしく強く、コントロールのきかないエモーションを引き出す。これから世界はどうなっていくのだろうか。
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by dn_nd | 2011-03-16 04:20

Z.A.T.#10「デトロイト~コロンバス。」
 Motor Rock City、デトロイトでのショウの日はSt.パトリック・デイといわれる祝日の日で、その日は昼からパレードが行われたり、お祭り騒ぎで飲みまくってたりするので、夜にはみんなウチに帰ってしまうからお客の入りが危ぶまれていたのだけれど、案外沢山の人でにぎわっていて良かった。それでも、いつもと違って、みんな多量のアルコールや、その他の「酔う」何かを摂取しているようで、どうもお客の動きが掴めなかった。ジョニー・サンダースだとかDevoだとか、色々な人が勝手なものを引き合いに出してほめてくれた。(ほめてくれていたのだと思う)なにしろ相手は酔っ払いである。

 前にデトロイトでライブをやったのははるか10年以上も前の話で、その時はジェニトーチャーズという結構有名なヘヴィメタルバンドの前座で、会場も巨大な70年代そのままのディスコティックのようなホールだった。客席の真ん中に7色の電飾のお立ち台があったのをよく覚えている。まるっきり「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」の世界である。そこに全身タトゥーを入れ、鋲付きブラックレザーを身に纏ったヘルスエンジェルスのようなヘヴィメタファン老若男女が沢山集まっていたのである。その雰囲気の迫力や、同行していたレーベルの人間から「この辺りは危険だから、会場から一歩たりとも外へ出ないように。」(言外に、あんたたちはすぐどっかフラと行っちゃうんだから、というニュアンスも読み取れたが)という忠告もあって、びびっていたボクらは逆ギレ的に無理やりな激しい演奏をやり、思い切りブーイングされたというBitterな思い出の場所、それがデトロイトである。(その時は「もう二度と来るもんか」と思っていた。すぐそういう風に切り捨て・逃げ切りを図るのはボクの良くない傾向の一つである。)今回は、なにしろ疲れ切っていたので、色々と考える余裕もなく会場へと向かったのだが、思いのほか人々はとてもフレンドリーで雰囲気も良く、デトロイトも悪くないじゃないの、と前回の印象をコロリと全面的に覆すことになった。いやいや、何と言っても仲良くすることは良いことである。Nice to see you.........Again!!

 カナダでの不眠不休のツアーを終えた我々は最早時間の感覚が目茶苦茶になっているので、ぎりぎりホテルのチェックアウト時間まで睡眠をとって、次なる街オハイオ州コロンバスへと出発である。道中の野良電波源であるマクドナルドに止まったりしてネットで日本の震災の状況をチェックするが、なかなか実際が分からない。原発が爆発?新たに遺体が1000人見つかった?

 このような大きな事件が起こったときに、この小さな我々は何をすれば良いのか?この疑問が付いてまわっているように思う。自分のやっていることだけに集中してやり切るのか、色々な仲間と相談して寄付を募るのが良いのか、どれも「自分」とは乖離しているような気がしてならない。また、何をやったところで、そこに薄い罪を感じるのは、きっとど真ん中の当事者ではないからであろう。そのように浮かんでは消えする感情や考えが、自分がどのような「人間」であるかを明らかにしていくようにも思う。

 ただ思うのは、このような時、ひたすら感情のドライブに任せて行動してはいけないということである。震災下というのは勿論通常ではない。通常と同じような生活、行動が出来るときではない。非常時マインドに切り替えて行動しなければならない。それは例えば戦時下と同じだと考えても良い。少しの停電や、少しの間の食料不足など大したことではない筈だ。このような時に我々はどのような状況にいる人間を最優先に助け、どのような展望に立ち、被害を大きくしないように食い止めるかであろう。日本の弱いところはそれを政府に求めることが出来ないところである。しかし考えてみれば、我々日本人はそれでもどうにかやり抜けてきだじゃないか、と思う。戦争の時だって、震災の時だって、テロの時だって、いつでもお上のやることはどうにもならないようなものだったが、現場の人間の力で潜り抜けて来れた事実を忘れてはならない。きっと今回だって菅政権はずるずるに滑りまくっていることと思う。そんなものを当てにはできない。残念だが、日本はそんな国である。しかし、人々それぞれは素晴らしい働きをするであろう。そう希望を持って回復を待つしかない。がんばれ。
(政府はとにかく原発の被害だけは食い止めなければならない。ここが保障されない場合、今後のエネルギー対策は世界で大きくシフトせざるを得なくなってしまうだろう。絶対安全どころか、危険極まりないというエネルギーを今後も使っていこうという国はないであろう。この最終ラインに責任を持てなければ、今後誰も政府を信用することは出来ない。ギリギリのエッジに立っていることを菅首相も自覚しているだろうか。)

 さて、日本国民でありながら、オハイオ州名誉市民でもあるズボンズである。今日もオハイオの小さな街でライブがんばるぞう。レッツ・ビギン!!
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by dn_nd | 2011-03-14 21:29

Z.A.T.#9「慈愛の心を持って。」
 トロントでの2回公演を終えて、アメリカに戻ってきた。震災のあったこちらでの木曜日の夜から、ものすごいエモーションの高まりで身体のコントロールが上手くいっていない。ボクはライブが続いてもほとんど喉を壊すことはなかったのだけど、今回だけは扁桃腺を腫らしてしまって、その痛さもあって連日1~2時間しか寝れなかった。しかもトロントに着いてからは、Canadian Music Week というかなり大きなフェスティバルへの出演だった為に(よく知らなかった)、早朝からTV収録用の演奏をし、そのままアフターヌーンショウをやって、すぐに夜のショウのサウンドチェック、インタビューと息をつく間もないほどの忙しさだったけれど、寝ていないボクと寝不足疲労のメンバーは一致団結して1pmからの夜のショウをものすごい勢いで終わらせたのでした。ホテルに戻ったのは朝の5時。明日は休みだったかな?いたデトロイトだよ。・・・・まいったねぇ。

 こちらにいて日本の家族や友人等の無事が確認出来て、被災していなかったとしても、海の底のような深い哀しみの気持ちが湧いてきてしまう。それを抜きにしてステージに立てないというのが実際である。プロフェッショナルなミュージシャンとは言えないボクらは、それをどうにか音楽に転化しなければ、リアルな演奏が出来ない。難しい状況であるが、日本にいる人々と精神を同調して乗り切るしかないだろう。がんばらなければ。

 アメリカであれ、カナダであれ、人々は実に慈悲に溢れているように見える。沢山の人々が家族の安否を尋ねてくれたり、見舞いの言葉をかけてくれる。アメリカに入国するときなどは、あの通常は軍人並に無愛想な入管の担当の人ですら、家族は大丈夫かと言葉をかけてくれたりして、そういう一つ一つに心が打たれる思いだ。アメリカはこれほど日本に同情してくれるんだ、という驚きでもある。こういう環境にいると、物事がまるで違ったように見えてくる。何というか、これが人間の本質なんだと信じたい気持ちである。

 日本でも、思いやりをもった行動・活動で今までと違うものを見ることがあるだろうと思う。人間にとって本当に素晴らしく美しい資質が、このような緊急時に出るというのは、嬉しい。まだまだ大変だとは思うけれど、みなさん頑張ってください。

 さて、ボクはそろそろ寝よう。
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by dn_nd | 2011-03-14 02:13

Z.A.T.2011#8「日常の奈落。」
 アメリカでと違ってカナダをツアーしていると、「一体この小さなオレがこんなところで何をしているのだろう?」というような途方に暮れてしまうような感覚を感じることがない。人々も風景も一見似たようなものなのだけれど。「充分注意していないとそこに落ちてしまう奈落」がそこにあるという空気はアメリカ独特のものなのだろう。それだけ人々は安心して気を緩めて生活出来るということである。我が日本はカナダよりも更に安心である。これは人間社会というものを安全性という面で見た限りでは、大いなる達成と考えて良いように思う。誰も「常に戦闘状態」というような環境に自分を配置したいと本気で希望する人はいないであろう。そこには物理的、精神的、現実的な暴力がある。

 ドライブしている時にラジオを聴いている。毎度々々「これだけ充分に名曲が世界にはあるのだから、自分が付け加えることなんてないんじゃないか」と思ってしまうが、未だに最良のRockと言えるような曲には、落っこちないようにがんばって、がんばっても結局奈落に落ちてしまう敗北感、無力感を感じさせるところがある。おそらくそこには(先進国の)人間が共通して持てる「リアル」があるのではないかと思う。「お前は大人になっても、努力しても、いくら偉くなっても、きっと奈落に落ちる。」という呪いである。アメリカという国は、その感覚を忘れさせない。だからこそ、それから逃れる為にがむしゃらに苦闘しなくてはならない。それは、神や運命と全面的に戦うということになるのかもしれない。いくらそれが自分で作り出した幻想だったとしても、アメリカの背負った十字架はそれだけ大きいのだろう。Poor Country。宿命の国なのだろう、と思う。だからこそ、彼らは偉大なアメリカ文化を創り上げ、世界を席巻することになったに違いない。20世紀以降のエンターテインメントの多くがアメリカ文化の大いなる達成に拠っていることに異を唱える人はいないだろう。それはその奈落のどん底を垣間見せ、そこからどう回復するのか、若しくは、誰もが奈落を感じているのだという一種の救済を与えてくれる。それが分かったところでどうなるものでもないが、それでも。

 人間が生きることはそんなにつらいことであろうか、という問いに簡単に答えることは出来ないが、すべてはコインの裏表である。日のあたる場所には影がある。ボクは個人的には安全で気を緩める社会の方が、間違いなくずっとずっと良いと思うが、ミュージシャンとしては感じるところがもっと複雑になってくる。音楽・文学・映画・絵画、あらゆる芸術表現活動とは、人間の背負った祝祭と呪いの本質を、形を変えて提示することである。ただ楽しいだけのもの、ただ美しいだけのもの、ただ事実そのままのものは長く人の心に訴えることは出来ない。(また、受け手としてもそのような「ただ何々」というものばかりを纏っていては、魂が薄っぺらなものになってしまうであろう。それはまた別の話だけれど。)安心出来る環境で「奈落」を見出すのは、深い洞察が必要になってくる。ただ眺めているだけでは、そんなものがあるようには見えない。しかしそれはボクらの足元で大きく口を開けて、落ちてくるのを待っている。「奈落」がなくなることはないのである。きっと、誰もがそれに気付いているのではないか。
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by dn_nd | 2011-03-10 16:20

Z.A.T.2011#7「典型的なサイコ。」
 Hamiltonで盛り上がりすぎて、気持ちが高ぶっていたからか、身体はくたくたに疲れているにも拘らず頭が冴えてしまって、寝れない。ベッドに入ったのが3時半で、9時に起きようと思っていたのだが、気付いたら5時半を回ってしまっていたので、まいったなぁと思いつつホテルのロビーに出て朝食(レーズンブラン。まぁ、いつものシリアルです)を紅茶と一緒に食べる。まったく人の影もないロビーでは大きなTVスクリーンがニュースを流している。カナダのどこか小さな町でサイコな殺人事件があったらしく、犯人のクラスメイトの女の子が半泣きでインタビューを受けていた。犯人は、クラスメイトにとっては、ごく普通の人間であって、彼がどうしてそんなことをやったのかまったく分からないし今も信じられない。どこの先進国でも良くある事件である。あまりに良くある話なので、ボクらはもはやそれに敏感ではなくなってしまっている。それも怖いことのように思う。(また、広いホールで一人きりでそういうニュースが響くのを見ながらシリアルを食べているのもまた、サイコの一種みたいだな、と思う。)

 しかし、そのようなサイコだが「よくある事件」というもののリピート性が引っかかる。犯人はそれなりの心の屈折があるのかも知れない。社会の中に於いて「自分」という存在の「不確かさ」や「受け入れられなさ」、画一化されることへの恐怖と反発があるのかも知れない。それでも起こした事件は画一化された判で押したような、どこかで見たような犯行であり、動機もまた然りである。そこにはまったく「確かさ」やオリジナリティはないじゃないか。ひたすら「どこかで聞いたような」動機で「どこかであったような」事件を繰り返しているだけである。社会や生きることに対する不安、というものが、結局TVや雑誌から仕入れたものを自分の中から生じたものだと勘違いしてはいないだろうか。「不安とは、こうあるべきものです」「トラウマとは、こういうもののことです」とメディアで流されている典型的なハンコを簡単に受け入れてはいけない。それは本当の自分の感情ではない。そう感じなければならないということもない。騙されてはいけない。

 誰もが自覚のないまま「典型的」な行動をとっているように見える。自覚のないまま「典型的」な感じ方さえしているように見える。酔っ払いは「典型的」な酔っ払い方をし、アーティストは「典型的」なアーティスト的な壊れ方をし、個性的な人は「典型的」な個性的な人であったりする。そこに、それでいいとか、これしかないんだオレは、という自分の了解が為されているのだろうか。結局「典型的」なことをやってしまう人間は大きなシステムに対する敗北者である。システムが押し付けるものを受け入れてしまっている者である。果たしてそれが人間という生物の成れの果てなのであろうか。クリエイティブな生物として特別な命を与えてもらっている人間はここまでしかなれないのであろうか。

 朝10時半に出発して、次なる街Kingstonに移動する。今回で3度めになるが、今日は同じ会場で2回のショウがある。寝てないボクには、きつい。1回目のショウはキーボードの音が出なくなったり、メンバー間の息が合わなかったり(きっとボクが寝てないせいで、サインの出し方が甘かったのだろう)して、とりあえず終わらせたという感じだったのだけれど、2回目は失敗から学んだことを生かして、とても良いライブだった。失敗から学んだことは、長いこと生きる。そのようなことは失敗からでないと学べないというこでもある。出来れば失敗はしたくないものだけれど、そこから自分だけの教訓を得れないのは、もっとも意味のないことである。もうくたくたに煮込まれたうどのように疲れ切ってしまったけれど、2回ライブがあって良かった。秋にまたツアーで来る時はKingstonのフェスのヘッドライナーとしてやって欲しいと言われている。そのうち名誉市民になれるかもしれない。(そうそう、ズボンズはアメリカ・Ohio州の名誉市民なのです。実はボクも知らなかった。だって賞状もメダルも住民票もないんだもの。でも、とてもうれしいですね。)

 さて、明日は(今日か)TVのスタジオインタビューと4時間ドライブして、べーグルの美味しい街Montrealである。さすがにカナダに入ってから寒い。このツアーでの最北端Montrealは日中が零下だと聞くが、どうなのだろう。べーグルを食べれるのが嬉しい。
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by dn_nd | 2011-03-09 10:51

Z.A.T.2011#6「ライブ前/ ライブ後。」
 ライブが連日続くと身体は疲れていく。勿論。休みが欲しいと思うけれど、ほんの一日でも休みを取って次のステージに臨む時に、身体の反乱にあう。休みに入ったと分かると身体は、リカヴァーする出来るだけの休息を求めてくるのであろう。この時、頭と身体は離れてしまい、上手くコネクトしない。頭ではステージに上がるコンディションに持って行きたいけれど、身体はずるずるともっと休んでいたいと言う。細胞のストライキである。要するに、今がそんな状態だと言いたい訳です。ストライキとは言っても、賃上げで済む問題ではない。(身体にとって賃上げとは何か?ご飯を沢山食べることだろうか?ちなみに今日の食事は朝:コーンフレークと豆乳、昼:チャイナタウンにてロースとダックご飯、夜:昨晩の残りのべーグルとにんじんマフィンと・・・・今MattaさんがTim Hortonでボストンクリームというドーナッツを買ってきてくれました。うん、こう書いてみるとストライキがあってもおかしくないですね。)まいった。こういう時はコーヒーでも飲みながら甘いものを食べるに限る。栄養の偏りなんかクソ食らえである。

・・・・と書いたところで「DON!出番だぞ!!」と呼ばれて、ドーナッツをもぐもぐ頬張りながら、Mattaさんに現地調達してもらったTシャツに着替えて(なんと着替えすらホテルに忘れてきた!バカ!!)、心の準備もなくステージに上がったのでした・・・。今はライブも片付けも終わって、車が来るのを待っている短い時間を使って書いています。Matta&Pittの酔っ払い組は生ビールを飲んでいます。外はものすごく寒いのだけど。
 今日のイヴェントは2フロアを使っての長いもので、ボクらは2階のメインステージ(というのか)のトリでしたが、メインステージはずっとあまりにハードにロックしすぎてたので、初めてやるスウェートな新曲"My Big Friend"で始めてみました。とても変わったセットだったけれど、大いにウケていたので、良かった。何度もやっていて、いつもウケる場所はかえって常にプレッシャーである。走り高跳びのバーをどんどん上げていくようなものだ。まぁ、とにかく、今日はこれでおしまい。ギリギリ、飛び越えれました!
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by dn_nd | 2011-03-08 02:14

Z.A.T.2011#5 「生物的歴史」
 N.Y.C.で活動している日本人女性4人組The Hard Nips(あのキューピーマヨネーズのCMで曲が使われている)のメンバーにアメリカでの生活の話を聞いた。
 本人のクリエイティブという自由な部分に関しては、断然NYCの方が良いという。アーティストのコネクションも出来やすいし、誰もが自分の好きなことを追求しているので、羽目を外して思いっ切りやれるというところであろう。一方で、こちらで結婚もしていて、ということになってくると、子育てをどうしていくか等、「普通」の生活をするのにアメリカはちょっと大変だということである。いわゆる貧富の階層化が極端に進んでいて、子供の教育に関しても、公立の学校なんかだと、教え方も適当になってくるし、子供達も小さい頃からギャングみたいなことをやっていたりするし(子供がひったくりをやったり、コンビニ強盗をやったりするのは未だに日常なのである。いじめも半端じゃないらしい。)、先生自身が悪いことに手をつけていたりと、聞いただけでとても通わせたくないものだけれど、私立の学校にやるには「かなり」お金が必要になってくるのである。お金のある人はそれなりの高い教養と安全を手に入れることが出来るが、そうでない人は同じようには成長していけないということであろう。

 そういう話を聞いて感じるのは、アメリカの自由とはあくまでその人「本人」に限定された自由であって、そこには保険や補償はないということである。確かにアーティストが自分の可能性を思いっ切り開拓し、出来る限り高い所まで持っていくという部分に於いてや、ただ「自分」が普通に生活していく分には良いのである。思いっ切り「自分」の人生を楽しむことが出来るような気がする。しかし人間というのは、やはり家族を作っていくものだし、ひとたびそれを自覚すると、自分とはなんと長い生物的歴史を背負っているのだろうと愕然とすることすらある。(何しろ何億年という単細胞からの繋がりがあるのだ。実際に!)その脈々と続いてきた歴史を「自分」という個人が「自分」のちっぽけな欲望の為に「はい、ここでストップ。おしまい。」ということにするには、とても大きな決断が要るように感じるのである。また、子供が自分よりもだらしなく教養も低く、貧しくなっていくことを歓迎する親なんているわけがないと信じる。親としては、自分のことよりも子供のことを優先して考えなければ、と思う。それはいつでも「未来」というものが善きものであるようにという、根本的な願いではなかろうか。ボクはそういう「良心」を捨てて生きていける人間は、生物としてかなり問題があると思っているのであります。

 ともかく、日本という国は無個性で画一的で、反対にアメリカは個性的で多様性があるという具合にネガティブに捉えられている部分もあるのだけれど、大きな「人間的」視点に立って見てみると、なかなか簡単に結論付けられない。すべてに良い面悪い面があるというのは、昨日も書いた通りであります。そこをまぁ、ちょっとづつ良い方向にグッグッと、大きな石のお金をギャートルズの原始人達が運ぶように、動かしていくしかないです。

 お?ナイアガラの滝に出発ですかな?
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by dn_nd | 2011-03-07 08:00

Z.A.T.2011#4「神様が決めたこと。」
 N.Y.C.での二日間のライブが終了した。初日はBrooklynのBruar Falls。前日のAthensでのワイルドな夜と睡眠不足に加え、最終的に11時間のドライブの後だった。更に、セッティング中にマッタさんのDX21(キーボード)の内部が壊れてしまったらしく、音が出なくなってしまって、使ったことのないかっこいい新型の赤いキーボードを急遽前のバンドから借りてやることに。シンセサイザーはギターみたいな単純な楽器と違って、操作が非常に難しい。ボタンも100個くらいある。しかし、やるのだ。違う音しか出ないとしても、当然のようにやるしかないのである。毎度同じプレイが出来ないとしても、音を小さくしてその場しのぎをしてはいけない。むしろその上に新しいものを加えるつもりでやるのである。

 翌日、ManhattanのThe Studioでのライブ。1曲目の最初のギターのカッティングで5弦が切れてしまう。もちろん、当然のように演奏が止むことはない。演奏しながらチューニングを整えながら、最後までノンストップである。(ボクは最終的に弦が3本しか残っていないという状態までは踏み止まれる)5弦はキメで使うことの多い弦なのだけど、演奏しながらポジション移動を確認しながらやるのである。(次のバンドがMCで「オレ達は弦が切れたらセットをやめるけど」なんて言ってた。ハハ。)

 このような不測の事態で脳は高速回転し、物凄い情報交換のパルスが飛び交っている。現状をそのまま流しつつ、一歩先にやらなければならないことを瞬間的にシュミレーションし(例えば、5弦7フレットの音を6弦12フレットに移動してリフを連動させる、とか)、その次に来るべき音楽を読み取り、その為に必要な動線をチェックし、とそれはもう大忙しなんである。本当に人間の脳はどうなっているのでしょうね。

 しかし一方で、考え・判断しているのは果たして脳だけなのだろうか、とも思う。脳が考え、それを伝達して身体の部位が動く、というのが当たり前の考え方ではあるけれど、ボクの実感としては、それだけでは説明がつかないような気がしないでもない。つまり、脳が判断を下す前に身体の現場の方が先に行動している場合も多いのではないか。手は、指は、足は、腰は、それぞれがそれぞれの判断を下し行動し、その後脳が認識するという逆のプロセスではないかと思い起こすことも多い。(例えば熱いやかんを触った瞬間なんか)そして、身体が判断した行動は何よりも早く力強いようにも思う。(どうも同じことを前にも書いたような気がするなぁ・・・・。というか、こうして文を書いているのも、考えながら書いているというよりも、筆の進むに任せて書いているので、「ありゃ、どうしてこういうことを書いているの?」と思ったり、後で読み返してみると、書いた内容を思い出せなかったりするのである。)人間の不思議の宇宙、その可能性はまだまだ内在しているということなのでしょうか。

 N.Y.C.のマンハッタンは、ボクにはどうも馴染まない街である。(ブルックリンは好きだが。)人々はニューヨーカー的に一生懸命気を張り、着飾り、New York City Lifeを謳歌しているが、それは人間のキャパシティを超えているように見える。人間が欲望のままに生きる自由はあるだろう。しかしその「欲望」が物質主義的なものに大きく傾いてしまっているとき、そこに自然が作りだしてくれた人間の美しさは失われ、ただ空虚がグラマラスにドレスアップしているだけになってしまう。それは醜い姿である。自然の中で動物は醜くなることはない。醜さは、唯一魂だけが醸し出すものである。一方で、その欲望の際限の無さが、文明のドライブを産み出すことになる。勿論、どのようなことにも良き面と悪しき面があるのである。参ったね。

 さて、今はアメリカ/ カナダの国境を越え、ナイアガラの滝近くのモーテルに着いた。(また11時間以上ドライブした。ふー。)明日はトロントにて取材後、Hamiltonという街に移動してライブである。そうそう、PittとMattaさんはどうしても滝に行きたいようである。ズボンズの酔っ払いチーム。ボクとムー氏はその裏面である。まぁ、何事も両面が揃ってなければならない、と神様が決めたのでしょう、きっと。
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by dn_nd | 2011-03-07 02:05
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