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D9T#8 「壁紙で、既製品で・・・。」
 佐世保ガアネットでの美味しいピザを中心とした打ち上げの後、ベースを弾いてくれたベントーくん宅へ。朝起きて窓を開けて見ると、眼下遠くに港が見える。ここもまた坂の上のアパートである。曇っているが、良い風が吹いている。毎日をここで過ごせたら良いな、と思う。もっと年を取り、赤毛のアンのマシューのような爺さんになれるだろうか。ボクらが、そのように上手に年を取っていけるのか分からない。

 顔や身体をいじってまで、いつまでも若くありたいという時代である。ボクはどちらかと言えば、若さをのみ礼賛する人間ではない。年を取って近所の頑固ジジイになって、子供達に怖がられると云うのが昔からの夢なので、早いとこそうなってしまいたいのだけれど、思ったより年を取るのは難しいのである。勿論、生物の必然として、年齢と共に容姿は老いに向かって行くのであるが、それに伴う精神的な成長というものを、ボクらは出来ていない。気分は20代の頃の子供のままで(本来なら20代ですら子供であってはいけないのだけれど)、精神的成長する努力も、年齢相応な社会的・人間的責任を受け止める覚悟もないまま年齢が重なっていくのは、情けなくもあり、ある種の恐怖もある。

 しかし考えてみると、もはや近所に頑固ジジイは存在しないし、威厳を持った年長者に会うといったことも少ないように感じる。世界中が経済・効率の名の下にそのような年長者を生産性がない者として老害扱いして、社会の邪魔者と日に陰に刷り込んでいるのである。大いに危険だと感じる。これは、「自分だけは年を取る筈がない」と奢っているからである。自分が年を取り、みっともなくなり、身体が言う事を聞かなくなる日が来るという想像力を持ち得ないから、そう思うのである。人間は必ず年を取り、老人となっていくものだ。現在のように老人に邪険な社会しか待っていないとなれば、人生の末路に明るさを見出せる人がいるだろうか。最後は結局あんなに惨めに人生を終わらせなければならないのだ、と。

 東京の建売住宅が立ち並ぶ住宅街の中では、老人がみすぼらしく見える。地方の、まだ昔の顔が残っているような古い街では、同じような格好をした老人達も、全然みすぼらしく見えなかった。新しく、効率が良い街に、壁紙や既製品のフローリングで囲まれた快適で小洒落た住宅に、"老い"をまとった人間は(動物は)うまく落ち着くことが出来ない。そのような空間に落ち着ける人間は、そのような人間だけだからである。(壁紙で、既製品で・・・・・・)都市生活というものは人間存在よりも繁栄や経済を優先しているのだろうか。それを謳歌していることは、つまり、自分の人間存在をより小さく価値の無いものにしてしまう作業に、積極的に加担しているのではないか。プリンスエドワード島でマシューは毎日どのように"存在"していたのだろう。ボクらはここ(今は東京だ)にいて、同じように年を取ることが出来ないだろうな、と思う。

 ベントーくんのアパートの下から婆さんの大きな声が聞こえてくる。(長崎弁である)コンビニでないが、色々と何でも売っている商店の爺さんがそれに受け答えしている。坂の上までごちゃごちゃと建っている家群。その下の先は港である。この街が都市化し、整然と"計画"され、爺さんの商店が"本物の"コンビニとなることで得るものは、失うものの価値とは比較にならないだろう。やはり幸せは都市にはないように強く感じる今日この頃である。
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by dn_nd | 2011-06-23 10:03

D9T#7 「Create & Communicate」
 佐世保は県としては長崎なのだけれど、長崎にいた当時は、転勤でたまたまそこに住んでいた叔父を一度訪ねに行ったことがあるくらいで、ほとんど馴染みのない場所であった。(その叔父がいつもお土産に持ってきてくれていた蜂の家のシュークリームだけは良く覚えていたですが)初めて佐世保にバンドで行った際、高速道路を降りて最初に湾が見え、海軍の船舶が停泊しているのを見た瞬間に、この街が好きになってしまった。佐世保もまた美しい街である。美しい街は人が少ないアーケードであっても、それを損なう印象を与えない。

 こうして佐世保に来れるようになったのも、この街のロックの総元締め"ハウリング・セッタ"伊達さんと知己になったからである。彼とは佐賀のソロライブで対バンとして知り合った。佐世保という街は小さい。音楽を愛好する人間のコミュニティーもずいぶんタイトなのだろう。佐世保で、音楽好きの仲間達は余計なプレッシャーに動かされることなく、のびのびと音楽をやれているように見える。そしてそれは、"ハウリング・セッタ"というメンターあってのことであろう。良い年長者のいるところでなければ、コミュニティーもほどけていってしまうものだ。

 そして、これからの日本の音楽愛好家達が求めなければならないのは、そのような親密でアナログなコミュニティーなのだとボクは思っている。インターネットを介してのコミュニケーションも「無い」とは言わないけれど、やはり基本は人と人が顔をつき合わせてやるものだ。他者と直に関わるのは、ある種の面倒さと我慢が必要となる。しかしその「我慢」をこなしていくことで、「自分」という人間をより理解するようになるし、明確にリプリゼントすることが出来るようになる。「自分はこのような人間です」というのを容姿でも言葉ででも、態度や場合によってはオーラででもハッキリと外に示すことが出来るようになれば、より他者からの理解も得やすくなり、コミュニケーションはスムースになっていくのではないか。(おっと、脱線しかかっている!コミュニケーション考に関してはまた改めて。)

 今回佐世保の会場は、ガアネットという喫茶店である。昨日の長崎ではバーだった。人によっては「こんなところにズボンズを呼ぶなんて。」などと言って気を使ってくれることもあるが、ボクはちっとも構わない。と言うより、アメリカツアーでやっているのはいつもこのような場所である。狭かろうが、機材が乏しかろうが、PAが無かろうが、その目の前にあるもので最大限のパフォーマンスをやるというのは、ロックバンドとして当然の義務である。ボクはロックミュージシャンであって、ロックスターではない。(一応書き添えておくと、ガアネットもパニックパラダイスも機材も音響も全然問題無いレベルである。もっと酷いところは沢山ある。むしろ、東京の機材もPAも照明もバッチリ揃っている四角く冷たく「鳴らない」ハコよりも良いように、ボクは思うくらいだ)

 リハが終わり、アーケードの自然食品店で買ったお弁当をベンチで食べていると、共演の"オトヒトツ"が、リハを終えて路上パフォーマンスをやり始めた。足を止めて聴く人もいれば、何もないかのように通り過ぎる人もいる。パトロールのGIも通る。ここではそれは一つの風景のように受け入れられているように見える。それで良いじゃないか、とボクは思う。後で聞いたところ、彼らは下北沢で同じことをやっていたら、止めさせられたと言っていた。東京では誰もが苛立っていて、自分の欲するもの以外の存在を簡単に許してはくれない。例外を容認することが出来ない。(それにしてはお店がクダラナイ音楽をチープなスピーカーで鳴らし続けるのは構わないようだけれど。そこには何のコミュニケーションの意志もないから煩わしさも感じないのかも知れない。)

 ボクのソロでやるライブは、クリエイト(create)とコミュニケーション(communication)をステージで実演している、とも言える。ボクはバンドに向かって語り始めるけれど、それから先はバンドのそれぞれがどのような返しをしてくるかでクリエイションは違うものになる。と言うよりも、クリエイションはあくまで結果であって、ステージ上では延々とコミュニケーションをやり続けているだけである。それは"言葉"での論理のやり取りではない。やり取りとは言えないのかも知れない。ボクらは音楽のキャッチボールをしている訳ではない。一旦そこに「入る」と、全員が自分という小さな存在ではコントロール出来ない「音楽」という存在を感じることになる。何度も書くことになるが、後は「音楽さん」に存分に楽しんでもらえるように奉仕するだけである。そうして、演奏者も観客も同じ「夢」をそれぞれの視点から見るようになる。

 ライブはとても良かった、とは感覚としては残るものの、細かいディティールは思い出すことが出来ない。(また、このように日をおいて書く場合には尚更だ。)何しろボクらは一緒に同じ夢を見ていたのである。その時ボクらは個人であり、全体であった。それぞれがどのように感じたのか、ボクには知りようがないけれど、そこに「音楽さん」がやって来て、祝福を与えてくれたのは間違いがない。
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by dn_nd | 2011-06-20 06:38

D9T#6 「Tokyo, Nagasaki。」
 引き続き大雨が続く中、バスに乗って熊本から長崎へ。九州の場合は、バスのネットワークが発達しているので、安価で方々移動出来るのが良い。でも、もしかしたらボクが長時間の車移動に慣れているからそう思うだけかも知れない。車の移動は地続きなので、ボクはやはり一番好きである。

 長崎はボクが18歳までいた街だ。まだいた頃に歩き回っていたどの場所にいても、やり場のない思いを抱いていた思春期の自分がいるように感じる。その時の心が立ち上がってくる。年齢を重ねるということは、一方向に階段を上がっていくことではなく、それまでの「自分」を年の数分背負い込むことのように思う。そして、若い自分は、今の自分ほど賢くもなく、タフでもないけれど、その時にしか持ち得なかったパッションやエモーション、エネルギーを持っているので、一概に年を取り賢くタフになることだけが人間の価値が高くなったとは言い難い。特に創作をする人間にとっては、「未熟な自分」の持つ、未熟さだけがそれを与えてくれる感性を如何に失くさないでいられるか、言葉を変えて言うと、「未熟で愚かだった自分」を「今のより賢い自分」とどのように平行に「生きさせる」ことが出来るか、それが重要になってくる。なので、年の数だけ存在した「未熟なボク」を平行に生かしたまま「今の自分」として生き、そのすべての「自分」の感受性や思考を微細に「今」感じ取ることが出来なければならないように思う。8歳の自分、18歳の自分、28歳の自分、とそれらその時のかけがえのない自分を「今」の自分の中に鮮明に立ち上がらせることが出来るか。忘れないでいるというのは、なかなかヘヴィな生き方だと思うが、アーティストはそれをやり、苦しむことで存在が許されるものである。そうすることで、何かを「世界」に提示出来るのだと信じる。

 長崎は地形的にアップダウンが激しく(自転車はほとんど役に立たない)、市街地を離れると案外昔のままの町が残っているようだった。ボクが生まれ育った町も(実家こそ無くなっていたものの)昔そのままだ。急で長い坂を上り、長い坂を下る。まっすぐに伸びている道というものは無く、細かい路地があちこちから派生している。下りの次は上りを、と繰り返すのである。幼少の頃からボクの「世界」はこのような構造をなしていた。ボクにとって道というものは、長い坂の上り下りがあり、寄り道が出来るような抜け道や路地がふんだんにあり、曲線を描いていて、場合によっては目的地まですんなりと行かせてくれないものだった。これは実にメタファーに溢れたものだったように、今では、捉えてしまうだろう。そしてまた、ノスタルジーが成せる錯覚かも知れないけれど、長崎は他のどの街よりも美しいところであった。ボクらは小高い坂の上に登る。そこはちょっとした山だが、背後にはもっと深い緑を携えた大きな山がグルリと囲っている。そしてそこから下を眺めると港があり、船を造っていたり、行きかっていたりする。常にデコボコとした立体の中にいるのが、ボクにとっての当たり前であった。ボクらはランドセルを背負い、何十段もある石の階段を上り下りしながら30分以上かけて学校に通っていた。それが当たり前の子供にとって、それは何の苦でもなかった。

 今考えてみると、そのような幼少の環境がボクの感性に与えた影響は大きかったのだろうと思う。それは具体的なものとして指摘出来ないかも知れないけれど、このような美しさに囲まれて18年間育ったことは僥倖としか言い様が無いだろう。その感覚は自覚のないままボクの心へと刷り込まれていったのだから。だからボクは東京に出るのが本当に嫌だった。その緑も海も坂もない都市に自分の安心出来る拠り所を見つけることが長いこと出来なかった。もう長崎で育ったよりも長く東京で暮らしているが、今でも自分の拠り所を見つけれているようには思えない。そうして、今も坂があり、狭い路地があり、という場所を好み、今もそのような所に住んでいる。

 18歳まで長崎にいたボクだが、ギターを始めたのも同じ時期で、ボクは長崎にいる頃に音楽活動をやっていたことはなかった。(友人宅の二階でラジカセで演奏した2回ほどをのぞいて)なので、長崎出身であるにもかかわらず、「音楽」という今の職業を通してのコネクションはなかなか見出せなかったのだけれど、ようやくハンドルズや他の長崎インディーロック仲間とのコネクションが出来つつある。これはボクにとっては、何か新しい一歩を示唆することのようにも思う。時代もまた、東京集中というものの危険性を誰もが感じ始めている時である。自分の身の置き場所をどこに設定していくのか、誰もがそれなりの選択をしていくことになるだろう。

 さて、ハンドルズとのライブはそれまでの絶好調な「音楽さん」との楽しみを得ることは出来なかったが、そのことで「次こそは」という機会に発展して行きそうなので、むしろボクとしては嬉しいことになりそうである。会場のパニックパラダイスというバーの存在も、もっと親しいものになっていくに違いない。こうして失敗することで次に繋げていくということを無意識にボクがやろうとしていたのだろうか。音楽活動というのは長いタームのことである。終わりが来るまでその結果を語ることは出来ない。ミュージシャンも死後に評価が上がったり下がったりする場合があるので、終わりが来ても結果はそこにないとも言える。すべてその場・その時の暫定的な経過ポイントを見るしかないのである。それだけに、その場・その時にすべてを注ぎ込む努力をしなければならないというのもまた、真実でもある。

 長崎という場にいるからこそ自分の中に沸き立ってくる様々なエモーションが、18歳以降の東京で培ってきた/作り上げてきた「自分」と戦っているのだろうと思う。それが長崎でのナチュラルな演奏を阻害するのだろう。ボクは一度ここを捨て、二度と振り返らない決心をしたのであった。そうして年月を経て、その相容れない二つの融合を図ろうとしているのかも知れない。それがどのような「今の自分」を立ち上がらせるようになるのだろうか。それを飲み込み、受容できる器に自分が成長出来ているかにかかっているように思う。
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by dn_nd | 2011-06-18 12:36

D9T#5 「いつも夢を見て。」
 5日間のソロライブと長崎帰省を兼ねたツアーを終えて東京に戻ってきた。未だ関東は放射能の恐怖下にある。つい何時間か前までいた九州とは空気がまるで違うので、戸惑いがある。お土産で重くなった荷物を抱え、午後のそれなりに結構混んでいる電車に乗って自宅へと向かう。どうも今回のツアーでは東京で生活することへの疑問も一緒に持って帰ってきたらしい。さて、ボクはどうするのか。

 とりあえず、書けなかったツアー日記の続きを。

 土曜日、大学の頃の友人二人との一夜が明け(二人のいびきオーケストラが一晩中鳴り続けていた。聴いてみるといびきの音は、実に多彩である)、せっかくなのでスタジオにでも入ろうじゃないかないかと、出発する。外は、空から雷様が消防用のホースでザブザブ撒いているのではないか、というほどの大雨である。人吉にはスタジオがないということで、八代市へ。スタジオのない場所でキッズはどうやって練習しているのか、と聞くと、自分の家に機材を持ち込んでやっているのだ、とのこと。考えてみたら、ボクも一番最初に"エレキ"でバンド練習したのは、長崎のドラムを持っている友人の部屋で、大きいラジカセをアンプ代わりにしてやったのだった。(ちなみに最初にやった曲はUFOの"ロック・ボトム"である。ハハハ。)友人はギターを学校に持ち込むのがバレるのが怖くて、ネックを取り外してバッグにしまって持って行って、練習場でまた組み立てていたということである。人が少なくて、何も手本がなければ、そうとうワイルドなことをやってしまうものだ。

 八代市のスタジオは楽器屋と本屋が一緒になった店の奥に一つだけ部屋があり、マイクの音量調整は外から店のおやじさんがやってくれるという、やはりこれもワイルドなものだった。ここでこの地のキッズ達は練習しているのかと思うと感慨深い。ロックンロールはメンフィスのサン・スタジオから世界へ大きく飛び火して、熊本・八代市の楽器屋奥まで到達した。これほどの達成と考えると、何故かは知らないけれど、もっと自分も頑張らなければならないのではないかという気がする。それで、とにかく3人でStonesやらWhoやらBeatlesなどを演奏する。(ボクはドラムスである)そのまま近くの喫茶店(カフェでなく)へ行き、2歳年上の"先輩"にワッフル小倉&アイスクリームのせを奢ってもらう。これまた学生のままである。この先輩の実家は愛知県で喫茶店をやっており、老後はこの3人で喫茶店を継ぐ予定なのである。年を取った3人の男がやる喫茶店。ひとりは丸く、一人は痩せており、もう一人はその中間くらい。暇な時には古ぼけた客席に腰掛けて、オペラを聴くのである。

 そのまま今日の会場となるジャンゴへ。この日はボクがプロデュースしたザ・フルーツのアルバム発売記念のイヴェントなのである。音源は昨年の夏には完成していたのだが、ようやくのリリースとなった。フルーツは大学生のサークルで知り合った三人が、ただ好きだからという理由で、特に成功やら東京進出やらも考えず、地元で10年近くやり続けているバンドである。実際そのように活動出来ているグループが、東京にどれだけいるのかと思うと、やはり地方でワイルドに存在出来ることの強さを感じる。何といっても、東京は右肩上がりの成功や成長への都会的プレッシャーが強すぎて、「楽しいからやる」というシンプルな考えが、なかなか通用しない場所なのであろう。また、都会的な空気/考え方が情報のグローバル化によって、全国に広がっていっているのは、実に大きな問題であり、損失であると思う。ワイルドにやっていけないバンドは、その音楽もまた、どこにでもあるような骨抜き・肉抜きされたものになってしまう。(さて、一体何が残っているのだろう?)

 そのワイルドな場所で、これまで誰も指導してくれなかったバンド、ザ・フルーツだから、演奏のイロハも自己流で、まったく良く分かっていない。リハーサルではちょっと苦労して冷や汗をかいていたのだけれど、その時その場にあるリソースで最大限のパフォーマンスをやるのもまた、ボクのミッションである。技術や知識のないミュージシャンと一緒でなければ何も出来ない、というのはボクの沽券に関わる。さて、どうしようか。これはつまり、同じ言語を持たない者同士が、稚拙なコミュニケーションをとるような事である。更に、稚拙な言葉しか共有出来ない者同士が、濃密なコミュニケーションを図るにはどうしたら良いかという、トライアルでもある。こちらの意図を伝えるには、相手の分かる方法で持って臨むしかない。バンドには出来るだけ分かり易く、観客にはごくごく自然に演奏が成り立ってるように見せる必要がある。OK、腹を決めようではないか。

 しかし結果としてライブは、フルーツそのものだけの演奏を含む総計2時間に及ぶ大盛り上がりのライブとなった。正にワイルドそのものである。「音楽さん」は楽しい場にこそ居続けてくれる。「音楽さん」は成功や、薄っぺらな見せかけの格好良さには興味を示さない。常にその本質的な「ワイルドさ=自然」をこそ愛すのである。自分を愛してくれるものを愛してくれ、自分を喜んでくれるものを喜ばせてくれるのである。もう一つ、夢を見たい者だけに、夢を見せてくれると付け加えたい。良いライブをやることは夢を見ているのと似ている。そこには何か大きな意味が隠されている筈だが、本当のところは何だかボクらには理解出来ない。しかし、この「夢」をバンドも観客も共有することによって、それぞれの個人のデーターベースに何らかの形でファイルされ、それぞれの人生にひと味加えることになるだろう、きっと。

 終演後、ザ・フルーツの記念すべき1stアルバムは飛ぶように売れていた。本人達も大変喜んでいた。ボクも言うことはない。ウィスキーを飲んで、次の夢見に備えるだけである。
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by dn_nd | 2011-06-17 14:54

D9T#4 「都市の返せるもの」
 九州に入って感じるのは、やはり東京とは違って震災から来る落ち込みが少ないということだ。九州はいたって元気である。というよりも、東京の落ち込みが大きいのだ。それはもしかしたら問題の原発が都市圏の為の電力供給用のものだったという罪の意識を無意識下に持つせいないなのかも知れない。放射能の脅威というものに関しては、最早全国どこにいても同じなのだがと思いつつも、直接それが起こったか起こらなかったの違いは大きいのだろう。

 また、福岡の大きな街の中心にいても空間的なゆとりもあり、東京という都市の無駄の無さやせせこましさが、人間にとってあまり良い影響を与えないだろうことを実感させられる。「普通」な場所に来て初めて「あぁ、ボクらは異常なとこで暮らしているのだな」と分かるのである。

 食べ物はフレッシュで安い。田舎の方へ向かうと更にそのクオリティは上がり、値段は下がる。ボクらは一体何にお金を使い、どんな生活を維持したいと欲しているのか。

 熊本・球磨村の友人宅に行くと、お母さんがそそくさと自慢の品を持ち出してくる。猪鍋、巨大な鮎の塩焼き、笹の葉で包んだアンコ餅、自家製の栗の渋皮煮に辛子味噌。お母さん曰く、自分が食べるのではなく、他人が来たときに振舞う為に、お土産に持たせる為に、季節に大量に作って保存しているのだと言う。お土産を沢山頂く。都会人である我々がその恩をどうやって返すことが出来るのだろうか、ということを考えていたのである。

 今日は6・11ということで、反原発のデモが各地であるそうである。(熊本でもあるようだ)今いる日奈久温泉郷は、暴風雨である。部屋で友人達がStonesの"Gimme Shelter"を聴いている。1969年の歌だ。しかしそのメッセージは今現在でも有効、というよりも、今の歌じゃないか、と思う。
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by dn_nd | 2011-06-11 09:33

D9T#3 「音楽の器。」
 黒崎は、言っては何だけど、非常に寂れた街である。何度も訪れているが、行く度に人が少なくなっているように見える。街としては駅前の再開発などやって、景気を回復したいのだろうけれど、そこで生活する肝心の人間自体が増えなければ、なかなか活気を取り戻すことは難しいであろう。まだ一次産業が残っていて、美味しい野菜や魚などが現地で採れるので、お金が無くてもそれなりに「クオリティ」の高い生活が送れるのであれば良いのだけれど(所得と生活のクオリティは必ずしも一致しない。例えば高知での食生活と東京の食生活の「クオリティ」は一目瞭然である)、黒崎では何があるのだろうか。「この街はここが良いのだ」というものを見つけることが一番大事なのだが・・・等とブツブツ考えながら、リハーサル終了後に人のいないアーケードを小一時間ほど歩き回った。そのような街に今晩のハコであるマーカスはある。

 とりあえずマーカスが成り立っているのは、その歴史は勿論だけれど、そこで働いている人間がどうにかしようと頑張っているからである。また、大学の学生街でもある為に、学生の音楽活動の場としての需要もあるのだろう。学生は、ある一定の量は確定しているのかもしれないが、人間そのものは流動的に変わっていく。なので、マーカスでやる時は、いつもそれなりに気持ち良くやれるし反応も悪くないのだけれど、お客自体はいつも初見と見受けられる人間が多くて、不思議な気になる。その意味で、「この感じは前回やったから」とか「ココはこのような演奏が反応が良い」みたいな特色を簡単に決められないところもある。それが良いとも言えるし、難しいとも言える。

 今回バックを努めてくれたのは、ドラムスにマーカス店長の室くん、ベースに黒崎っ子のヤマネくん、ギターは初めてのストーンズ、ジョン・フルシアンテ好きの佐々木くんという布陣。午後2時過ぎにリハーサルに入る。昨日も書いたように、今回のツアーのミッションは「こっくりさん」ではなく「音楽さん」を如何に呼び寄せて、それをみんなで上手く演奏し、行くべき高みまで登り、あるべき形に決着をつける、ということである。その為にボクがリハーサルでメンバーに説明するのは、そのガイドラインと、ルールと(ドン・マツオから目を離さない。自分の出来る限りを尽くすこと。遠慮しない。)、サインの解釈だけである。何度かやったことのある室・ヤマネ組はそのやり方に慣れているけれど、佐々木は初めてなので、非常に引っ込んでいる。何度か演奏をストップし、激を入れ、必要以上をやらずに本番に臨むことにする。何れにしても、リハーサルでやった曲がまたステージで再現されることは無いし、リハーサルが上手く行き過ぎると、みんな何となく「こういう感じで行こう」と先入観を持ってステージに臨んでしまうので、結果、実際に本番での「音楽さん」の振る舞いに対応出来なかったりするのである。とりあえず、みんなに「とにかく全力で"自分の考えるあるべき音楽"を演奏するように伝えておく。後は、蓋を開けてみないと分からない。

 さて、本番はどうであったか。結果としては、予想を遥かに超えた、とても気持ち良い演奏が出来た。やはり「音楽さん」がどうしたいのかは、予想不能である。気まぐれで、自由である。そしてまた気付かされるのは、「音楽さん」もまた、こちらのやる事を楽しんでいるフシがあるように思えることである。と言うのも、まずボクが最初のディレクションを出す、ドラマーがなかなか分かってくれない。しかしそれをこっちに引っ張り込もうとせずにドラマーの方向にシンクロさせ、ずらして行くことで、「音楽さん」は違った表情を見せ始める、これもまた面白そうではないか、と興味を示すのだ。「音楽さん」の器は、ボクが考えているよりも遥かに大きいということか。または、ボクという人間の小ささだ、とも言える。そうして、そこから始まったステージに関してボクが語れることはあまり無い。すべて夢のようでもあるし、そのディティールの実感には乏しいのである。見てもらった人達に聞くしかないであろう。さて、あれがいわゆる「普通の」ライブであったのか。

 アンコールが起こってしまったので、まったく想定外の"King Kong"をやって終了。室・ヤマネの前回の経験組が手助けしてくれた。(Ahaha/Ahahaのコーラスまで!)福岡まで帰る必要があった為に、あまり長居出来なかったのが残念だけれど、とても充実した気持ちで帰路についた。帰って、マイク&ショウジ宅にてウィスキーを一杯。(ショウジくんは鬼盛りクリームのプリンを!夜中なのにね!)明日はOFFなので、熊本・人吉の友人と会って一杯ということになっている。さぁ、寝るのだ。一日の労働に感謝出来るのは、なんと幸せな事だろう。
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by dn_nd | 2011-06-10 22:14

D9T#2"「音楽さん」いらっしゃい。"
 個人ツアー初日、福岡・薬院ユーテロでのライブが無事終了しました。予想以上に気持ちの良いライブになって胸を撫で下ろしています。考えてみたら、今回のような「一人で乗り込んで、各地のミュージシャンとインプロヴィゼーションでロックする」というツアーは始めてかもしれません。(京都nanoではやっていたけれど、インプロする核となるメンバーは一応固定していた)その上、ここ1年はズボンズの活動に専念していて、インプロヴィゼーションだけでライブやるということを全然やっていなかった。

 ステージ上でインプロし、それをライブのショウとして(ロックショウとして)見せるというのは、ものすごい集中力が必要である。また、ステージ上の決まった時間内で間違いのないようにインスピレーションを「得る」為に、自分の(マインドの、か)ドアを「気持ち良く」オープンにしておかなければならない。「気持ち良く」というのがポイントで、それがなければ、「音楽」さんはドア入ってきてくれない。(考えてみれば、ごくごく常識的な事ではあるけれど)ボクの「音楽の作り方」があるとすれば、そのように「音楽さん」がドアから何気なく入ってこれるようにすることである。決して「招き入れて」てはいけない。あくまで「音楽さん」の自由意志で部屋に入ってきてもらい、徹頭徹尾伸び伸びと気持ち良くその空間で過ごしてもらう。「音楽さん」はその空間で思い切り好きに自由に活動を始める。ボクはそこで邪魔にならないように注意を払って、活動に滞りがないようにしなければならない。危険物は除去し、何か必要なものがありそうならば、それを「そっと」配置したり。その結果として外に表現されるものがボクの音楽となる。しかしボクはいつも思うのだけれど、どうしてもそれを「自分が書いた/作った」ものとは思えないのである。何と言っても、それはそこに存在するものだし、ボクのやったことは、ある種の「おもてなし」みたいなものだからだ。

 あたかもステージ上ではボクが指揮権を振るってあれやこれやと指図しているように見えるかもしれないけれど、おそらくバンドのメンバーが理解しているようにそれは「そうあるべき流れ」をサジェスチョンしているだけなのである。メンバーはステージで進行している音楽をすでに理解している。ボクはきっかけを示しているに過ぎない。そうでなければ、ほとんどミステイクも無しにワンステージを良い形でやり遂げる事は出来ないと思う。その意味で、各ミュージシャンは、意識的であれ無意識であれ、全員が「ドア」をオープンにしている状態にある。反対に、あくまで「自分の音楽」「自分のプレイ」をやると頭でがっちり決め付けてしまっているプレーヤーと一緒にあのようなステージをやるのは難しいものである。例えそのミュージシャンが非常に技術に優れたプレーヤーであったとしても。

 「気持ちが良い」というのは、本当に素晴らしい事だ、と実感した。当たり前じゃないかと言われるかもしれないが、「気持ち良さ」こそが全て人生の肯定に成り得るように思う。沢山の混沌があり、沢山の不安があり、沢山の不信がある。その「世界」で自分にとって「気持ちの良い」ことをやる、「身体の全細胞が喜ぶ」ことをやる、というのが何よりも大事なのだ。「音楽さん」が大事なのは、その一点に誘導してくれる所であろう。気付かせてくれることであろう。

 打ち上げの席で、Folk Enough井上くん、ポカムス藤田くん、Making Pancake矢野くんらと論じたのだが、九州のバンドは東京(もしくは大都市圏すべて)のそれと、かなりエネルギーの表出させ方が違うように見える。簡単に言ってしまうと、高いということだ。これまでも何度も九州を行き来しているけれど、このように感じるのは、かなり昔以来のような気がする。震災/原発後に起こった意識の組み換えがそう思わせるのか。最近はズボンズも(かなり)若いバンドと一緒にやることが多いので、比較すると殊更そう感じるのである。これが中央(というのも変な言い方だけれど)で通用するとかどうとか言う話ではないかもしれないが、このエネルギーの高さは九州のロックとして特殊なものだと、とりあえずファイリングしておこうと思う。現在、非常に独特のもので、考える必要あり、と言うことだ。さて、この後はどういうものを見せてくれるのだろうか。
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by dn_nd | 2011-06-09 09:06

DON's 9shu Tour(D9T) #1”ドーナッツとコーヒーの効用について"
 九州に入った。結構久しぶりなのだけど、あまりそのような感じもしていない。何故この時期にソロツアーを九州でやるのかについては、ハッキリとした特別な理由も目的もない。熊本でのザ・フルーツのレコ発イヴェントに出ることになっていて、ついでに里帰り旅行しようと思い、どうせ行くならば夜は時間あるので演奏出来たら良いじゃないか(実はそれほど沢山の”夜の友達”を持っている訳ではないのです・・・・)、持っていくのはギター一本で事足りるのだから、と(例によって)簡単な思いつきから始まったのでした。そうして熊本と、行く予定にしている長崎を足がかりにして、ゆかりのある各地に話を持ちかけ、ブッキングして、という経緯なのでした。どうもここ数年、ボクは自分の音楽活動を、いわゆる業界的なプロモーションの一貫とか、リリースだとかそういうものではなく、純粋に演奏する人間という感覚でやっているだけのようである。

 ただ、このブッキングを始めた頃(4月末か)、ボクは遅れてきた震災/原発クライシスでとことんやられてしまっていて、九州に帰りたかったのと、バンドも背負わず、大々的なソロツアーという訳でもなく、ただ一人のミュージシャンとして現地の仲間達と音楽を演奏し交わることでcureすることを切望していたのだ。ほとんど各地の仲間達は「New Stone Ageからやりますか?ドーナッツ&コーヒーは?」なんて思っていたようだけれど、ボクが今回やりたいのは、曲を演奏するのではなくて、純粋な音楽へのコミットメントなので、ソロツアー=ソロの曲を演奏するライブ、と考えて見に来られると、ちょっと失望させてしまうかもしれない。(一応Highway A Go GoとMo' Funkyはやりますけれど。枠をシッカリとキープ出来るように。まぁ、将棋でいう飛車と角みたいなものでしょうか。^^)

 さて、それが実現するかどうかはともかく、最近またFUNKモードへと近づいているのであります。ただ、一般的に言われているFUNK Musicとは、ちょっと違うものであろう。FUNKは、ある部分では抑制の美学と言うか、あくまで自分の自由意志に従わず、同じテンションやテンポをキープしたり、フレーズを繰り返したり、大きな音を出さなかったりするものだけれど、大音量でとことん自由意志に従い、流れるように進行していく、言わばサイケデリック音楽の身体を通したFUNKというものについて考えているのです。もちろん口で言うのは簡単なのだけど、実際それがどのような音楽的昇華をするのか、それはトライし続けてみないとボクにも分からない。なにしろボクは「身体」がその音楽/演奏を「喜ぶ」ものでなければやれない人間なので、頭で考え付いたことであっても、当然何度も何度もステージという衆目に晒されたプレッシャー下での演奏という場で試していかないと、自分自身が(というか、自分自身の"細胞"達が)「成る程、こういうことであるか。これは可、これは不可。」という具合に判断出来ないのである。その意味でも、今回のソロツアーは、ある種の混乱/混沌にあえてドボンと飛び込まなくてはならない。ショウとして問題なのは、そこから無事に戻って来れるかどうか、なのである。(そこで当然「飛車さんと角さん」が
ボクらを守ってくれるでしょう!)フリーフォームというのは事前に想定出来ることはない。しかし、危機的に外れてしまったときにどう持ち直すのかは、ある程度事前に細かく予想していればカヴァー出来るものでも、あります。どっかの事故だって同じことなのではなかろうか、とも思うな。

 昨日、福岡でのバックを努めてくれるポカムスのドラマー富重くんより、「お土産です。福岡で一番美味しいドーナッツです。」とハラドーナッツを頂きました。そして、いつものマイク&ショウジ宅にて美味しいコーヒーと共に朝食にしようかと思います。それは何らかの影響を今晩のプレイに及ぼすのでありましょうか。まだ混沌へ突入するまで数時間の猶予が残されています。その間にボクが出来るのは、想定外の事態が起こったときにどう体勢を整え直す事が出来るかの詳細なシュミレーションだけであります。それをやるのにドーナッツとコーヒーが「ものすごく」役に立つのは、間違いないですよね!
 
 
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by dn_nd | 2011-06-08 09:15

雑感#05312011
 通っている歯医者のロビーで流されているTVを見ると、お昼の時間帯で"芸能人"という肩書き以外には思いつけないような人達(つまり、俳優でもコメディアンでもミュージシャンでもなく)が、どこぞの美味しい「お取り寄せ」の食べ物を大絶賛している場面だった。前に来たときは、同じ番組で高級なタイ焼き(タイ焼きにトマトとモッツァレラチーズとバジルが挟まれていて、サラダと一緒に盛り付けられている)を紹介していた。このようなものをグルメ番組と言えるのかどうか分からないけれど、未だに人々はこのような空騒ぎするプログラムを好むのであろうか。少なくともTVの中では未だにバブル経済期の繁栄の気分に必死で縋り付いていたいようである。このようなものを誰もが見れる/フと見てしまうマスメディアで流し続けることは、国民の意識形成に於いてトンデモナイ悪害があるだろうと思う。

 その後打ち合わせの用があって六本木へ。そこもまた人々もお店も建物も「バブル・ゴーイング・オン」と言った感じで、「度」を見失ったままどうにか幻想縋り付いていたい姿のままのように見えた。偶然久しぶりに(5年ぶりか)会った音楽TV局のディレクターS氏に、「一体あなた達は何をやっているのだ」と開口一番挨拶をした。「実際あなた方はみんなでよってたかって日本を駄目にしようとしているのではないか」と突然言われたS氏も気の毒ではある。

 そのまま歩いて渋谷に出た。途中SNOOZERのイヴェントで演奏したクラブの横を通り過ぎた時に、かの雑誌も廃刊になるのだと思った。

 日本の繁栄はボクらに何をもたらしたのだろうかと、改めて考える。たくさんの食べ物に、たくさんの音楽に、たくさんの本に、たくさんの・・・・。そうして現状ボクらはそれらの中に必死で「価値ある何か」を見出そうと一生懸命騙されようとしてきたけれど、やはり結局何もなかったようである。更にその空虚なもので空騒ぎ出来るという姿を次世代に渡って悪影響を及ぼし、その浮かれた姿を当然のものとして見て来た人間に相応な価値観を植え付けてしまった。結果、そこから生まれる芸術であれ経済であれ、空虚で何かが足りないものになったとしてもしょうがない事であろう。このままぼんやりと「自然」に任せて進んでいたらトンデモナイ、である。

 日本人の戦いは、これからすごく大変なことになるであろうなぁ、とStoogesを聴きながら歩き考えして、渋谷に着いて、アイスを食べました。
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by dn_nd | 2011-06-01 06:21
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