ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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モロモロの人たち。
 ズボンズがデビューした17年前はそう思わなかったけれど、今になって本屋さんの音楽誌コーナーを覗いて見ると、「どうもボクらが存在出来るようなポイント(雑誌)が見つからないなぁ」と思う。それは、ボクらがより意固地に我が道を突き進んでしまったせいもあるだろうが、紙媒体の業界の方がより大きな利益や宣伝効果(又はそこから入ってくる収益)を元手にしなくては成り立たなくなってしまったせいだろうと思う。そうなることで、より大きな利益が望めるミュージシャンを優先的に起用することになり、その他モロモロ(ズボンズもこの辺に含まれる)は優先的にカットされていくことになる。会社で言えばリストラのようなものか。しかし「釣りバカ」ハマちゃんのいない鈴木建設がどれだけつまらないものかと考えると、昨今の雑誌の面白くなさも、同じようなことかと思う。

 先日もex-クアトロレーベル・ズボンズ担当、現クリエイティブマンの盟友H氏と話したのだけれど、その頃はプロモーター稼業も巨大フェスに頼ることなく細々と成り立っていて、規模は大きくないがもっと多彩な海外ミュージシャンを紹介出来てたように思う。(まぁ、大きくないとは言っても、渋谷のクアトロなんかは相当でかいハコのようにも思っていたけれど。)そして、そのような多彩性を保っていたころの方が、現在よりも間違いなく活気があり、エネルギーがあり、未来を「持っていた」ようにも思う。結局利便性や益の大きさを優先する余り、それ以外の「モロモロ」達をバッサリ切り捨ててしまったところに「旨味」もなくなってしまったのだろう。おそらく、「利益を追求しつつ、良いものは利益度外視で残せるだけ残し、お互いの共存共栄を図る」というクールで射程距離の長い発想が必要だったのだろうけれど、残念ながら(特に)我々日本人は、どうにも射程距離の短い、すぐにリターンのある部分しか見えないところがある。そこで出てくる決まり文句は「だってお金がないと、結局何も出来ないでしょう?」であるが、これは「原発を動かさないと経済が回っていかなくなる」というのと同じ物言いである。実際に自分のことを顧みてみても、とてもじゃないが「お金がないと何も出来ない」という論理では「さて、ズボンズはどうしてここまでやって来たのでしょう?」と問い返したくもなってしまう。やっていけるかいけないかは、あくまでやる人の問題であって、「お金ない=出来ない」という図式を、さも一般論のように得意に持ち出されても、ボクなんかは全然そうでないのである。また、ここも「どうもボクの考えは一般論を振りかざす人とは相容れない部分があるなぁ」との思いである。
 
 しかし、考えてみると「どうも一般論の中で生きるのは、違うなぁ」と感じている人も少なからずいるではないか。現在の「一般的」な物のことごとくに、微妙だが大きな違いを感じていて、それでも自分の納得出来るテリトリーが存在しないので、しょうがなくアウトローになってしまっている「モロモロの人たち」、もしかしたらここに大きな鉱脈/マーケットがあるのではないか、とも思う。「モロモロの人たち」は年齢からくる一般常識に対応出来ていない(留年しているのだ)為に、どこか疎外され、どこか偽って周囲に自分を合わせて生きている人たちである。現状は彼らの受け皿がない為に、はっきりとした物言いをすることが出来ない。しかし、そのような人たちこそ開花すべきであり、発言すべきであり、認められるべきである(と、ニーチェは言っているように思う)。おそらく今後は「モロモロの人たち」の趣味嗜好思想がよく反映されたテリトリーが開発されていくべきである。それは現状にはないオルタナティブなテリトリーになることであろう。そうして、そのような別の道が出来て、現状ある道とも交われば良いのである。ひどく大掛かりな工事になるとは思うが、やる価値もあるし、やるしか生き延びることは出来ないであろう。ふむ。

 やるのだよ、「モロモロ」くんたちよ。
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by dn_nd | 2011-09-24 07:48

脳よりも大きな自分。
 日曜日、無事にイヴェントが終了した。例によって例のごとく、準備期間もプロモーションも殆ど無い状態だったにもかかわらず、沢山の人が集まってくれてとても嬉しかった。何より、熊本のザ・フルーツを東京のお客さんに紹介出来たのは良かった。あのような「好きでただひたすらロックするバンド(=バカ)」と言う存在は、すっかり都会では珍しいものになってしまった。東京にいる、ということは、オーディエンスの反応についても同じことが言えるが、なかなかストレートに心情が表出できない/させない部分がある。バンドはストレートにバカをやっていると、どうにも恥ずかしくなってしまうので、クールにクールにと振舞うことになる。それは一方では、ストレートに出せば高いものになるエネルギーの方向を捻じ曲げてしまうのではないか。とは言え、東京という大都会はその莫大な情報のシャワーと人のbusyなヴァイブレーションで充満していて、とてもじゃないがピュアなままでいることが出来ないところではある。クールでありつつ、エネルギーの高さを保つ、これが難しいところである。

 ともかく、ズボンズも2時間弱のステージを終えることが出来た。長時間のライブになるということで、事前にセットや演出めいたことを考えたりもしたのだけれど、結局ステージに上がり、ボクの指はどう考えても1曲目にやる筈のないCircle Xを弾き始めてしまったので、ボクの脳の方は「ありゃ~、そうなの?」と云う感じで、その後のセットの分析・立て直しをすごいスピードでやらなければならない羽目になってしまった。このように、いつも現場は現場で考える、つまり脳で考えたことを指にやらせるではなく、「指自身」が考え/判断して行動し、それを脳がフォローして最終的に大団円に持っていくということを日頃からやっているので、まぁ、こういうことになっても仕様が無い。ともかく、常に現場は第一線で充分な仕事をしているので、それを信頼して中央は上手くまとめることをやれば良いのである。(と書くと、まるでそれは日本の政治機能の批判をしているようであるが、これはボク個人の一つの身体の中の話である。でも、政治もそうすれば良いのだ。)

 脳で考えることは、あくまで脳の見える光景である。それは「わたし=脳」というものである。しかし、人間というものは、脳が意識できる世界以上のもっと大きな宇宙を抱えている。そのほとんどは無意識と呼ばれるものだ。つまり、脳で考えれることは「自分」という存在の一部に過ぎないのである。(それはまるで真っ暗闇の部屋で照らす懐中電灯で見ることが出来る部分程度のものではないか。)なので、ボクが「現場(その実際に働く部位)自身に考えさせる」と云うのは、脳の範疇を超えた思惟を召喚することに繋がっている。それは脳の「想定外」の事態を引き起こすことになるが、事態を上手く利用することができれば、より大きな成果を得ることが出来るのである。自分でやっていることなのに、自分の想定外の出来事をやらかして、それを収拾させることで可能性を拡げていく、と云うのがボクの目論見なのであります。もちろん、常にトライ&エラーではありますけれど!

 さて、とは言ってもここで一息いれて、と云うことが出来ないのがズボンズであって、実際にライブ終了後に意味不明なレコーディングを始めたりしていることから分かるように、年末のツアーに向けて計画に(例によって)追い掛けられているのであります。アメリカで録音した新作ではなく、その次の作品作りに着手しております!それを引っ下げての12月のツアーなのである。近日中にスケジュールを公開します。みなさん、引き続き、どうかズボンズをよろしくお願いしますね!
 
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by dn_nd | 2011-09-21 06:34

大きな絵を描くには。
 明日の下北沢でのライブは、久しぶりに国内でのフルライブと云うことで「気合入れなきゃなぁ~」という思いでいる。ボクにとって長時間のショウをやるというのは、単純に演奏曲目を増やせば良いという事にはならない。40分ならば40分の、90分ならば90分のストーリーを描くことになる訳で、やはり40分と90分の「絵」と云うのは、キャンバスの大きさから描く対象のスケールから違うものである。つまり、40分の「絵」をそのまま拡大コピーしてとか、色々なヴァラエティをくっつけて90分の大きさにしました、では「絵」そのものが碌なものになりはしない。なので、長時間のライブというのは、それなりの「仕込み」を要することになる。

 フルセットやるのだ、と云うと、必ず「あの曲をやってくれ」とか期待してくるファンもいて、それはそれで有難いこととは言え、あまりそのリクエストには応えられないようにも思う。(大抵はPleasure DropやらNo LineやらThat's How Strong My Love Isである)なにしろ、昔からやり続けてられている曲というのは、それなりの理由があって残っている訳で、しかもそれらの曲は必ずしも原型を残したものになっていない。つまり、「今ここ」でその曲を新生児のように演奏出来るという可塑性(Plasticity)を持ったものだけが残るので、元がどうだったなどと云うことはズボンズにとっては何の意味も成さないし、演奏していて「どうも自分をコピーしているような気になるなぁ」と感じた時点から、その曲への気持ちは離れていってしまう。(時々「元」になったCDを聴くことがあって、悪くないなぁとも思うのだけれど)とは言え、あまりに沢山の人にやってくれと言われ続けている内にその気になってやるようになってしまう曲もあるので、何もかも断定は出来ない。いずれにしても明日のライブでは何か昔の曲を1~2曲ピックアップすることになるだろう。(どうか生き残りますように!)

 先日YoutubeでSonic Youthの昨年辺りのライブ映像を見た。相変わらず、と云うかむしろ、ここ5~6年よりも激しくかっこ良くパワフルに演奏している印象だった。実に素晴らしいことである。しかしボクにとって興味深いかと言えば、そうでもないなぁと言わざるを得ない。そこにはエネルギーやパッションはあれど、「今ここでやりたいこと」と云うPresent Sonic Youthの姿が見えなかったからである。曲そのものに「演奏させられている」状態でなく、演奏する側の決まりの下で「演奏している」状態である。それは、野性のライオンの背中に飛び乗るのか、調教したサーカスのライオンに乗るかのような違いがある。音楽というのは、一種のエネルギーの別名である。それは、そのものがベクトルを持っている。演奏者はその巨大なエネルギーを損なわないよう、「音楽」の進もうとしている方向に寄り添い、共に旅をしなければならない。そこでは「想定外」の事態が常に起こる。しかし、それを大きく受け止め、より高きに昇る為の「ヒラメキ」として使わなければならない。音楽を演奏する喜びは、あくまで音楽を演奏するところから得る必要がある。その旅の間に演奏者や聴視者は人間の紡ぐ「不思議」や「深さ」を垣間見ることになる。それがその場に提示されるという体験の貴さよ!!ボクはいつでも自分にそれを求めるし、やはり他のどの音楽体験にも求める者である。(勿論、誰もが賛同する訳ではない。音楽というものが一種のファッションであったり、「共有」や「癒し」である場合だってある。それはまぁ、どうでも良いことだ)いつでも新生児のようにフレッシュ、というのがボクの求める姿である。
 とドン・マツオは言った。(ツァラトゥストラ風に)

 とにもかくにも、同じ演奏をやるのであれば、なるだけ「実の」あるものにしなければとの思いである。きっとステージ上で悪戦苦闘することになるだろう。「音楽さん」に出来るだけ自由に踊ってもらわなければならない。さぁ準備準備。みなさん!明日はきっと来て下さいね!!

 
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by dn_nd | 2011-09-17 06:40

「想定外」の中と外。
 先日のエンジニア三木くんとの話の続き。
 ボクは不定期にソロ活動をバンドと平行してやっていて、それはそれで楽しいのだけれど、やはり基本的には同じベクトルのエネルギーや思考の使い方をするし、音楽を牽引するという役割も同じなので、深入りしないようにしないとバンドの方が疎かになってしまうように思う。しかし、ソロでやる方が、毎回毎回新鮮な気持ちを保つことが出来るし、メンバーも毎回違うので、それぞれから出てくる「バグ」も想定外のものであって、それはそれで対処する楽しさもある。ズボンズに於いてはミスに(かなり)厳しいボクだが、それはきっとメンバーに対する信頼感や甘えの裏返しなのだろう。一方ソロでは、それほどメンバーに求めることがない(みんなが好きに解釈・演奏したものをボクがまとめる)ので、厳しくする必要も無い訳である。(そうだ!今思い出したけれど、今年の中秋の名月は12日でした!!つまり、結成17周年記念日はいつの間にか過ぎてしまっていたのですね・・・)

 なにしろズボンズのメンバーとは長い長い付き合いである。ボクにはメンバーそれぞれの演奏が「どのようなもの」かをハッキリ把握している。同様に、メンバーもボクの演奏を熟知している。しかしそれで限界があるかと言うと、そう思って17年も続けて来れるボクではない。「ロックというのは、常に新生児のように新しく可能性に満ちたものでなければならない」と云うのが、ボクにとっての基本ポリシーである。なので、ソロ活動とバンドならば、当然ズボンズの方が難易度は高い。それをフレッシュに保つ為に相当な努力をしていると思う。ズボンズでの演奏というのは、言ってみれば、何度も見たことがある映画を毎回フレッシュに見ることのようなものかも知れない。同じ曲を「今の自分」という観点から再検証し、サイズや場合にっては色合いさえも仕立て直して着るようなものである。

 そんな言いながらも、昨晩のライブでは突然に「Circle Xをやろう」と言い出し、しかもまったく違うアレンジを本番1時間前にメンバーに強制してしまうのである。また、メンバーもそれにうろたえることもなく(多分。ちょっとは?)、リハもやらないで本番勝負出来てしまうのがバンドの強みであろう。バンド内に於いて、常に想定外はボク自信でありました。(今気付いた。ハハ。)そう考えると、ソロでは「想定外」を外に求め、バンドでは「想定外」を自分が演じるという部分に於いては、まったく反対のことをやっていることになる。その揺れのダイナミズムの中で自分が形成され、発展していっているのであろう。ふむ、考えてみると、どちらも必要なものである。

 このような事を書こうとは思っていなかったが、寝ぼけまなこで書いているうちに発見があった。嬉しい。まぁ、とにかくボクとしては9月18日(明後日だ)のライブを見に来て欲しいということである。(飛躍しすぎ!!)「今」のズボンズは、まぁ実に色々な言われ方をするのだけど、少なくとも「ロックは新生児であるべき」というボクのポリシーは失っていない。演奏時間もいつもの倍である。つまり、ちょっと考えなければならないと言うことだ。ガンバリマス!!!
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by dn_nd | 2011-09-16 07:11

車検に行きました。
 車検の為、さいたま市(いつまでたってもこの平仮名に馴染まないな)にある修理工場まで車を走らせた。ボクの車は70年代末のホンダの車で(「旧車」と呼ばれる)、その修理点検がしっかり出来るのがそこにしかないのである。むしろ現在のホンダのディーラーに持って行っても「古すぎてウチでは面倒見れません。」とすげなく断られてしまう。それもどうかと情けない思いもするけれど、世の中は常に「便利で安価」な方向に進み、結果良い部分が失われていくものである)もう6年来お世話になっていることになる。お陰で、30年以上前の車だが、何のトラブルもなくブイブイ走っていられる。

 社長はその昔ホンダの工場に勤めていた職人で、退職後に自身の修理工場を始めた。(関係ないことではあるが、社長の風貌はどことなく死んだボクの父と似ている。だから、何と言うか、無条件に好感を持ってしまうのである)今ではその需要の多さに旧車専門にしたという。会社名も「埼光オート」から「ガレージ・サイコー」に変わった。(ボク個人としては前の名前の方が好きではあるが)旧車専門にしてから仕事はかなり増えたという。昨今、どことも同じく不景気な話しかないに違いない零細自動車修理工場にあって、今どんどん忙しくなっていっているというのは驚異的でもありつつ、他に出来ない事を引き受けることが出来る社長の能力によるものである。それほど街を走っている姿を見ることのない旧車であるが、未だに大事に自分の車庫にしまっている人も多いらしく、その修理が出来るのがここしか無いという訳であろう。今でも月に新規のお客が一人二人と増えているらしい。「休む暇がなくてねぇ~。」と社長はボヤいていたけれど。

 ホンダという会社は、旧車界でもとりわけ扱いづらい種類らしい。と言うのも、60年代から80年代にかけて、未だ「若い」自動車会社だったホンダは、他のどの自動車とも違うアプローチで車作りに臨んでいたからである。F1と云うレースに出場し、そこから得た結果をエンジンや躯体に常にフィードバックする為に、新車やモデルチェンジがあると、それは以前のものとはまるで違うアプローチの内容である為に、またイチから勉強し直さなければならないようなものだったと言う。普通の会社ならば、互換性や汎用性を重視し、より「便利で安価」な方向に進むので、前の車をベースに改良程度で済ませてしまうのだが、ホンダの場合はゼロベースで改革してしまう。「とにかく今出来る最善の車を創る」というのが、その本旨なのであろう。(そういう意味でその姿勢はコンピューター業界のappleの存在と良く似ている。)なので、ただでさえ扱いにくい、しかも旧車を扱えるということは、他に代替のきかないものなのだ。

 ガレージ・サイコーは、社長以外は結構若い職人ばかりである。社長に「若い人達にも社長の技術を伝えているの?」と尋ねると、「いやぁ~。」と苦笑いする。旧車の修理の大変さというのは、とにかく同じ部品が現在製造されていないというところである。そこに不具合があると分かっても、簡単に部品を取り寄せて交換することが出来ない。なので社長はその長年の知識やネットワークを使って、「ここにはこの代用品が使えるかも知れない」とか「これならば一度取り出して分解して直せば大丈夫」などと、脳のデーターファイルを活用することになる。「若いのに修理のやり方なんかを教えるのは出来るんだけどさ、これとこれが代用出来るとかさ、これ前にバラした車のストックでなんとなく取っておいたのが倉庫にあるな、とか、そんなことは教えようたって、教えられないよ。勘でやってる部分もあるしね~。」という。確かに社長の脳のデーターファイルは長年の経験の集積で、それは修理マニュアルの何万倍ものデータであるに違いない。勘を働かせて、とはいってもそれは、分厚い経験を更に細かく分類してネットワークで繋げる努力をしてきた人間だけが身につけることが出来るものである。社長のデータをこっちにインストールして、という訳にもいかない。なので、残念だけれど、ガレージ・サイコーの旧車修理のノウハウの根底は引き継がれることは無いだろうと思う。これはおそらく多くの優秀な高齢の職人の技術に頼った製造産業に言えることなのだろうと思う。

 さて、そのホンダ車の現在はどうかと云うと、もはや他のどの自動車とも変わらないそうである。今は故障箇所発見用コンピューターを使って、ピピッと検索し、そこで出た結果の悪い部分をユニットごと取り替えるという作業であるらしい。しかし、これだけドッグイヤー的にどんどん進歩していっているコンピューター業界なのに、その故障箇所発見コンピューターだってすぐに古くなってしまうに違いない。となると、「あなたの車はもう古いので、このコンピューターではどこが悪いかすら分かりません」と言われてしまうのではないか知ら、と思ってしまう。いやはや。万事は「便利で安価」という方向に進む。しかしそこで職人や長く続けることで醸し出す深みのようなものをバッサリ切り捨ててしまっては、ほとんど人間の歴史の否定と同じことである。やはり人間と云うのは良い部分とか肝心な部分という固くてまっすぐな棒のようなものだけ残せば良いという訳ではないだろう。そこに沢山絡み付いている「味わい」や「深み」が伴ってこその豊かさなのである。
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by dn_nd | 2011-09-15 06:28

アナログからデジタル変換の恩恵。
 昨日は朝から吉祥寺にて、エンジニア三木くんと打ち合わせ。9・18のズボンズのイヴェントで販売するライブ音源のマスタリングをお願いする。(これは20枚!限定の、限りなくマッタさんハンドメイドのブツで、実に貴重なものであります。皆さん、お早めに・・・)ここのところのボクと三木くんとの間での一番の話題、というか議論のテーマは、「アナログ録音がデジタルに移行して、一体どんな進歩や"良さ"があったのか?」というものである。確かにprotoolsに代表されるデジタル録音機材のポータブルさや普及による価格の下落によって、誰にとっても「(割りに)良い音質で(それなりの)CDが作れる」時代になったのは事実である。アナログレコーダーを使っていた頃は、レコーディングするのにそれなりのコストがかかったし、職人的な高い技術も必要だった。しかし今ではハードディスクレコーダーを使って、それなりの録音研究家/愛好家やマニアであれば、その辺のリハーサルスタジオや場合によっては自分の部屋ででもプロクラスのレコーディングが可能である。アナログ時代では許されなかった失敗も、現状では何度でもトライすることで確実にスキルを上げていくことが出来るように思う。

 しかしそれは基本的には「コスト」の問題に過ぎない。つまり、アナログ時代の失敗というのは必然的にテープの無駄使いを生むし、スタジオに余計にかかる時間も生じてしまう。それがあるので、決められた時間の中でのベストパフォーマンスをやらなければ、という意味での緊張感や、素人に扱わせるのを許さない部分があった。つまり「コスト」である。ではコストもかからず便利なった現状のデジタル録音で、一体どんな物事が「良くなった」と言えるのだろうか。つまり、「安価で便利」になったということが、一体どのような貢献をクリエイティビティに及ぼしているのか、という根源的なことである。

 先日、TVがアナログからデジタルになった。「これで色々と便利になる」とか「画面がきれいになる」と云う触れ込みではあったけれど、そこには何の興奮も、ハッキリ言うと進歩もなかったように思える。親やもっと上の世代の人々が体験した「白黒からカラーへ」変換されたときは、度肝を抜かれた感動があったと言う。誰もがこぞって「もう白黒は古い、ウチもどうしてもカラーテレビが欲しい」とビックリマーク付きで思ったことである。アナログからデジタルに変わった時は、そのようなエキサイトメントから程遠かった。何しろ「安価で便利」というだけでは、それほど人の心は動かないのであろう。「便利」と「感動/芸術性」はまったく違う次元のお題であるからだ。

 そうしてボクが思うのは、「レコードからCDに移行して、便利以上の何を獲得出来たのか」というところである。メディアとしてのCDの可能性を追求していないのではないか、という部分もあるけれど、長くなるのでそれは置いておいて、録音に関してである。確かに安価で便利になった。今ではどんなアマチュアバンドでも自分達の音源を作り、それをバラ撒いている。音もそれなりにちゃんとしたものである。しかし、ボクはただ誰もが簡単に音源の制作が出来るようになったということを「デジタル化」の恩恵だと言わない。(場合によっては百害と言えなくも、ない。ハハハ。)問題は、どこか。非常に多くの者が「安価で便利」になった機材を使って「その辺にいくらでもある普通の音源」を作ろうとしているところである。つまり、彼らが目指しているのは「自分が聴いたことのある、プロの作っていた音源」の安価で便利な再現であり、なんとなくそれに近づけば嬉しいという、実に貧乏ったらしいモティべーションである。確かにその目標は達成している。しかしそれでは結局「アナログ時代の方が音が良かった」みたいな、大きく広げると「昔は良かった」みたいな何ら進歩していかない年寄りの精神しか持ち得ないではないか。

 ここに一枚のCDがある。スライの"暴動"である。ボクがこれを最初に聴いたのは18の頃だった。その音の「遠さ」に、どっか間違ったのではないかと感じたのを覚えている。2年ほど前にリマスタリングされたのを聴いても、まだ「遠かっ」た。つまり、スライはこのような音を目指していたのである。謎である。しかしその謎はスライという個人の人間の深遠を感じさせる。何故彼はこのような音源を制作したのか、彼の心に何が生まれていたのか。ボクらはそのことについて考える。謎は解けない。しかし解けない謎について思いを馳せることが、如何に人生の中で大切なことか。ここに良質の芸術を見る。このように"個人"をハッキリと打ち出すことが69年というアナログな時代にどれだけ大変な作業かは分からないけれど、今ボクらはそのような作業をやることが出来る時代に、いる。スライはスーパースターだったので、いくらでもスタジオ作業にお金をかけることが出来た(ついでに言うと月何百万という借お屋敷に住んでいた)けれど、スーパースターではないボクらでも、同様の作業を思いのままに出来る時代、それこそがデジタル化最大の恩恵の一つではないかと思う。

 プロ「っぽい」音を作ることが目的であるのは、貧しい。本当にデジタル化の恩恵を生かそうとするのであれば、とことん自分の考えを反映させるようなものを作る自由を、最大限活用することである。その為には、言うまでも無いが、それをやるだけの「自分の」中身が必要である。その完成した作品が自分そのものである、と言い切れることが出来るのか、どうか。それをやってのけて初めて「いやー、アナログからデジタルになって良かったなぁ」と思えるだろう・・・・・・・と言うような事を三木くんと話したのである。しかし話したのは30分くらいだったのに(しかもまだ途中だ)、書くと時間かかるもんである。原稿料が欲しいくらいだ。
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by dn_nd | 2011-09-14 10:10

フェンスの落書き。
 ボクのウチから駅に向かう間に長い遊歩道があって、その道は線路と日立研究所の森に挟まれている。一方でガタンゴトンと電車がゆっくりと走り、一方でヒグラシがカナカナと鳴いている夕方なんかは、なかなかの風情ではある。その森と遊歩道の間は小さな穴の空いた高いフェンスが立っていて、森への勝手な浸入を阻んでいるが、そのフェンスにスプレーで落書きをする輩が、年に3~4回出没する。同一犯ではない。しかし共通しているのは、どれもグラフィティと言うには程遠い落書きとしか言い様のないレベルのものだということである。(同じスプレーでやるにしても、アメリカなんかでは驚くほど大きな"作品"もあるのだけれど)それは残しておくには実際しょうもないものなので、落書きされて1ヶ月ほど経つと、市の人達がやって来て、上からペンキを塗ったり、シンナーでこすって消したりする。

 昨日は中秋の名月で、夜は秋らしい涼しさであったが、日中は残暑の厳しさとするどい日差しがあった。その環境下で、初老の職員(ペンキ職人さんかも知れない)達が5人がかりでペンキの消去作業を行っていた。今回の落書きは結構広範囲に広がっており、彼らの年齢を考えると非常に過酷な労働であろうと思う。しかも、この作業は、どこの誰とも分からない人間が、その創作の為でなく、ただの一時のフラストレーションの発散を満足する為に行った行為を尻拭いしているだけで、無駄としか言い様がない時間とお金の使い方をしているのである。この途方も無い現実的かつ立体的な「無駄」に、ボクは頭がクラクラしてしまった。時間も無駄であるし、ペンキも無駄であるし、職員に払われる給金も無駄であるし、この暑さによるおじさん達が受ける肉体的ダメージも無駄なのである。無駄の固まりでしかないのである。なんだかボクは無力感にドンとブラックホールに突き落とされた感すらあった。

 落書きしたキミは、こういう「無駄」を創り上げた訳だ。しかし、どう考えてもキミのフラストレーションを満足させる為に払われる対価が均等とは思われないな。(大体があんな下手くそな落書きが衆目に晒されるだけでも恥ずかしいことではないかね?)それをキミは責任が取れない。自分のやった過ちをいつも社会がどうにかしてくれると思っていては大変なことになってしまう。他人に迷惑をかけることでしか、キミのフラストレーションは解消しないのか、どうか。それほどまでにこの社会から受ける抑圧というものは大きなものなのか。人間の在り方というのは、微妙で分かり難いところがある。日常起こる色々な出来事に感情の意識が立ち上がったり、無意識のフォルダーに仕舞い込まれたりする。ポジティブなものも、ネガティブなものも。それらが不可解な絡まり方でキミのフラストレーションを形成する。それは、まぁ良いけれど、落書きするならばもうちょっと練習して、作品を創り上げた方が良いでしょう。創造的であることでしか、キミのフラストレーションは、実は、解消しない。
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by dn_nd | 2011-09-13 06:43

"Mo' FUNKY"の記憶。
 "Mo' FUNKY"と云う曲を録音した時のことを思い出す。この曲は、始まりにちょっとしたコンセプトがあった。ひとつ「ただ二つのコードを表情を変えながらミニマムに繰り返し、今やっている演奏はその前の状態よりも熱を孕んだものになっていなければならない。」、ひとつ「ギターのリフでグイグイ持って行くのではなく、できるだけその登場を遅く・少なくする。」である。そうして、keyはA(つまりもうひとつのコードはD)、テンポはこうで、ベースのリズムはこう。ただし1音だけを弾き続けること。ドラムのバウンスはこんな感じで、ちょっと循環させて演奏してみよう。この演奏にマッタがエレピのちょっとブルーな色合いのリフレインが加わった瞬間に、曲はもう出来ていた。一度演奏をやり終えた後でボクは「この曲のタイトルはMo' FUNKY。Funkyを超えたものだ。」と言った。勿論、その場の思いつきである。

 最初に演奏したのは97年年の暮れのイヴェントのライブでであった。しかしそれはコンセプトに忠実なもので、一方向に盛り上がりを、しかも無理に、持っていこうとしたので、ちょっと空回りした演奏になってしまった。その頃にはまだ"part 2"とされる後半のインストゥルメンタルパートが存在せず、掛け合いのコーラスで終わるもので、エンディングはその場まかせの場当たりなものだった。当然その頃のボクにはそれを上手くコントロールなど出来なかった。(上手くいく時は上手くいき、駄目なときは駄目)そうして、演奏に若干の失望を覚えつつ、しかし曲がすごいものになり得る確信も一方ではあった。

 年が明けて、そのライブから2週間ほどたってレコーディングに入った。当初は、レーベルの要請でシングルのデモ録音の予定であった。日程は二日間用意され、一日づつ違うエンジニアを使い、いずれ"Let It Bomb"となるアルバムの制作を見据えた気軽な気持ちでのレコーディングだった。しかし、勿論ボクは「はいはい、デモを軽く録るだけでしょう?」と言いながらも、本気の本気でレコーディングに臨んでいたと思う。

 初日に昔からやっていて、カセットテープ時代の最初のアルバムに入っていた"DON's Dream"を録音した。その頃はマッタさんと二人でレゲエ~ダブに(憧れを持ちつつ)入れ込んでいて、その要素をレコーディングに持ち込みたいと思っていたのだけれど、"DON's Dream"は素材的には余りそっち向きではなかった。なので、レコーディングすることによって曲が化けることはなかったものの、なかなか良い出来ではあるな、と思っていた。勿論、シングルのB面としてはということだが。

 そうして二日目に"MO' FUNKY"を録ることになる。バッファロー・ドーターのZAK氏をエンジニアに迎え、普通の街のリハーサルスタジオでの録音だった。ZAK氏はとてもプロフェッショナルで気取った人のように見えたが、彼の指示通りにギターアンプも使わずプリアンプを通した直の音を録音することにした。その頃のボクはまだ従順であった。でも"Mo' FUNKY"の録音のクールさがあるのは間違いなくZAK氏の貢献である。リハーサル的に一度演奏し、録音レベルや音響を確かめる為に数回演奏して、本番となった。ボクはスイッチを入れたと思う。

 その演奏の段階では、実は、まだハッキリしたヴォーカルラインは存在しなかった。なので、構成も相変わらず場当たりで、目線で次の段階、次の段階へと進んでいくようにしていたのだと思う。(後日L7というバンドの人達にイントロが長すぎると言われた。確かにシングル的な長さではない)最初から演奏はとても良かった。酩酊的で、ドライブしていた。そうして、歌のパートが終わった時に、とっさにボクはこの演奏を続けるべきことを「発見」した。「この先にあるポイントまで、我々は向かわなければならない。その光景を見なければならない。」本当にとっさの瞬間でムーストップにベースの演奏をやめないように指示を出した。それがどういうものだったか覚えていないけれど、ムーストップは「理解」した。あの時ムー氏が指示を読み違えていたら、"Mo' FUNKY"は違う存在になったかも知れない。そうして次にマッタ、しばらくおいてドラム(ブッカビリーだ)にインするように指示を出す。ボクはあるポイントから語り口の少ないギターソロに入った。そうして再度演奏は熱を帯び始め、エンディングを迎える。ボクらは言い表せないほど興奮していた。これが「とても良いもの」であることが分かっていた。

 それがあの録音で、その後ワンテイク録ったと思うけれど、とてもじゃないが超えるどころか同じものを再現することだって出来なかった。スタジオにあったコンガを加え、マラカス、シンセを少々に、ゴミ箱のジュースの缶をパーカッションにして加えたのを覚えている。そうして歌を入れて、コーラスは入った時に初めてZAK氏は「やっとこの曲がどういうものか分かった。」と言った。

 その10年以上前に「誕生」した曲は、誰が書いたというものではないように思う。色々な偶有性が「たまたま」それを一点に集約したに過ぎない。その日・その時でないと、完成しなかった。それだけにボクはこの曲を愛している。どこかから与えてもらったプレゼントのようにも思う。そうして、結構たくさんの人がこの曲を気に入っている。誰に、というか、神さまに感謝するしかないであろう。

 未だにこの曲は形を変えながら、というよりも、生き物と同じように成長し続けている。未だに演奏するのがフレッシュで楽しい。ボクらは色々な解釈をし、それに応えるだけの器があるということだ。"Mo' FUNKY"をキャッチ出来たのは、ボクらにとって、実にラッキーだった。
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by dn_nd | 2011-09-12 07:35

宇宙船に乗って。
 昨晩はボクのソロとしてのライブを渋谷で。ソロとは言っても、今のところボクがやる音楽はグループでやるものなので、その都度メンバーを寄せ集めることになる。言ってみればジョン・レノンの"プラスチック・オノ・バンド”のコンセプトと同じように、メンバーを固定せず、常に可塑性を前提とした活動である。(コンセプトを上手く実現出来ているのは、むしろレノンよりボクの方であろうと思う。)昨晩寄せ集まってくれたのは、ドラムのズボンズ・ピットくんを筆頭にベース・アベくん(挫人間)、ギター・カメモトくん(Glim spanky)、パーカッション/ドラムス・ケンタロウ(パンクス)、サックス・村上(クンクンニコニコ共和国)の5人であった。一体何をどうやるのかを当日になるまで(当日になっても)五里霧中のまま、とにかく演奏させられて、緊張と自由/解放が入り乱れた、なかなか楽しいライブだった。

 ボクに関しては、ソロで演奏することの関しては、とにかく事前の準備をしない。スケジュールは把握している。しかし、頭の部屋の隅っこに引っ掛けたまま、「あぁ、そろそろ考えなきゃなぁ」なんて思いながら日々を過ごし、結局何もすることなく当日を迎える。そうして当日に準備を始めるのだが、やはりギリギリのサウンドチェック終わりの2時間くらいが一番考える時間であろう。まず、与えられた時間にそったアウトラインを思い描く。どこからジャンプして、どこへ着地するか。グループのメンバーは同じ宇宙船に乗っているクルーである。それぞれがそれぞれの配置で自分の仕事をしなければならない。そうして、出来れば最良の判断を、船長に頼ることなくやることが望ましい。(古代進は、敵艦を撃墜しなければならないし、真田さんは波動エンジンを修理しなければならない。日本酒を飲んでなきゃならないお医者も、いる)それら全員が正常に機能しているならば、船長というのはシンボルのようなもので、いてもいなくても問題ないであろう。ただ、たとえ優秀な乗組員揃いだったとしても、そのコネクションの中枢となるべきものが必要になる、ただそれだけの事である。システムの中枢があるだけで、グループがひとつの固まりとなって活動する、ということだ。それが理想の状態なのだとしたら、ボクのソロ活動というのは、ボク自信の音楽を、というよりも、むしろ集まったメンバーでどんな良い仕事が出来るのか、という事がミッションなので、厳密にソロ活動と言えるのかどうかは良く分からない。

 ともかく、直前であれ、ものすごい頭の回転を強いる為に、大抵いつも面白い発見や導きがある。神さまに感謝すべきなのだと思う。昨日も、サウンドチェック後にスターバックスでウンウン考えた先に、「あぁ、そうか!」と云う気付きがあって、演奏全体のアウトラインが見えた。後は、現場でそれぞれのクルーがどのように運んでくれるかを注意深くコントロールするだけである。なかなか楽しい航海ではなかったかな?そうして、そこで得たものをバンドに持ち帰って、新しい風を通すのである。バンドというのは古巣であり、長年暮らしなれた安全基地のようなものであるのだけどそれだけに所々に埃がたまっていたり、片付いてなかったりするものである。結局、だからズボンズはなかなか上手くいっている、という訳なのです。(^^)
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by dn_nd | 2011-09-11 08:16

誰もが芸術家に。
 という訳で、どうやれば「今の生」を充実させ、「もう一度この一生をまったく同じに繰り返すことになることにポジティブ」でいられるかと云うと、やはりクリエイティブであるしかない。誰もが芸術家になる必要がある、ということである。芸術家やクリエイティブと云うと、絵描きや作家やミュージシャンのように何か作品を創り出す人にならなければならないように感じるが、決してそうではない。会社員であれ、土木作業員であれ、ガードマンであれクリエイティブたり得る。それは、今自分のやっている事、環境、人間関係に自らが直接的に、自発的に取り組み、それをより豊かで楽しく、ワクワク出来るようなものにしていく(そしてそれを継続する)こと、それこそがクリエイティブに他ならない。そうして、クリエイティブな人間とは芸術家のことである。(考えてみれば、例え一般的に「芸術家」と呼ばれるような仕事をしている人間であっても、その本人のクリエイティビティを存分に発揮出来ているかどうかは分からない。「仕事」としてこなしている、というのであればそれはクリエイティブというポイントから、とても遠くにいることになる)

 より豊かな教養が必要だ、と思う。どのような仕事をしている人間であれ、良い世界文学を読み、絵画を見て、歴史を知り、音楽に嗜むことが、どれだけ自分のクリエイティビティに栄養を与えてくれるか。それは「今すぐそこで」役に立つものではないかも知れない。しかも、最初はさっぱり理解できないものかも知れない。しかし、それでかまわない。分からないものを「分かる自分になりたい」という背伸びする気持ちでトライし続けることである。良いものは、それが難解であっても、必ず分かる時が来る。分からないものに「?」を持ってトライし続けることが出来ず、ちっぽけな自分の「分かる」ものだけしか求めないようになると、世界は実にちっぽけなものになってしまうのだ。「何かあるのは感ずる。しかし今の自分には理解出来ない」というものに取り組むのは、無上の喜びがある一方、時間もかかるし、何より本人の分かろうとする努力が必要となってくる。しかも!それはすぐに役に立つものではないし、今すぐに喜びや救いを与えてくれるものではないかも知れない。しかし、良質の芸術作品は心にたくさんの襞を作ってくれ、人間にディプス(深見)を与えてくれる。それらは人間の行動や発想を変えてくれるものだ。

 ただお金を得る為に(食う為に)やっている仕事、というものはやらない方が良い。しかし、安直な転職を勧めている訳でもない。上のように思ってやっていた仕事であっても、自らの取り組みを変えることでクリエイティブに出来る。自分がそれに自発的に能動的に取り組んでいけるかどうかの問題であろう。自分の人生は24時間ノンストップのドラマである。(しかも毎日だ。NHKのテレビ小説より多い)そして、その主役の座に返り咲かなければならない。我々は芸術家でなければならない。貴族でなければならないのである。
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by dn_nd | 2011-09-10 06:39
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