ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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農家になったようです。
 ズボンズの新作"Agitation"の予約を受け付けている。誰が?ボクが。自分で作り、自分で売る。もう完全に農家とか定食屋のようなものである。こういう商いのやり方は、決して大きな利潤を産まない。So What?

 そもそもプレスリー以降のRock産業は、若者を対象とした大きなビジネスとして成功を果たしてきた。ロックンロールは自由を求める人間のアンセムとなり、世界中を電波に乗って広がっていった。(だからファー・イースト日本のファー・ウェスト長崎で生まれたボクがロックンロールに人生を変えられてしまっていても、まったく不思議ではない)Rockは大きな商売であった。しかし、今はもう違う。多様化する人間社会の中で、共通言語として共有出来るヒット曲はなくなってしまったし、情報にアクセスするルートが複雑になってしまって、好みを一つにまとめる操作が出来ない。インターネット時代に入り、誰もが自分の意見をメディアに出来るようになってから、メジャーな雑誌などの媒体の信頼性は低くなり(実際低い)、誰もが「オレの好みはオレが決めるのだ」と云う意志を持っている。誰もが自分で判断したいのだ。それで良い。

 さて、困ったのは売り手側の方で、今まで大量生産で儲かっていたもので商売が出来づらくなってきている。今現在、誰もが飛びつく「音楽」と云うのは、決して音楽を愛する(または自由を愛する)人間の好むものではない。だから、本気で音楽をやったり売ったりする人間にとってはちょっとした受難の時代である。そしてこの右肩下がりの状態は、どこかで平行線に入り込むことはあっても、昔の右肩上がりに戻ることはないであろうと思う。

 思えば、音楽の商売と云うもの自体は随分昔からあった。楽器の得意なものが演奏して小銭を稼ぎ、クラッシクの大家はパトロンがいて、ティンパンアレイの作曲家達は楽譜から収入を得ていた。もちろんその誰もが決して裕福でもなければ、ほとんどの場合結構辛い人生の結幕を迎えている。ミック・ジャガーも言っていたが、これくらい音楽で稼げた時代は歴史的に見ても、たった3~40年くらいのものなのである。(「オレが今の若いミュージシャンなら、金持ちになるのは無理だろうな。同情するよ。」とも言っていた)いくら素晴らしい技術を持っていたとしても、50年代のJazzミュージシャンに大金持ちになることは不可能であったろう。だから、まぁボクは大体それくらいの時代に近いものだろうと腹をくくっているのである。

 その過渡期にある今現在を将来的にどのような時期と見なされるかは分からないけれど、やはり作り手側としては、なるべく射程距離を長めにとって、良質なものを作り、演奏・パフォームするしかないであろう。それはリストが未来の人間に向けて作曲していた姿勢と同じである。人生は時代に大きく影響されるかも知れない(される。間違いなく)。しかし、「音楽をやる」と云うのは時代に合わせられるものではない。「自分にとって」よりかっこいいもの、より価値のあるもの、より楽しいものをやるしかないのである。

 なので、だからこそ、それを「良い」として受け入れてくれる、購入してくれる、ライブに足を運んでくれる人達に感謝しなければならない。しかしまた、感謝すると云うのが下手くそで・・・・。すみませんです。本当に感謝してるです。特にこうやって一人でコンピューターに向かって自問自答しているようなときには。ありがとございmす。

 ズボンズの"Agitation"早期予約は11・30までは donuts@thezoobombs.com で受け付けてますよ!!件名Agitationでメール下さいね。特典ライブアルバムと、ボクの専用ギターピックをつけるです。

 よろしく!!
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by dn_nd | 2011-11-29 17:22

「かっこいい」考。
 「それ」が具体的に通じる、誰もが理解出来る、と云うものだけしか分かられないのは、実際幼稚な話だし、人間の理解能力を見くびっていると思う。例えば、ボブ・ディランの歌う"Chimes Of Freedom"も、ストーンズの"Brown Sugar"も、ビートルズの"Don't Let Me Down"も「かっこいい」けれど、その「かっこいい」の中に含まれる成分や味わいの項目は、それぞれ結構違う。ある場合には「かっこよさ」の中には哀しみが含まれている時もあるし、鋭さが含まれている時もあるし、微笑ましさだってある(例えばBrown Sugarのキースのコーラスの元気っぷりなんかそうだ)。それは場合によっては歌詞で表現されている部分もあるけれど、なにせ英詩なので細かなニュアンスなど理解出来る訳がない。ボクが感じているのは、その音を出しているもの全てから聴こえてくる響きやらエッジやら、単語から得るイメージ、リズム、それら全体を言語外で細やかに感じ取っているものである。そしてそれを表現するのに、ボクらのボキャブラリーは、余りに拙すぎて十全に言葉に出来ない。だから「かっこいい」と言ってしまう。そうしてその言語外の感覚が個人々々で結構違うものだから、同じく「かっこいい」と思っている他者と話し込んでいると、なんだか全然分かり合っていなかった、と云うことも多々ある。

 ボクは歌詞で全てを説明されるのを好まない。また、歌詞だけを取り上げられて「こうこうこうでしょう?」と聞かれたりしても、ちょっと困る。あくまでボクのケースではあるけれど、自分で書いていても何年も経った後で「あぁ、あの時はこう云うことを表に出そうとしていたのか」と発見することも多いからだ。大抵においてボク自身の歌詞は、リズムから引っ張り出される言葉とイメージの連なりしかなく、ほのめかしも具体的メッセージも無いと言える。書いている時も、最初の言葉のイメージから引っ張り出される次のイメージを追いかけたり、ボブ・ディランの詩集を眺めたり、新聞を読んだりして、言葉遊びしてどうにか帳尻を合わせようとしているに過ぎないように思うが、時を経るうちに、そこに内在していた「意味」や「感情」が浮き彫りになってくるのである。自分で自分の歌っている内容が分からないのか、と言われることもあるが、どうして分かっていなければならないのか。

 長崎での打ち上げの席で「自分はパンクをやりたいのだけど、歌うべきメッセージみたいなものを持っていない(から出来ない)」と言う男の子がいたのだけれど、ボクの意見ではそう云う人間こそ思い切り掘り下げて曲を作るべきである。(パンクかどうかは別にして)つまり、「パンク(と云う衝動やら勢いやら破壊やら)を表に出したいと魂が叫んでいるのだけど、言葉に出来ない」となれば、やはりそれを「全体」で出すしかないのである。その魂から溢れようとする「全て」を、例えば「学校のバカヤロー」だとか「社会のここがおかしい」とか、誰もが分かるメッセージにすり替えてはいけない。それは矮小化であろう。そうすることで彼ら(リスナー)は、「あぁ、確かに社会はロクデモない」とか「人間は寂しいものだ」などとは理解するかもしれないが、本当に聴き手の深い部分に残るものは、言語の外にある「溢れ出てているもの」だと信じる。その意味で、「分かりやすい歌詞」などは却って「それ」が届くのを阻害してしまう。本当に残る「メッセージ」の射程距離は、長く遠い。一方では、近い。それは、頭ででは無く、魂はそれを分かる。そしてボクらはそれを「かっこいい」としか言うことが出来ないのである。それは条件や留保抜きのものだ。

 かれこれ何十年も聴いている音楽がある。そしてそれらはボクが聴き始めた時すでに過去のものであったから、今から50年近く昔に作られた音楽群である。更にそれをボクは何百回となく長い時間をかけて聴き込んできた。それでも未だに新しい発見があり、解釈が変化したり深まったりする音楽がある。考えてみると、それらはどこか完全になり切れてないものである場合が多いように思う。(よって、ビートルズなんかは余り残らない感じだ)「完全でないもの」とは、つまり、オープンエンドなのであろう。「未完」だからこそ、「不可解」だからこそ、永遠にそれは解釈の更新が可能なのである。「Rockなんてテキトーで良いんだ」とは言わない。「テキトー」なものとそうでないものの違いはすぐ分かる。(と言うか、テキトーなものはスタートラインにだって立たせてもらえないのだ、実際は)それでも、分かりやすいもの、誰もが同じ解釈を持てるものを目指すと云うのは、やはりちょっと人間の理解能力を見くびっているのだ。また、分からないものを分かろうとしないのもまた同様に、自分の理解能力を見切っているのである。

 長崎でラジオに出演し、自分の曲をかけて貰った時に、それを聴いていた親戚のおばさんは「いっちょん、分からん(全然、分からない)」と言っていた。ボクはその時に、分からないものを提供出来ている自分をちょおと誇らしく思った。おばさんには「いっちょん、分からん」ものかもしれないけれど、ボクにはそれがかっこいいものである確信があるからである。「分からん」と言えば、「分からん」ものであるのに違いはないのだけれど。
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by dn_nd | 2011-11-26 09:54

半ズボン君。
 長崎へ帰り、ライブをやって(今回はとても良く出来ました。とにかく足りないものを補うには人員を足して人海戦術でやるしかないです。ハハ。)、翌日からは親戚巡りである。今年は珍しく何度も長崎に足を運ぶことが出来て、20年振りくらいに親交が再開した親戚筋もある。そこではボクはまだ半ズボンの少年として記憶されていて、半ズボンの少年的な扱われ方をされる。でもボクとしても、なんとなく「一皮剥くと、中は半ズボンの少年」と云う気持ちでもあるので、あまり違和感もないように思う。(イケメンだが一皮剥ぐと中身は親戚のエロいおっさんと同じじゃないのか、と云う某芸能人の話を妹としていたのです、昨晩)

 そのいとこの息子はとっくに成人していて、長崎で新聞記者をしている。東京にも住んでいたこともあり、なかなかメイン/サブのカルチャーに造詣がある、となると今周りにいる付き合いの多いコ達と同じで、とても気が合うものである。実際の関係は、叔父さんと云うことになるのかな?それでも「一皮剥けば半ズボン」人間は、年齢に関係なく同じような疑問やオブセッションや不安感を抱えているので、似たようなものだ。(留年組とも言える)

 しかしこれは音楽をやっているからナイーブなのだ、とかそういうものではなく、ミュージシャンであっても「半ズボン」を失くしてしまっている人間は山ほどいるし、そもそも「半ズボン」を持ったままで生きやすい社会とは、とても言えないから、おそらくどこかの時点で半ズボンから大人ズボンに(もしくはヒートテックに)履き替えるものなのだろう。(世間は、特に半ズボンに対して親切心も同情心も、持っていない)そのポイントを逃してしまったボクなんかは、もはやどこで半ズボンを脱いでいいのかも分からないし、半ズボン以外のものを穿くことを考えることが出来ないのではないかと思う。(実際に小学生の頃は毎日半ズボンで、中学生になって制服で長ズボンを穿かなければならなくなるのがすごく嫌だった記憶がある。確か中学生になっても、夏休みが終わるまでは休みの日は半ズボンを穿いていたのではなかったか・・・)

 人間一皮剥くと、と云うことを考えるのは、とても大事なように思う。考えてみると、その人の本質は、外見や立場や仕事などやっていることで大きく違う印象を与えているからだ。(一皮剥くとエロい親戚の叔父さん、と云うのの他に、どのようなサンプルがあるのだろう)やはり何と言っても、大事なのは一皮剥いたその姿でありますぞ、諸君。(なんだか取りとめがないけれど、今日はこれにてオシマイ!!)
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by dn_nd | 2011-11-25 10:29

福岡出張報告
 昨晩は、DON Matsuo Group出張版 in 福岡。

 出張であろうが、何であろうが、結局その場その時の寄せ集まった人間を使って音楽を搾り取る(よって純度100%でフレッシュ)のがDMGと云う活動なので、やらんとするところの違いはまるで無い。しかし、ボクが解析する所のDMGの音楽は、基本的なインプットは同じようなものだけれど、それぞれのメンバーの持ち寄り(人によってはそれを"引き出し"とも言う)によって、その演奏する「装置」を通過することで、かなり大きな違いがアウトプットされることになる。

 つまり、あるリフレインの提示があり、それをそれぞれのパートのメンバーが「自分自身の」データーベースにある音楽の中で解釈をし、そのリフに対応していく。それが5人集まっていたとすれば、5枚それぞれ模様の違うスライドを重ねて光に透かして見るようなことである。その決して完全な重なりを見せないであろう「風景」を、ボクが規定し、解釈し、フレームに入れて「どうかな?」とメンバーに(あるいはお客に)再提示する。今度は再びメンバーがそれに対する反応をデーターベースから引き出してきて・・・・と云う具合に、混沌と複雑さを増していくことになる。場合によっては最初には明らかであった筈の方向性も破棄されてしまい、予想もつかなかったような結果へと導かれることも多い。

 いずれにしても、最初から結果を求める旅ではないので、演奏が終わったときに良い気分になっていればそれで良いのだ。だから、それぞれのメンバーとしての実感は、「いや~、よく遊んだなぁ。」と云うものでしかないであろう。それで良い。その「よく遊んだなぁ~」と云う感慨は、小学生の頃に公園の大きなすべり台をしたり、鬼ごっこしたりと近い意味合いでの「よく遊んだ」で、そういう感慨を大の大人になって持ち得ると云うのは、とても良いことだとボクは思う。うむ。

 さて、今日は長崎。どうも「ふるさと」と思って、どこか気が抜けてしまう長崎公演だが、今回はしっかりやろう。ちゃんぽんとかそう云うものは抜きにして。はは。ではまた。
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by dn_nd | 2011-11-20 12:32

「かっこいい音楽」の行方は。
 昨日は半蔵門にあるディスクユニオン本社にて打ち合わせ。今回リリースのズボンズの新作「Agitation」は、ディスクユニオン独占販売なのであります、今のところ。(と言うか、当初はツアーで売る為だけを想定して作っていたので、流通させることを考えていなかったというのが本当のところでアリマス・・・。どうもドン・マツオはビジネス感覚に乏しい、というのは論を待たないことのようですなぁ。)なので、ディスクユニオンのない地域のみなさんは(全国の90%以上がそうかも知れない)、悪いんだけどライブに来るか、ズボン社の手作業通販を利用していただくしかないのでアリマス。ごめんなさい。でも、通販にはオマケつけるですよ。しかもツアーで売ることしか考えていなかったので、プレス枚数もすごくリミテッドなので、急ぎで予約して貰えると良いですなぁ。内容は、すごく良いですよ!

「結成15周年記念のベスト盤"Nightfriend Of Zoobombs"から2年、フルアルバム"B・B・B"から5年振りとなるズボンズ入魂の新作。ここ数年は国内はもちろん、アメリカでの活動を大きく広げ、その驚異的かつ予測不可能なライブで各地絶賛されているズボンズだが、本作ではHip Hop的制作手法を用い、あくまで音響的・トラック的に仕上げた新たなる 提示作となった。しかしそこはズボンズ、音楽的にはあらゆるジャンルを内包しつつも"ROCK"としか言い様のない作品集となっている。常にボーダーを超える場所に立つバンド、ズボンズはまた世界を更新した。」(Zoobombs/Agitation 販促資料より) ふむ。なんだかすごそう!

 ディスクユニオンの担当のI氏は24歳の若さながら非常にしっかりした印象である。是非ともよろしくお願いしたい。「ディスクユニオンのお客さんはマニアックでコアな音楽好きの人が多くて・・・」とI氏は言っていたが、確かにそうであろう。ボクもタワーレコードや新星堂よりディスクユニオンに足を運ぶことの方が多い。そちらで店内をウロウロしていた方が、遥かに新しい発見がある。「本当に好きで、新しくかっこいいものを追い求めている」と云う人間はどうしてもマニアックな店やネットに向かうしかないのであろう。

 ここでボクは不思議だなと考え込んでしまう。"ROCK"とは(音楽とは、でも良い)、ボクにとってはあらゆるカッコいいものの代名詞のようなものでなければならない筈なのにもかかわらず、街に存在する「カッコよさそう」なお兄さんやお姉さんは、かっこいい音楽なんか聴いてもいないし、必要ともしていないように見えるからである。一方、若さに関係なく、ライブハウスで遭遇する「かっこいい音楽を求める」人々は、どちらかと言えば内省的で地味目な印象だ。ナチュラルであったり、地球にやさしい人も多い。今や「かっこいい音楽」は「かっこ良くしていたい人」が必要とするものではなくなってしまったのであろうか。むむむ、どうもチグハグだあ。一体これから「かっこいいROCK」と云うものが、どのような進化の仕方をするのでしょうね。

 と言うよりも、ボクらのようなミュージシャンが今後どのような生き残り方をするのか、決して理解ある大多数とは言えない世間の荒波を、どうサヴァイブしていくのだろうかと云う問題なのだろうと思う。「かっこいい音楽」を目指すことは、目的と云うよりも習性のようなものになりつつある。(そもそも「かっこいい」という概念が、ひどく多種多様なんである)「かっこいい音楽」は生きていく上で絶対的に必要なものである。少なくとも、「かっこいい音楽」を求める人間にとっては、「かっこいい音楽」を得ることででしか救われない魂の暗部がある。そしてそれは、まったく自分のことででもある。さて、どう生き延びていけば良いのであろうか。海に沈む貝のようにジッと耳を澄ませて、自分の頭で考えなければならないことだ。むむ。
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by dn_nd | 2011-11-18 10:46

どんまつお通信3。
 昨日、築地にある東京録音と云うスタジオにて、いつもお世話になっている塩田チーフエンジニア(気の良いおっさんでストーンズファン)とのマスタリングの作業が終了し、ここのところ取り組んでいたズボンズの新作がようやく完成した。ようやく、とは言うものの、考えてみたら「この」アルバムを作ることにして作業を始めたのは先週の日曜日のことだったので(その朝にボクは「スタジオでのリハーサルの予定だったけれど、急遽レコーディングすることにする」とメンバーにメールしたと思う。もしかしたら前日だったかも知れない。もちろん、メンバーは誰一人として驚きも何もせず、「あぁ、そうすか」と云う感じで作業に取り掛かってくれた。どんな曲で何をやれば良いのか、などということは、ズボンズにとって問題になることではないのである。常に「これをこういう具合に"今"・"ここで"・"すぐに"やるのだ」という選択しか無いのです)、ものすごく急ピッチで作業を進めたことになる。

 そもそもは、12月のツアーに間に合わせる為に「ちょっとしたEPとかシングル的な軽いものを」と考えて作業を始めたのは10月の頭であったと思う。(いや、最初のレコーディングは9月のイヴェント終わり、打ち上げの場での録音だったので、9月の半ばということになるか)それに合わせてレコーディングを始めて、それは3~4曲程度の「新しいスケッチ」のようなものになる予定だったのだけれど、蓋を開けてみると新しいマテリアルはアルバムの長さ分になり、一通りの完成を見た後で、「これはズボンズとは言い難い」と云うマッタ&ムー(そして更に数人の親しい人々)の意見があり、(ハッキリ言うと、これはドン・マツオのソロではないかと云うことである)それはやはり違うのだろうなと云うことで、「ズボンズとして疑問の余地のない」作品を作る必要に迫られたのである。これが10月の終わり。

 その時点でもボクは3月にアメリカツアー中に完成させてきた新作のイントロダクションになるような「軽いEP、もしくはシングル」を想定していたのだが、過去にやりかけていた録音物をチェックしている内に物事はそう簡単に進まなくなってしまった訳である。12月にはツアーがスケジュールされていて、それには持って行かなければならないのだから、当然締め切りはタイトなのである。ところが、創作意欲というものは「待ったなし」でグイグイと湧いてくるので、結果として無理を重ねて仕上げることになる。今週のボクはこんなであった;

11月7日 5曲のEPにする予定だったのだが、どうも作品として完結しない(と言うか、作品が「完結させてくれない」)ので、寝起きのまどろみの中で別の曲のストックがあったことを思い出し、朝から作詞作業に入る。午後西荻窪にて、エンジニア三木くんにお願いしていたmixのデーターを受け取る。夕方までに詩を完成させ、すぐに歌入れ。(訃報を回覧してきた近所のおばさんに「何度もピンポン押したのに出ないんだもの。あんた随分がんばって音楽やってたわねぇ~。」と言われる。2階の自室で歌入れしていたので、外にまる聞こえなのである。ハハハ。)マッタちゃんに追加のキーボードをダビングして貰い、夕食後深夜までエディット作業。

11月8日 聴いてみると三木くんのやってくれたmixが、求めているものと違うものだったので、結局mix作業をイチからやり直しすることに。更に昨日歌入れで発見したマイク選別とトラックの相性を考え、午前中に別の曲のヴォーカルを録り直す。エディット。午後よりmix作業。夕方に三木くんがやってきて黙々とリ・ミキシング作業を進める。マッタちゃんが作ってくれたチリコンカンとワインをやりながら、しかし三木くんが帰宅後も作業の続き。一応の完成の一歩手前まで来たような気がしていたのだが・・・。

11月9日 朝聴いてみるとどうも違うような気がするので、トラックを録り始めた頃のバランスに立ち返ってみると、やはり最初にあった無鉄砲な暴力性が無くなり、洗練されてしまっているように聴こえる為、再度ミキシングをやり直すことに。この日は吉祥寺GBにてレギュラーライブの日だったので、午後4時のサウンドチェックまでにはどうにか、と思っていたのだけど、結局サウンドチェックはすっ飛ばし、本番直前まで作業をやり続けたものの、半分の3曲しか出来なかった。8:30pmに打ち合わせの予定があったので8時前に自宅を出て、打ち合わせ後9:30pmからライブ。(とても評判は良かった)帰宅後、ちょっと寝ようと思ったのだが寝れず(当たり前だ。ライブやって興奮もしているし、やらなければならない作業はまだまだ沢山あるのに、ボクの脳はそう簡単に休ませてくれない)、そのままmix作業に入る。

11月10日 依然徹夜のmix down。またもまたも思いついてしまい、1曲のヴォーカルを録し直すことに。(なんと結局これは使用しなかったのだが!!)エディット。ミックスダウン。午後1時に築地の東京録音に行かなければならないので、猛スピード&スーパー集中力で最後の曲のミックスを終了する。(それでも40分遅刻した。すんません。)
 マスタリングは、最終的にCDになったときにどのような曲順で、曲間で、音質で聴いてもらうか、と云う最終的な作業である。以前ボクのソロアルバム"New Stone Age"の時にmixを失敗し(それがmixをやった初めての経験だった)、全曲やり直ししてもらった経験があるので(3日徹夜した)、マスタリングはちょっと緊張する作業である。今回はmixに問題はなかったものの、非常に特殊なmixでもあるので、すんなりと物事は運ばず、アナログテープに落とし込んだり、真空管のコンプレッサーを使ったり、業者がたまたま持ってきていた新製品の高級コンプ(のサンプル)を使ったりして、とにかく良い質感を得る為に格闘したのである。塩田氏の「これで良いでしょう」という太鼓判とボクの合意が1曲目に出たのがすでに午後5時近かったのだけど、その後の作業はスムースに進み、8時前には完成を見た。(途中、曲間を決める時に、さすがのボクもほんの数秒居眠りして聴き逃してしまい失笑を買ってしまったのだけれど)地下鉄に乗り、満員の中央線に乗って自宅に戻った時は、まぁ、やはり疲れ果てていたですね。

 そして、今日である。本当は創り上げてしまった後のデプレッションについて書くつもりだったのだけど、ドキュメントになってしまった。もう書き疲れたので、また次回書くです。

 ともかく、ズボンズの新作は「良いです」(三四郎風に)。ご期待あれで、あります。
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by dn_nd | 2011-11-11 11:01

どんまつお通信2.
 前回書いた時にレコーディングしていた音源はアルバムとして無事にまとまりそうだったのだけれど、内容的に「ズボンズでないような気がする」という多数の意見があったので、ならば、と言うことで新たに「ズボンズの」音源を作っているのでアリマス。(よって、作りかけの音源はいずれDON Matsuo Groupの1st albumとしてリリースすることになるでしょう)今回の「ズボンズの」音源は、もしかしたら誰にもそう思われないかもしれないけれど、ほとんどHip Hopであります。我が国ではHip Hopという音楽の在り方がステレオタイプ的に偏ってしまって、音楽的手法としてのジャンルの境界を飛び越えたHip Hop的発想の作りかたをしている(ややこしいですな)ものは寡聞にして余り知らない。ズボンズは、そういうことをやるのだが、それはメンバーだけでは「手が足りない」うえに「技術もない」からでアリマス。志や目標は高い。だからこそHip Hopに走る、というのは、Hip Hop的に実に正しい行為である。うん。と言う訳で、録り溜めておいた音源をCutしChopしEditし出し入れして、ほとんどデザインをやり直すかという感じで、新しい音源は作られております。どのメンバーも、これがどのような作品になるのかは未知なのではあるのだけれど、やはりそこには「これはズボンズで、これは違う」というボーダーがあるのですね。「手が足りない」うえに「技術もない」しかし志は高い、と云うところにポイントがあるように思います。

 DON Matsuo Groupは、割合技術のしっかりしたメンバーに支えられているので、実に自由闊達に演奏できるのだけど、ズボンズは「不自由さ」の中で最高到達点を常に目指しているので、やはりその演奏には相当な違いが出てくるのでしょう。逆説的ではありますが、ソロであるはずのDMGよりもズボンズの方が、実際の自分の頭の中とは近いような気がします。面白いですなぁ。いずれにしても、この二つの音源、どちらも「ロック的には」良い点数をつけれると自負しております。12月にはズボンズの、未定ですが来年早々にはDMGのリリースになるでしょう。乞う御期待、でアリマス!!
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by dn_nd | 2011-11-01 06:57
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