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エンジニアのクリエイティブ。
 エンジニア三木くんと吉祥寺にて打ち合わせ。ズボンズ新作のmixの仮の段階のものを渡してもらう。そうして、以下がそれを聴いたボクからの返事。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これら今回のミックスの欠点は、
「それが全体として"音楽的"に聴こえるか」
ということより、
「すべての音がハッキリ明瞭に聴こえるか」
というポイントを優先してやってしまっているところだろうな。
結果、すべての楽器は明瞭に聴こえるかもしれないが、意思のない音楽になってしまう。
いいかい?例えば、ビートルズの音楽には、完全に埋もれてしまっているパーツもあるけれど、それは排除されることもなく、ひっそりと存在し続けている訳だ。それはただの「音の残響の一部」とか「下敷き」とか誰にも注目されない小さなカーペットみたいなものになってしまうのだけれど、実は曲を滋養豊かにしてくれている。(そうして、運が良ければ、熱心なリスナーに見つけてもらえることになる。30年後に。ハハハ。)

分かるかね?優先順位を間違ってはいけない。

どのような音楽が「今」出来つつあるか、その音楽がしっかりとした存在と質量を持つにはどのような処置が、配置が、必要なのかを、ミックスすることによって「創り出さ」なければならない。そのミックス自体が、一つの自分の理想の音楽でなければならない。エンジニアは、そうあるべきだ。
そこまで出来るだろうか?

いや、やるんだよ。

という今回の評価でした。辛口御免。
明日は11時頃来てくだされ。
オレはこれから作業の続きやるよー。

DON
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 エルヴィスの遥か昔からラジオミックスというのは存在していて、それは家庭の再生装置ではなく当時のAMラジオのスピーカーで鳴ったときにどう効果的に聴こえるか意識したものだ。(ラジオからバンバンとヒットが出てた時代の話である)今やそれはiTunesやらPCやら携帯やら、ということになるだろう。そういうものがあってもボクは別に構わないけれど、自分で曲を作って、演奏して、制作までしているものを、それが一番の理想に近いもの、もしくは「あるべき」姿を与えないで商売になるからという理由でベースを削ったりは出来ないもんだ。「これが、これこそが、こういうものが本当にかっこいい音楽というものなのですよ!!」とビックリマークをくっつけてリスナーに紹介出来るものを創っているのである。本心からリスナーのことを第一に考えているのだ、と考えてもいる。「リスナーの耳のレベル」やら「普段聴く環境を考えて」と唱っていると、いかにもリスナーフレンドリーのような風に見えるが、そういうものはその先にくる経済性(つまり売れる・売れない)のことにプライオリティーをおいているのではないかと、ボクは思う。もう今はエルヴィスの時代ではない。2012年になって、誰もが真剣に自分そのものの在り方を問われ続けている。だからボクもちょっとの妥協も譲歩も出来ないものであるよ。ビートルズは、最高だなと思うな。
(途中からは、三木くんと打ち合わせ中にした話でした。)
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by dn_nd | 2012-03-10 19:21 | music

人間は小さいが、作品は大きい。
 録画してあった「あさま山荘事件」のNHKのドキュメンタリー番組を見る。よくわからないのは、連合赤軍が、どのような理想社会を目指してテロ行為をやっていたかという部分であった。気になってネットでちょこちょこと調べてみるが、やはりよくわからない。それは、特に震災以降、更に進行中の原発問題・政治問題・経済問題を抱える2012年の「現在」の視点で考えているからなのだと思う。いずれにしても、大きく肥大したエゴの起こした悲劇なのだと思う。犯人達は、今のボクから見ると、ものすごく若い。(最年少は16歳であった)「若さ」という不安定さと、傲慢さ。そこから生まれる爆発。その何度も繰り返されるシナリオにちょっとうんざりさせられるのであろう。そんな彼らに撃ち殺されてしまった人もいる。他人の命を奪うというのは、やはり何と言っても最も酷い事である。それを思うと、ロックミュージシャンの「神を信じない」であるとか「すべて破壊してしまえ」とかいう発言は(これまた何度も繰り返されているシナリオ通りの台詞である)、一瞬のカタルシスを与えるが、やはり人間の底が割れてしまうように感じる。2012年のように、ここまで来てしまうと、ロックミュージックをクリエイトするというその意味や意義は、もはやまったく違うものでなければ、ボクは嫌だ。

 同時進行で、ドストエフスキー「悪霊」を再読している。あらゆる人間の潜む「悪」性を、情け容赦なく描くその筆致に、時折一人では読み続けるのが辛くなってしまうのは、それが「自分の抱えている悪性・下劣さ」を目の当たりにさせられてしまうように感じるからだ。質の高い文学作品は、「これもまた自分であるか」という発見を与えてくれる。そしてそれは、大体においてネガティブな部分に光をあてて「これを見よ!}と問い詰めてくることが多いように思う。しかしそれは「人間誰しもそうなのだから、下劣な自分を持ってていいのだ」という許しを与えてくれる訳ではない。自分の「悪性」と対峙し、それに膝まづくことなく、屈服することなく、ましてやどっぷりひたることではなく、やはりそうでも「良く」生きたいと、自分の悪と戦うことを強いるのである。それでも我々は悟った心穏やかなお坊さんになる訳ではない。欲望は、そのようなポイントで十全な満足を与えてくれないのは明らかである。それが、ボクらのいる2012年である。このようなことに簡単な救済の方法がある筈もないのは、勿論承知しているのである。それは、人間がその一生を懸けて取り組み、考え続けていかなければならないテーマである。

 更に同時進行で、ビートルズを聴いている。素晴らしいロックミュージックである。特に最近ズボンズのアルバム制作にかかりきりなので、ビートルズを聴くことで「何故自分はロックミュージックを志向したか」という初心を思い出させてくれる。そうして深く聴き込むことによって、これらの作品群のトラック一つ一つに間違えようのない「彼ら」の存在を、息を、嗅ぎ取ることが出来る。それは時として、あまりの恩恵の大きさ(それは彼らのリアルな人間存在の大きさそのものである)に、訳もなく涙をこぼさせる。ジョン・レノンが言ったように、確かに神様と同じくらい偉大だと思う。しかし一方で、ボクらは今現在生きているポールやリンゴにそのような敬意を払うだろうか?きっと払うどころか、老人扱いして、今やっている音楽に関しては冷笑するのがオチであろう。(多分本人にあっても、会い続けているうちに普通のおじいさんに思えてくるに違いないと、感じる。良い人かどうかは、やはり会ってみないとよくわからない)一体それはどういうことか?

 思うに、それは誰もが同じ人間だからである。人間である、という部分に関しては、「自分存在」というものに思いを馳せたその量だけ誰もがキャリアを積むことが出来る。相手は「有名だ」とか「功績がある」というようなことよりも、その人間そのものに感じる部分に心の中心は強く動かされるからである。

 それはそれとして、だから結局人間というのは、いくらエゴや思想が肥大したところで、いくら有名になったりお金持ちになったところで、誰もがほとんど変わりがない小さな存在でしかないということなのかなと思う。しかし、一方で、人間が「創り出した」ものは、遥かに個人を超えた偉大なものになり得る。人間は同じく小さな存在であれど、作品は神のように素晴らしいものに出来る。それはその小さな個人から生み出されたものとも言えるし、何か「大きな力」を借りたものかもしれないとも言えるが、人間はそういう偉大なことをやってしまえる生き物だからすごいのだと思うのである。それでも、その作品は本人ではないし、その偉大さに自分が肥大させられてはいけない。それを混同して作品の偉大さのごとく人間が、「偉大さ」を擬人化して振舞うようになると、やはり悲劇が待ち受けてしまうのではないかと思う。

 思想・作品は大きい、でも個人はあくまで小さな人間であるという意識。そして果てしない自己内「悪霊」との戦い。なんとボクらは辛い場所に立たされているか。嘘でも何でもなく、時としてすべての人間に祈りを捧げたくなる気分になるときがある。そのような時が、つまり、人間の偉大な「作品たち」を目の当たりにした時である。やはりいつかは人間は救われて欲しいと思う、ボクは。
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by dn_nd | 2012-03-09 13:11
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