ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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自問する日々。
(前略)音楽を続ける、ということが、ここのところかなり個人的な洞察行為になってきている為であります。沢山の人に隙間から広めていくという、ある種のビジネス戦略的行動も必要なのだとは思うのだけれど、どうしても心はそれに向かうことが出来ず、ひたすら「これ(音楽を作り・演奏すること)をやるという行為は、自分に何をもたらすのか?何故自分はこれをやり続けているのか?」というある種の哲学的、信仰的問いについて自問し、考え、迷いする毎日です。人付き合いも上手く出来ず、ビジネスとして生き残る努力も出来ない人間が、どうしてこのようなショービジネスの世界に入り込んでしまったのでしょうね。いやはや、ロックンロールの人を変える力は恐ろしいものです・・・・。(後略)

(Electric Eel Shock・前川くんに宛てた今朝のメールの一部。)
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by dn_nd | 2012-07-31 07:49

仕事も余暇も。
 交通網、通信機器、電気料理用器具、その他とにかく沢山の人間が便利で快適に生きられるように作り積み上げられたものは、つまり、人間に「時間」を捻り出す為に作られたものだと言って良い。効率良く働き、効率良く情報を得て、効率良く料理し、「自分の為」の時間を捻出する。それが目的である。「自分に為の時間」、つまり余暇を捻り出すのである。そうして働くときはとにかく働いて、余暇にだけ自分の好きなことをやる、なのでより余暇を増やす為に経済を成長させ、便利で効率の良い世の中を、この50年くらいかけて作り上げようと努力してきた。

 ボクの親の世代に言わせると、昭和30年代、戦後でまだ日本が貧しかった頃(それこそ冷蔵庫や洗濯機や、もちろんクーラーもなかった頃だ)は、「余暇」なんていう概念はなかったと言う。映画「Always」のように、働き、ご飯を食べ、近所の悲喜こもごもがあり、家族団らんして、寝る。日本人は、とても貧しかった。しかし、とても幸せでもあったと、誰もがその頃を懐かしがるには、ノスタルジーだけでない理由があるのだろう。今でも、日本人はその頃の「清貧」的な生活に戻るべきだという声も大きい。

 しかし、たとえそれが日本人としての幸せの一つの形だったとしても、時代の必然としてそうだった環境に無理やり戻るのは、もちろん無理な話であろう。また一方では、その後50年かけて作り上げてきた世界から発展させてきた「余暇を生む生活」というものも、結局充実感に乏しく、忙しさに疲弊し、社会というものが、もしくは人生そのものが、どんどん空虚なものになってしまったことには誰もが気がついてきているところであろう。となると、21世紀、新しい時代を生きるボクらはどうやれば良いのか。

 思うに、「働く」という行為を、如何に「余暇」つまり楽しめること、に近づけるかということではないか。仕事それ自体を余暇で楽しむことをやるようにやることしかなかろう。これまでは余りに労働と楽しみを隔離させすぎていた。楽しむ為に苦しまなければならないという思い込みの強さがあったのだと思う。更にその思い込みがこそ、まったく自分にとって向いてもいなければ、まったく興味も持てない仕事を「お金が良いから」という理由で選ばせることになり、結果得たものはカッコいい靴だったり、時計だったり、ブランド物の数々であったり、思想も理解もない贅沢なグルメ志向だったりした訳である。それらは自分で作り出したものではい。どこかの人達が作ったもので、結局それらを手にいれ身の回りに配置したとしても、自分の魂が喜ばないということは、自分の奥底が一番痛感していることである。

 何をやっていたとしても、「働く」ことを「楽しみ」な行為にすることが出来る人間は幸いである。そうして、20世紀中の努力のお陰で便利で効率の良い世界を作り上げたボクらは、不便な世界に戻ることなく、更に余暇まで手に入れることが出来る。仕事も趣味的に楽しければ、余暇もまた楽しい、という、とても結構な生き方が出来る、とは言えないだろうか。「楽しい」というのは、言葉としては適当ではないかも知れない。「充実」だろうか。仕事を充実させよう、余暇に行う何かを充実させようとするならば、それは決して「楽」なことではないからだ。自分が興味を持って、自分の成長に繋がることとして仕事をし、余暇に何かをする場合には努力が必要となってくる。だからこそ、自分は成長し、魂が喜ぶのを知るのである。それは、創造的~クリエイティブな生活である。自分という人間を、自分で創造していく長いプロセスにいるという認識である。そこには、20世紀型の経済・効率優先の物質的で無駄に贅沢な志向は必要ではない。もう、それは古い考えだ。

 TVを観ると、吊り広告を電車で見ると、新聞や雑誌を見ると、世の中は未だに20世紀型価値観を基にしてボクらを不安に導こうとしているように見える。しかし、そこから自分を切り離して考えてみる。自分はソリッドなのか、自分が幸せを感じていないとしたら、一体それは何が根本原因なのか。ボクらは新しい時代に踏み出していかなければならないし、それが豊かで幸せなものにしていかなければならない。何か分からないけど自分でない誰かの価値観に、振り回されることはないのだ。
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by dn_nd | 2012-07-30 08:05

45年の後に。
 ジョン・アーヴィングの「オウエンのために祈りを」の中にこういう一説がある。

 ”六八年の夏を境に、ごく平凡な社会のなかで残忍なことがつぎつぎに起こるのが珍しくなくなり、そのために人びとは悩まされるようになった。”

 アメリカの、時代はヴェトナム戦争そしてJFK暗殺など、暴力が始めてTVという装置を通して家庭内に直接届けられ始めたころである。もちろん、現在に至っては暴力だけでなく、あらゆるサイコな事例、精神疾患、政治家や資本家たちの不正・不正直etc,etc、がほとんど一日中流されっぱなしである(グルメやレジャーも同じく)。間違いなく人は、その目の当たりにした場面に影響を受ける。(もしくは何らかの示唆を)結果、同じような形であったり、または違う形をとって、暴力や不正を行動することになる。さて、それら人間の悪の本性というわれる部分は、はたして元々持っていたものがTVなどメディアによってこじ開けられて表面に浮かび出てきたものなのか、それとも、元々は無かったものだが「そうしてもいいのだ」という許しを自分に与えてしまった結果なのだろうか。

 六八年から45年が過ぎようとしている。もはやボクらはTVのない世界に戻ることは出来ない。だからといって、それに操られることのないようには出来る。それは自分の頭で考えることである。世界というものは、ものすごく多面的に作られている。TVやメディアが流すのはそのほんの一面に過ぎない、と理解すること。その他の面を補うために「自分」の想像力を駆使すること。そのためにはまず自分という人間の多面性を理解しなければならない。自分がこれだけ多面的で、矛盾を多く抱え、はっきりしない不確かな感情で動いている生物であることを、認識すること。

 誰もが等しくややこしい存在であることに気付いた上で、より良く生きていくように心がけていくことで、人間の明るい未来はやってくるのではないかと期待したい。一度明けられたパンドラの箱を閉めてしまうのではなく、全部さらした上での将来向かえる選択をしなければならないであろう、いずれにしても。誰だって悪い将来なんて望んだりしない、とボクは信じたい。
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by dn_nd | 2012-07-27 08:10

夏の一日。
 子供の頃の夏の一日の話である。

 朝早く起きて、半分夢の世界にいながら近所の公園までラジオ体操をやりにいく。(どうしても皆勤賞はもらえなかった。皆勤賞とはいっても、ただのノートだったのだけれど)帰り途中の営業前のガソリンスタンドに忍び込み、その頃はまだ瓶だったコーラやファンタやスプライトの王冠(瓶のフタですね)を盗む。ウチに着くと、朝ごはんが用意してあって、大抵は卵が一個入った具沢山の味噌汁があった。味噌汁が好きでなかったボクは、「ごちそうさまぁ~」とこっそり流しにそれを捨てて、二階にある自分の部屋へと登っていく。(後で叱られることになる)
 ボクの母親はとても教育熱心だったので、午前中は自分の部屋から一歩も出ずに勉強することを強いられていた。子供のボクは、それを何の疑いもなく受け入れていたのだけれど、もっと大きくなって友人に「そうだったよね?」なんて聞くと、なんてお前のウチはガリ勉させられていたのだと言われたものだ。とは言え、子供のことだから長時間自習できる訳もなく、前前の家の庭に立っていた大きなポプラの木を眺めてみたり、セミの鳴き声を観察してみたり、こっそりマンガを読んでみたり、またその続きのオリジナルストーリーを空想してみたりしたものだ。
 お昼ご飯は大抵前の日の残り物だったように思う。姉や妹は冷やしそうめんを食べていたと思うが、ボクはどうしても冷えた麺類というものが食べ物としてどうしても納得がいかなかったので(きっと、子供なりの理由があったに違いない)、冷ご飯と何かおかずを食べていたのだろう。考えてみると、その頃は炊飯器の保温機能がなかったので、お昼は大体冷ご飯だった。それで今になっても、インスタントラーメンを食べるとなると冷ご飯も一緒に欲しくなってしまう。(ラーメンも食べなくなってしまったが)
 食事を終えるとお小遣いを貰って、友達と市民プールへ行く。無茶苦茶なフォームでさんざんに水を散らかして泳いで、帰りにみんなでお好み焼きを食べるのだ。卵の入ってない一番安いお好み焼きは確か50円だったのじゃないか。お好み焼き屋のおばちゃんは、子供が焼くのを手伝ってはくれない。それぞれが失敗を重ねながら、3年生になる頃には皆、充分上手に焼けるようになっていた。
 家に帰って夕方のアニメを見る。民法は2局しかなかった長崎ではその頃、5時から6時の間に2本のアニメ番組をやっていて、それだけが子供の娯楽だった。6時からはニュースになるので、晩御飯を食べていた。ニュースなんて世界で一番面白くないテレビ番組だとボクは思っていた。もちろん、今のニュース番組のように街のグルメ情報やら、芸能関係の痴話話などはプログラム中になかった頃の話だ。
 夜の7時になると再度自分の部屋へと閉じ込められて勉強することになっていて、1時間後に降りていって花火をやりながらスイカや、母親が作ってくれたミルクセーキを食べたりする。(どうもミルクセーキというのは長崎ローカルな食べ物だったらしく、まぁ今で言うスターバックスのフラペチーノのようなカキ氷飲み物です。カキ氷と卵と牛乳と練乳をミキサーで混ぜて作る。ボクも、近所の子供達もこれが大好きだった。今考えてみれば、自宅で作っていたのはウチの母親だけだったようだ)9時になると家族みんなで布団を敷いた部屋でテレビドラマを見ながら(「赤いシリーズ」や「シェ-ン」などの名画)、電気は消されて、気付くと眠っていた。とても10時までなんて起きてられなかったものである。
 そうしてまた翌日は同じことが繰り返される。小さな世界をまだ巨大に感じていられた頃の話だ。

 どうしてボクはミュージシャンになってしまったのでしょうね。

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by dn_nd | 2012-07-26 07:52

「保守」か「自然」か。
 山口防府の印度洋やパンの双葉屋のようなお店は地元のそこを愛する人達にとってはかけがえのないものであろうし、そういうお店があれば、その存続に協力する形で、他での無駄遣いを無くして、それらの店に立ち寄りたい。一杯だけお酒を飲むでも、一つ二つパンを買うでも良い。他の実はどうでも良いところでお金を落とすくらいならば、「ずっといて欲しいなぁ」と思う店にお金を使うべきであろう。(なにしろ実際は本当にどうでも良いところに、大した理由もなくお金を使っているものである。コンビニでパンやら食べ物やら買ってみたり、ファミリーレストランに行ってみたり。)

 そのような「ささやかだけど自分の愛するもの」というものの不在は、無くなってみないと分からないことだけれど、自分が自分でいることにとっては実に大きな損失なのである。何かと理由をつけて「競争力が足りなかったのだ」とか「変化が必要だ」とか「経営努力をしてなかった」とか分かったような「現代的」な解釈をしようとするが、それらはすべて単なる経済の話であって、お金を大きくグルグル回そうとしている社会(という謎の存在)に惑わされているようである。

 昨晩も「クオリティの高いフレンチを、こんな値段で」というようなお店の経営を誉めそやす番組をTVでやっていて、実に結構なことだとは思ったのだけれど、やはりそれがどうしても必要なものとは思えない。そのような店に行って「やぁ、おいしい」とフランス料理(立ち食いなのだ)を食べてみたくもあるが、しかしやはり大した満足感は得れないのではないか。(同じ経営者が「それまで日陰のような存在であった古本屋を誰でも便利に分かり易く使えるようにした」というBook Off。こちらに関しては、どちらかといえば害があるようにも思う。特に店内のBGMやら店員の奇妙な従順さに。)満足感、というのは経済の問題ではなく、魂の問題であって、心が喜ぶことである。それをなんとか上手いことお金の問題に摩り替えようとしている。テレビは怖いですねぇ。

 ともあれ、ともかく、「変化が必要」とかいちいち競争に持ち込まれることに防御線を張っておかなければならない。「以前よりももっと良いものを」というのは、クリエイティブな人間にとっては当たり前のことであって、髪型を変えたり新しいメニューを無理やり加えたりという目新しさを演出することとは大分違う。どうも日本という国は、高度成長期の、いやもしかすると文明開化以降の時代の「どんどん変わっていくことが当たり前で、それが善」という価値観に、未だに囚われ過ぎているように見える。その部分はその部分で進行させておけば良かろう。刺激があるのだって、とても良いことである。しかし、それを社会的普遍性として語るのは馬鹿げている。

 変わり続ける、目新しくあり続けることに労力やお金を注ぎ込むよりも、より自分の愛するものに、深めてくれるような物・事にエネルギーを注ぎ込みたい。それは全然保守的な行動ではない。ただ人間として自然なだけである。保守と自然は、大分違う。自然とはもっと伸びやかで、手に負えないほど自由なもののことである。むしろ「高度成長」のような20世紀のイデオロギーに囚われている人達の頭や押し付けの方が保守的であって、古いもののように感じる。自然でいるのは、常に新しい。それは、自分という人間が、常に新しい存在であるからで、お店のメニューや内装や、ファッションや髪型が、新しいからではないのである。
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by dn_nd | 2012-07-25 07:56

ツアー中の「状態」における時間軸。
 The Sweet Passionの国内ツアーを(とりあえず一旦)終えて東京も戻ってきた。昨晩の新宿ロフトでのライブも、ツアーファイナルという訳ではなく、あくまでこれからオーストラリア、アメリカ、カナダと続くツアーの第一セクションといったところである。(いずれにしても来週は横浜、そしてその翌週に吉祥寺と断続的に続くのですが)とは言え、国内を2週間ほどツアーしてきての東京なので、すごく気合が入っていたかと言えばそうでもなくて、昨晩のライブはあくまで”壊れかけのテープレコーダーズ”のレコ発企画に参加というイレギュラーな形だったので、実はそのお陰で随分伸び伸びとリラックスしてやらせていただいた。もしこれがボクらがメインの、となっていたら、もう少し、いや結構緊張感が漂っていたかもしれない。そういう意味で、昨晩のようにバンド間の雰囲気も良く、楽しくやれたのはとても良かったです。(まぁ、その分”壊れかけ”小森くん達は大変だったでしょうなぁ。お疲れさまでした!!)

 例えば、何度も経験している筈なのに夏がくると、「あぁ、夏ってこんな感じだったよなぁ」と夏が来るまで実感出来ないのと同じように、ツアーも始めてみるまでは自分達がどのような状態になっていくのか、始めてみるまでは分からないものである。その疲労と毎晩の発散が自分自身に、バンド内部に及ぼす変化・影響とはどのようなものか、これは何日も演奏を続けて実際に自分がそのような”スポット”に入り込んでみないと分からない。「そうそう、こんな感じだった」といつも思う。(夏が来た時のように。)

 それは一種、現実離れしたような感覚でもある。日常、というものは(もちろん)存在しているのだけれど、同時に意識はあらゆる日常から遊離していて、世間の時間とはあまり関係なくフワフワ漂っているような感覚である。身体の細胞は疲れ、休みを取りたがっているのだが、その反対に脳は冴えていて、その逆方向に向かっているギャップが、「遊離」した状態へと導いていくのかもしれない。「遊離」しているとき、身体は疲れから緩んでいて(何しろ力が入らない)、感覚機能はクールなものだから、意識はオープンになっていて、エネルギーの出入りが容易になる。もちろん、「音楽さん」もそこから入って来て、出ていくのである。ボクらはスポンジというか、ストローというか、そういうものになっていて、自分の中に蓄積されたエネルギーを振り絞るわけでなく、ただその通過を感じるだけだ。

 そのような「遊離」した状態に入るには、実は、結構過酷なスケジュールが必要なのかもしれない。身体がきついからといって、休みをとっていたりすると、すぐ元の状態に戻ってしまう。こと音楽をやる、ということに関して言えば、いくら疲れていてもステージに上がって演奏を始めた時に不思議とキレの良い動きをするものである。そうして、ステージをやっている間は、演奏するという行為そのものが自分をチャージしてくれていることに気付く。(でも、それが誰にも当てはまることかどうかは分からない。もしかしたらボクらだけかもしれないですね。)さてこの状態が、更に続くとしたらどうなるのか。例えば、アメリカでの日程のように6週間同じようにやり続けたとしたら?

 その時に、自分は自分の考えていた限界を超えることが出来るのだな、という経験をすることになる。それは(多かれ少なかれ、意識的であれ無意識であれ)、自分が考えていた人間の力というものは「自分」自身が蓄積として持っていたものなんかじゃなく、偉大なる大きなエネルギーの一部として存在しているのだなという感覚である。身体が疲れ果て、一方で知覚が研ぎ澄まされていくとき、更に何と言っても毎晩のステージで「事」を起こさなければならないとき、人間は偉大なる大きなエネルギーを素通りさせる装置・媒体にならざるを得ない。その時に感じるのはエネルギーの巨大さであり、自分もそのエネルギーであって、自分もまた巨大なのだなという実感であろう。その経験が、あまりに素晴らしく、喜びが大きいが為に、ボクらは過酷なスケジュールを厭わない、のだと思う。そのような状態に入るには(今のところ)肉体的な追い込みが必要なのである。(もしかしてもっと年を重ねていけば、いつでもその状態に入れるようになるのかも知れない。でもまだそれはまだまだ先のことだろう。)そうして、その「状態」にいるときの創造というものがある。それもまた自分の小さな脳が考えることの出来る範囲を大きく逸脱したものになっていく。ライブの演奏であれ、レコードを作ることであれ。結局、最終的に残るクリエイティビティがあるからこそ、色々なものを投げ打ってまでもこういうことを、やるのだ。

 さてさて、そうは言いながらも、これからまたちょっと日常に戻らなければならない。偉大なる大きなエネルギーに包まれていた喜びの時間軸から、また小さな人間の時間軸に戻る。今日は2012年7月24日だ。この落差は誰にとっても激しいもので、だからこそ多くのロックスターやアーティスト達がアルコールやドラッグにはまり込んでしまうのだろうと思う。しかしこの小さな世界で経験することからのフィードバックもなくてはならない。そうしてまた「状態」へと戻る。これもまた、年を重ねていけばいつかその境目も無くなってしまうのかもしれない。でも、まだまだボクらは経験しなければならないことが沢山あるのだし、人間の力の未知な部分は、本当に沢山残っている。
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by dn_nd | 2012-07-24 08:33

日常的なイメージトレーニングについて。
 色々と熱の高かった(ステージ上も、それはそれは熱かった)黒崎マーカスでのライブも終了。これで九州での日程はクリアとなり、本州へと戻る。このところの気候からするとまるで”亜熱帯ツアー”といっても良かったほど湿度も気温も高かった。これが温暖化の影響なのか、単なるお天気の神様のきまぐれなのか分からないが、ライブをやっている間は「そんなことはどうだって良いのだ」という気分ではある。身体が細胞レベルで疲れているので、熱帯夜であれグーグー寝ている。(そして翌日には回復している。これは本当に驚くべきことである。動物は良く出来てるなぁ。)

 ツアー中、特に序盤においてはステージで起こるかもしれない様々なことに対してイメージトレーニングを行う必要がある。それはトラブル回避の意味もある。機材に不具合が出た場合はどうするのか、この何気なく自分の斜め後ろを這っている無防備なコードに足を引っかけてしまったらどうするのか、自分のであれドラムのであれアンプに立ててあるものであれマイクスタンドの位置は自分の動きを邪魔しないか等々。これらは現場でのイメージトレーニングであって、前もってというよりも、セッティング中に、リハーサル中に瞬間的に素早く的確に行う実務的なものである。

 大事なのは、「今日これからこのステージで演奏している自分とバンド」をイメージすることだ。想像力を使って、自分を一気に未来へと飛翔させなければならない。ステージ用の照明となり、お客がいて、これくらいの大きさで音が鳴っている中で自分達はどのように演奏しているのか(音楽それ自体はもとより、演奏する動きがどのように見えているのかも含めて)、また「どのように演奏すべきか」ということでもある。もちろんそれは毎日毎日本人のコンディションも違うし、立つステージも違うので、それら様々な要素を思いつく限り絡ませた上でのイメージを作ることになる。色々と起こり得る不具合を想定する。しかしそうあった上でベストのパフォーマンスを行う為にイメージトレーニングするのである。

 そのようなことはボクにとってはもう長年やってきたことなので、ことさら難しいことではないが、今度はそのようなイメージトレーニングを日常的な対人関係の中でやってみてはどうかと考えているところである。毎日会う人がいる、また今日だけ会う人がいる。それら人々と会う際にどのような行動を取ることがお互いにとって一番良い形になるのかをイメージトレーニングする。そうすることで結構たくさんの無用な不愉快なことが起こりにくくなるだろうと思うのであります。

 なにはともあれ想像力・空想力である。やはりそれは言葉の後ろに「力」という文字がつくことから分かるように、日々鍛錬していくことで伸ばせるものでもあろうし、逆に使っていなければ衰えていくものである。しかしそれ無しで今後の世界を楽しく生き抜くのは難しくなっている。みなさん、がんばりましょうね。

 (昨日の嬉しかったこと)
 小倉にあるクロスFMのお昼の番組に生出演したのだけど、それを聴いて初めてズボンズを知った人が興味を持ってくれて当日のライブに足を運んでくれた。かかった曲に惹かれたのか、それともボクのイマイチ意味が伝わるのかどうか自信の持てないトークを面白く思ってくれたのかは分からないが、こういうシンプルな事件は、とても心を暖めてくれる。ラジオもやるものですね。どうもありがとうございました。
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by dn_nd | 2012-07-21 10:13

Promotion & Party。
 終日福岡にてプロモーション。
 ラジオでもテレビでも紙媒体でも、とにかく喋ることになるのだけれど、話しても話してもどんどん話が尽きないのが不思議だ。どこかから話が降ってくるかのようにペラペラと喋り続けている。自分でもちょっとした驚きを覚えることもある。(素面なのだし)また、インタビュアーの理解のテリトリーというか、相手の職種や興味のあり方で、ボクの話の解釈は違ってくる。DJならばDJの語圏内で、エンジニアならばエンジニアの、服屋なら服屋の、学生ならば学生の、それぞれの自身にまつわる言葉・経験・実感で理解したボールをこちらに返してくる。そこには、ボクの見えなかったことや、的確な表現を発見することもあり、今度はそれに上塗りする形で話が発展していくことになる。ジャム・セッション。毎日何かをやっていれば(何もやっていない、などということがあるだろうか)、それがインスピレーションとなり、もしくはスパイスとなり、やはり毎日新しく話す「何か」が生まれるものだ。人間とは実に奥深い生き物である。

 夜は宿泊先のマイク&ショウジ宅にてパーティー。通常のツアーならばボクとマッタちゃんとで料理を提供するのだけれど、今回は二人がプロモーションで不在な為、マイク&ショウジ、ムーストップ&ピットの2チームでディナーを用意してくれた。トマトの冷製スープから、トルコ風ディップ、サラダに極めつけのムーストップ手作り白チーズまで(!)登場し、とても豪華なパーティーとなった。(ボクとマッタちゃんはワインを提供。美味しい南アフリカのシャルドネとチリのピノノアールである)締めの灰原コーヒーと手製ベークドチーズケーキまで食べ切って、おひらき。それぞれが今まで作ったことのない(しかもけっこうハードルの高い)料理を作ったということでの満足感もあったようである。良かった良かった。

 今日はこれからまたラジオが一本、そして夜は九州最後の黒崎マーカスでのライブである。九州を離れるかと思うと寂しい限りだ。今日も湿気がすごいです。
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by dn_nd | 2012-07-20 09:11

大人が夢を見る限り。
 午前中は長崎にて、再びプロモーション活動の続き。"AIR"という音楽番組の収録とNBCラジオに生出演。地方だからというのもあるが、NBCなどはすごく歴史の長い(60年だそう)放送局であるにもかかわらず割りにフランクにゲストに入れてくれて、話もプロモーショントークというよりも興味深い雑談みたいになっていっても(それによって時間をちょっとオーヴァーしても)「まぁ、良か良か」という感じで、非常に柔軟なので、出ているこちらとしても、とても楽しい思いだった。NBCの名物アナウンサーで旧友の村山"おっさん"仁志くんも先輩の林田アナとの「きかせられないラジオ」という、オタクな二人が好き勝手やるという番組があるらしいが(その30分の番組枠内でプラモを組み立てたりするらしい)、まったく一般の「番組的」なフォーマットから外れてとことん自分達の好きなことをやっているのに、その番組は賞を取ったり、他県から「ウチからも流させてくれ」との要望もあるらしい。オタクな二人の会話は、そうでない人には分からない共通言語が頻出するのだが、それでも二人の醸し出している「好きなことに熱中している楽しさ」が伝播して聞かせるのだそう。もっともな話だと思う。(次はボクもぜひその番組に出たい)

 長崎でも長崎市では、面白いことをや外れたことをやろうとしているバンドが苦戦しているようで、そのせいもあってボクらも市内でのブッキングが難しいのだけれど、佐世保はここ数年何回も行き来出来ているのは、何故か。それはそこに受け入れてくれるシーンや小さなコミュニティーがあるからである。そしてそれは、ハウリング・セッタという長くやり続けているバンドが、ただ「やり続けている」という形で、音楽から「大人になったら離れなければならない、普通にならなければならない」という一般常識にとらわれそうになってしまう若者を繋ぎとめているのであろう。それは、各地方によって色々な形がある。場所によってはライブハウスのオーナーがそのような牽引者であることもある。とにかく良い大人が大人気なく好きなことをやり続けている姿を、クリエイティブであり続けようとする姿を、その存在があるということで、その地の若者は「あぁ、こうやって生きていっても良いのだ」と思えるものである。もちろん、それをやり続けているハウリング・セッタ、伊達さんを筆頭にメンバーは、それぞれの「止めない/止めたくない/止められない」理由があるとは思うのだけれど、その自分の「こうだ」という方向に向かっていく姿は多くの人の共感を産んでいくのではないか。

 ハウリング・セッタがいるからボクらも佐世保に行くのである。それはビジネスの繋がりではなく、共感の響き合いから生まれる磁力で引かれているわけだ。きっとそこには次の面白い/楽しい芽が派生していくに違いない。考えてみればボクらがツアーとなると何故九州での日程をこれだけ割くのかというと、それはハウリング・セッタがいるし、フルーツがいるし、Folk Enoughやポカムスがいるし、Rag G吉田さんがいてアスカちゃんがいて、マーカス室くんがいるからである。みんなが「良い大人になっても夢を追う」人間達である。ボクらと共感し、その振動が磁場を作り出しているのである。世の中こうでなくちゃいけない。それに少なくない人間が更に共振してくるのだ、それは間違いなく。

 大人が好きなことをやり続けてこそ、子供達はそれで良いのだとクリエイティブであり続けることが出来る。それこそが明るく楽しい未来を作っていくものだ。右肩上がりの経済では、もうない。
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by dn_nd | 2012-07-19 09:43

山に囲まれた小さな世界。
 プロモーションで長崎に来ている。
 長崎出身であるボクは、ここにい続けるのがいやになって大学進学と同時に出たのだけど、帰ってくると、やはりどうしてもここが好きなのだなぁと感じてしまう。それはもしかすると、身体の細胞達がそう思うのかもしれない。

 長崎は山に囲まれていて、そのすり鉢状の真ん中に街も海もすべて小ぢんまりと収まっているように見える、とはマッタちゃんの感想だが、確かにボクの子供~青年時代も、無意識にそのように感じていたように思う。それは、壁に囲まれた小さな世界で、その中で人々は暮らし、特に不自由もなく、脅かされることもない。古い洋風の建物、まだ戦後間もないかのような古い家屋、起伏があり立体感に富んだ地形、緑の山の中腹よりも高いとこまで立ち並んだ家々、これらすべてが街の一種独特なゴチャゴチャとした美しさを形成している。このような風景をボクは自分のもののように思っていた。

 高校生の頃、ボクはよく街を歩いていた。バスに使うお金がなかったというのもあるのだけれど、当時のウチから待ちの中心地、その先の中華街、グラバー邸の近くまで。友人にも恵まれ、楽しかった中学生時代と違い、また自身の思春期特有の内面的な成長・もどかしさ、それを共有出来る友人の不足が、ボクを街へと足を運ばせていた。目的もなくただ悶々として歩いているだけで、景色も地理も頭に入ってないように思っていたけれど、地理はともかく景色は思考のバックグラウンドとして漠然と頭の中に残っているようである。そしてそれは延々と考え続けていた、その考え自体にも大きく影響を与えているであろう。そして、今振り返ってみると、これら長崎の街の美しい風景が、模索し続ける自分に、どれほど優しさを与えてくれたか計り知れないものだな、と思う。そしてそれは、どこか大いなる母の懐に包まれているような感覚だったようだ。

 しかし大いなる母の元で健全な成長を遂げることが出来なかった若い魂は、小さな世界に収まっていることは出来ない。そこを飛び出し、別の(タフで粗野で乱暴な)世界で、新しい自分をスタートさせる必要があった。ボクはまだ上手く弾けないギターと荷物を持って東京に出て、新しい人格を形成していくことになる。そうして新世界で同じだけの年月が経ち、また故郷へ戻って、ボクは自分の中の子供と、美しい大いなる母を発見することになる。もしかするとこの地であのまま年を重ねていった自分という可能性もあったかもしれない。それが一体どのようなものになったか、ということは考えても答えのないことである。いずれにしても、新世界で形成された今の自分と、大いなる母の世界で過ごしていた自分とが「優しく」繋がろうとしているのは確かである。そして、離れ離れだった長い年月を経て再会した親子のようにお互いを探りあい、共通点を見つけ、影響し合い、これから先の「人間」をまた作っていくことになるのだろう。それは、どこか暖かな感覚を与えてくれる。
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by dn_nd | 2012-07-18 09:44
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