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OZ Tour#10.2 「Up&Down。」
 アメリカツアーの為の就労ヴィザ(詳しく言えば”アーティストヴィザ”)取得の為のやり取りをやっている。大きな団体や企業に属していないボクらは個人での申請となり、これがまた来て欲しくないのではなかろうかというほど厳しい審査がある。とにかく提出しなければならない書類を方々にお願いしてかき集め、向こうの弁護士事務所(弁護士なんて生涯無縁であろうと思っていたのだが、アメリカに於いてこれを避けることは出来ない)に渡す。アメリカと日本は昼夜逆転しているので、そのやり取りが過熱しているときには当然寝れない。朝方終わってやれやれと寝床に入ろうとすると、残暑がカァーっと襲ってきて、やはり寝れない。(クーラーがないせいだ。とほほ)このプロセスとプレッシャーに比べると、ツアーなんか楽なものである。しかし今回のツアーの行程は今のところ6週間の日程のうちにショウの無い日は4日。しかもそのうち2日はブッキング追加される恐れがある。いやはや。それもまた、ハードだ。

 Sydneyでのその後。ラジオの生放送を終えたボクらは会場の方へと戻る。今晩やるSandringham Hotelは今やSydneyに残っている数少ないロックバンドが演奏できる会場だという。しかもここももうすぐに取り壊しになると言われているそうだ。Sydneyでの主流はエレクトロやテクノ、Hip Hopで、ロックバンドはかなり追いやられてしまっているのだと言う。あれだけロックバンドが沢山いたメルボルンから来て、同じ国なのに(しかもSydoneyは一番の大都市だ)そんな極端な偏りがあるのに驚くが、実際Sydoneyのロックバンドは会場が無い為に路上でやることも少なくないそうだ。(しかし一方ではそれもクールだと言えなくもない)

 Mesa Cosaのメンバーのほとんどは元々Sydney周辺の出身であるにもかかわらず、この都市が嫌いなのだそうだ。確かに、Melbouneから来て、Newcastle、Wollongongと気安い場所を回ってSydneyに到着すると、都会特有の他者との繋がりの無さ、まるで田舎から都会の学校に転校してきた生徒のような気分になる。Pabloはちょっとナーヴァスになっているようだ。街に出ると、国の好景気を反映しての物価の高騰に驚かされる。以前よく通っていた北インドカレーのお店は、なんと2倍以上の値段になっていた。いやはや、まいったな。

 しかしそのロックバンド不景気のSydneyで、しかもいくつものDanceイヴェントが同日にあってお客の入りが心配されていたものの、会場はパンパンに人が入り、このツアー最大の盛り上がりになった。ボクらも、これをやったら後は帰るだけという気持ちがあるものだから、何の躊躇もいらない。おそらく10年振りくらいになるであろうTighten Rap(もちろんPittが演奏するのは初めて)までやったくらいである。この曲はズボンズが始めてオーストラリアに紹介された時にスマッシュヒットした曲なので、覚えている人、リクエストしてくる人が多かったのだけど、今の演奏スタイルとの接点を(ボクが)見つけるのが難しく、ずっとやらないでいた。あの曲は内省的なところが全然ないので、エネルギーが一方的に外に向かっている時でないとやりづらい。最終日だとか、Sydneyのオーディエンスだからとか、ラジオやったからとか、「その日その時」のシチュエーションがそれを選択させる。これまたボクの支配下にあることではないのである。

 いくつもの乾杯があり、いくつものハグがあり、いくつものキスがあり、物販は飛ぶように売れて、ライブは終了。ツアー最後の夜だし、ということで片付け終わって皆でパブへと繰り出した。ズボンズ史上、一番アルコール摂取量の多かったツアーとなった。また、これまでやったオーストラリアツアーでも、一番充実していて、楽しいツアーだったと思う。長いこと活動して、年を重ねてそう思えることは、僥倖としか言い様がない。人生は、ボクらをどこへ連れていってくれるのでしょうね。

 ・・・・と思い出している残暑厳しい東京の朝である。ミンミンゼミも最後の声をあげている。アンコールは、なしだぜ。やれやれ、これから歯医者に行かなくちゃ。
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by dn_nd | 2012-08-31 08:50

OZ Tour#10.1 「真夜中にかけるブーガルー。」
 狂乱のパーティー@Wollongongの翌朝、割りに早い時間に(とは言え、結局12時ちょっと前にはなってしまっていたが)ツアー最終日のSydneyへと移動。というのも、Pabloの話によると午後からラジオのプロモーションでスタジオライブをやらなければならないらしい。(その朝に知った)しかも、ラジオのスタジオ内なのでドラムキットも持ち込めず、小さなギターアンプが2台しかないという状況らしいが、それでやれるかな?とのこと。もちろん、やる。このような場合、ボクの発想としては、まずそのようなシチュエーション的に簡単に出来そうな、例えばMy Big FriendやNo Lineなどの(どちらかと言えば)Folkyな曲をやるという手はNGである。簡単に出来そうにないことを、やってみせなければならない。ど真ん中の曲を、どうにかしてライブの熱量が伝えられるような演奏が出来ないかと考える。手持ちのもので、手持ちのもので・・・・。

 車中でボクは普通にしていながらも、一方別の回路で考え続けている。車内でかかる音楽、Pabloやメンバーとの会話がノイズとなって思考に浸入してくるが、それをヒントとして取り込んで、より「今・ここ」にフィットする演奏を見つけなければ。結果、ギター・キーボード・ベースを小さな音で鳴らし、Mesa Cosaのメンバーを含む残りの人間にタンバリン、スタジオにあった瓶やカンを使って、コール&レスポンスに参加してもらい、プリミティブなMo' Funkyを演奏することに。この時点でも、アイデアとしての外輪のイメージはあるのだけど、それが本当に上手くいくかは分からない。(リハーサルなんか無いのだし)スタジオは狭い。普通のラジオDJを収録する部屋である。もちろん与えられるスペースも向こうの指定するところになって、やりづらいのは当然なのだけれど、ここで「出来ない」ということになってはズボンズの名がすたるというものである。唯一自分の最低限動けるスペースだけは確保しておく。身体のフィジカルな動きが高揚を引き出し、それが「音楽さん」を迎え入れる。高揚感が、大好物なのだ。

 そして、「音楽さん」はやってきた。いつものMo' Funkyである。スタジオにいるDJも自然クラップや"Oh Yeah!"に引き込まれてきて、とても良い演奏となった。「この9年間ここでやった生演奏で、ここまで盛り上がったことはなかった。」と言っていた。Good。それこそが、ボクがやりたいことなのだ。手持ちの資質・条件で出来ること、に止まらず、いつものことが出来ないからこそ、発想によって「別の」より良いものを生み出す。これが最高なのである。それをやり遂げた時の幸せ感と言ったら、ないですね。スタジオでも、みんなが興奮して幸せであった。「音楽さん」どうもありがとう。(続く)
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by dn_nd | 2012-08-29 09:32

OZ Tour2012 #9「真夜中のリトル・リチャード。」
 Wollongongは、ウーロンゴンと読む。アボリジニの名付けた場所だ。シドニーをはさんでNewcastleと南北反対のポイントに位置するが、この辺りは場所によっては英国人が自分の国の地名を勝手に付けていたり、アボリジニの呼び名そのままの場所もある。色々と、一筋縄ではいかない歴史が存在するのだろう。

 Newcastleで泊まっていたクラブを出発し(カート・ヴォネガットの本を忘れてきてしまった)、マックに寄って野良電波をキャッチし(未だアメリカvisaの申請は進行中なのと、12月の国内ツアーの件も)、本日宿泊する共演バンド宅へと。もう着いた瞬間からパーティーは始まっている状態で、大音量でガレージロックが流されている中、とりあえずビールを渡された。Wollomgongへようこそ。

 その後会場に移動し、ライブ。今晩は珍しくステージ環境が整っていてモニターもあるので、前々から考えていたMesa Cosaのクールなサキソフォンプレイヤー、ロイドをメンバーに加えての編成である。連日のショウの程良い疲れと、密なコンビネーションで、バンドはエンジンが完全に暖まったアイドリング状態である。(ついでにビールに、ワインに・・・)1曲目は昨晩同様Way In/Way Outでスタート(バンドの調子が良い時、この曲で始めることができる。この曲はバンドを高いところまで持って行ってくれるが、その高さはバンドの状態がどれだけHOTかによる。中途半端な状態でやるのは危険なのである。場合によっては迷宮に入り込んで出れなくなってしまうことになる。)、Saxを絡めた長いJamをはさみつつ、Mo' Funky〜Dolfで会場は大いに盛り上がって終了。若者、タフなロッカー、結構年のいっているおじさん、おばさん、沢山の人が良かった良かったと言いに来てくれた。中には(やはり)10年前に見て、というお客もいるが「ずっと良くなっている」などと言われると、とても嬉しい。

 再びパーティーハウスに戻る。時間が経つに連れて、人がどんどん増えてくるが、どうも皆さっきまで会場にいたお客達である。アコースティックギターがどこかから持って来られ、PabloによるCircle Xの演奏が始まったり、キッチンではLittle Richardが大音量でかけられ、大量のビールが振舞われた。一体これらはどこから来るのだろう?ともかく、パーティーは延々に終わりそうにないので、頃合いを見計らってボクはシャワー&ベッドへ。耳栓をしていても、リトル・リチャードがGood Golly Miss Mollyを歌っているのが聴こえる。大音量で聴くと、とても良い。というよりも、大音量でなければ分からないかもしれない。
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by dn_nd | 2012-08-27 10:56

OZ Tour2012 #8「スペースの問題。」
 オーストラリアツアー最終日のシドニー公演を終えて12時間以上のドライブ(MesaCosaタイム。ズボンズタイムならば8時間半くらい)を経てメルボルンに帰ってきた。この後夜の飛行機に乗って、翌日には東京である。誰もに「やっと帰れますね」とか「味噌汁が恋しいでしょう」とか聞かれるけれど、ボクはそんなことはまったく感じない人間で、出来ることならこのままツアーを続けていたいし、当分日本に帰れなくても構わないのだけど、などと思っている。それでも、終わりがあるからこそ果たせることもあるし、終わりがあるからこそ次の始まりがある。始まりのない人生というのはハイであれロウであれ、同じダイナミクスであり、それはつまり退屈とイコールである。いずれにしても、帰って3週間後には一月半に及ぶ北米ツアーが待っている。とりあえず数十時間後には気温差が20度以上ある東京へと戻るのだ。

 ここのところWifiの接続が悪い場所に滞在していたので、記録が滞っていたが、Newcastleの二日目からWollongong、Sydneyとツアーは首尾上々に進行していた。Newcastle二日目は、Knives(Mesa Cosaドラマー)の実家へと招待され、きれいに整った家のバックヤードでBBQ会食であった。お父さんがBBQ焼き機(あれ、何という名前なのだろう)でボッテリしたハンバーグを数十個にソーセージを数十本焼き、パンにオリーブオイルにスパイスに2種のベイクドポテトにニンジンサラダに(もちろん)ビールにワインに、最後にはママ特製のレモンメレンゲケーキまで登場し、ボクは完全にノックダウンされてしまった。こういう時、文化の違いを強く感じてしまうが、善し悪しというよりもそれぞれなのだろう。海外で何がうらやましいかというと、スペースである。空間がゆったりしていて、だからこそ開放的にもなれるし、リラックスも出来る。しかし、スペースこそは、日本で一番手に入れることが出来ないものでもある。それは日本人の積み重ねて来た文化の中でそれほど重要視されてこなかったことでもあるし、何でもコンパクトにやり繰り出来るということこそ日本人の美点でもある。しかしそれが今の時代に大きな人間を作り得るかというと・・・・どうだろう。社会に感じる窮屈さは、これから我々が取り組み、解決していかなければならない大きな課題である。ボクが信じるに、それは経済よりもずっと大きな問題である。

 この日はフリーショウで、Mesa Cosaは大いに盛り上がり、最初はお客も沢山いて、しかもバンドの演奏はとても集中して良い出来だったにもかかわらず、演奏終了後には20人ほどの人しか残ってなくて、がっかりしてしまったのだけれど、どうやら終電・終バスの関係で帰った人が多かったようである。会場は暗く、ボクもあまりに演奏に集中していたのでお客が帰っているのにまったく気がつかなかった。(見える前方のお客はノリにノッていたし)まぁお陰でお昼の食べ過ぎは、どうにか消化されたようである。バンドの状態は、思った通り、どんどん密になってきている。演奏の中に遠慮なきチャレンジが増え、ツアーの日々の影響がフィードバックして、それがヒントになり、同じ曲をより多彩でカラフルな演奏へと導いていく。(これが最終的にシドニー・ラストショウでの演奏へと昇華するのだが、それはもう少し先の話である。)

 終演後、Mesaギャンク達はパブへ。ズボンズチームはシャワー&ベッドへ。ボクの体内のスペースもリミテッドで、食べ過ぎると随分体力を損なってしまう。むむ。世界はどうにも比喩的でありますなぁ。そのようにして、この日は終了。
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by dn_nd | 2012-08-27 09:12

OZ Tour2012 #7「10年後にボクらは。」
 Newcastleでの初日。NewcastleはMesa CosaのドラマーKnives(本名はJoe、もっと詳しくはJoseph)のホームタウンで、まずはこれから寝泊まりする場所へと連れていかれる。そこは、元々は広いクラブであったところ(ステージもあって、機材も置いてある)に、マットレスを引き込んで寝ることになるようである。そこに住み込んでいる住民もいるし、元々は農場であったらしいその近辺に住んでいるヒッピーまがいの人達がたくさんいる。(外にはニワトリが歩いていた。)OK、まぁ楽しもうじゃないか。

 ひとしきり飲んだ後に、会場に移動。サウンドチェックを待っていると(結局はなかったのだけど)、ジェリー・ガルシアのようなおじさんがいて、2000年のBig Day Outというオーストラリアのフェスにボクらが参加した時にモニターを手伝ってくれた人らしい。彼はNewcastleに住んでおり、たまたま車を走らせていたらズボンズがここGreat Northn Hotelでやるのを知って、ビックリして駆けつけたのだと言う。BDOの時のMo' Funkyの記憶が忘れられないと言っていた。(確かにSydneyでのMo' Funkyは、おそろしく盛り上がった)その時もいたという息子も連れて来ていて、一緒に写真を撮った。ともかく、今となっては12年前の話である。色々な場所で活動を続けていると、そこで起こしたアクションが、こちらの知らないところで時間の針を進めている。それが10年以上経ってまた交差することもあり、しかも今はソーシャル・ネットワークの時代になって、以前よりも世界中の距離は近くなった。「そう言えば10年くらい前にたまたますごいバンドを見たのだけど、あれは何だったのだろう??」という事態は少なくなってきている。もちろん、このシステムですら変化していくことであろう。また、人間それ自身もそのままでいることはない。幸運が重なって、もしズボンズがこの後なお10年の時間を続けることが出来たら、世界はどう変わっているのだろう。もちろん、その「変化」もズボンズという不変の軸があってこそ、より良く見えてくるものであろう。時代と共に、自らも変化し続けるのではなく、やり続けることがあって初めて変化の比較が出来るというものである。10年後に、ボクらはどのような音楽をやっているのだろうか。

 Newcastleのジェリーが、しきりに「ここでズボンズにやらせるのは、とても残念だ」と言っていて、何のことかというと、Great Northan Hotelには会場が二つあって、メイン会場ではDie!Die!Die!というこちらで割に人気のあるバンドがやるらしく、ズボンズとMesa Cosaは小さい方のTiki Tiki Barだからだったようだ。まぁ、そう言われるとボクとしてもいささかプライドは傷ついてしまうけれど、どこであれベストを尽くすのがズボンズの本領である。(それにTiki Barは全然悪い場所ではない。もっとひどい場所で、いくらでもやってる。)

 結果として、ライブもKnives(ジョゼフ)の地元パワーも加わって、メイン会場の2倍(!!)の客が入るという大盛況であった。(Die!Die!Die!は文字通りDiedあったね、というジョークも。はは。)さて、今度ここに来るのはいつのなるのか、とぼんやり考えながら会場を後にする。気分が良くなって、酔っぱらったKnivesが、どうしても友達に紹介したいからと、終演後に皆で近所のPubへ繰り出した。そこでの話は、また別の面白い話である。
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by dn_nd | 2012-08-24 08:46

OZ Tour2012 #6「路上にて。」
 さて、旅が始まった。Mesa Cosaのメンバーは6人+ズボンズは4人、ということで11人乗りのワゴンを予約してあるのだ、とPabloは自信満々であったが、やって来たのは日本でもよく見るタイプのヴァンで、どう見ても荷台であるべき場所にもう二列シートを追加してあるものである。よって、残ったスペースをフルに活用して2バンド分の楽器にアンプヘッドに各人の荷物に寝袋に毛布に枕に、(もちろん)ビールやらワインやらミカンやらナッツやらチップスやらミルキーウェイやらをパンパンに詰め込んで出発である。普段のズボンズの行程では考えられないのだけれど、今日は5〜6時間走って、翌日のNewcastleへの途中で一泊するのだと言う。あと4時間走れば現地に到着するので、きっとUsuallyズボンズならば行ってそのままライブをやって次の場所へと向かうだろうが、Mesa Cosaは初めてのツアーなので、とりあえず楽しもう!というところなのである。もちろん、異議はない。

 車内で聴く音楽はThe Rolling Stones, Brian Jonestown Massacure, Stone Roses, BRMC, B-52's, (何故か)ブラック・サバス。すべて彼らのセレクトである。とても居心地が良い。日本に長らくいると失ってしまう自由でオープンなクリエイティビティの感覚が、すっかり蘇ってしまった。こういう環境にいると、思ったことが何でも出来るような気がする。しかしそれは日本に長らくいると無くなってしまうフィーリングである。もちろんずっと経験してきていることなので、この感覚をキープしようと努めているのだけれど、どうしても無くなってしまう。難しいものだ。なので、今の内に創作したりプランしたり出来ることを沢山やるべきなのだろう。

 ボクにとっては、という事なのだけれど、おそらく日本に於いては水面下で戦い続けなければならない事に対して多大にエネルギーを消耗してしまうので、リラックスしてクリエイティブに打ち込むことが難しいのだと感じる。それはカルチャーの違いだ、と言ってしまえばそれまでなのだけれど、結局は求める「存在の在り方の理想」である。音楽というものが、どう「自分の」日常に空気のように存在し得るか、そしてそれはどのような音楽であって欲しいか、その辺りがマジョリティとは大きく違うということだろう。ラジオのチャンネルをつければ、とりあえず「気にならない」音楽がかかっている、という環境ですらあり得ないのが日本である。誰もそれは与えてくれないし、偶然ヒットすることも非常に稀なことである。それ故に身を挺して探して探して探さなければならない。それをやり続けるのは、とても労力がかかるし、次第に面倒臭くなってしまう。「もうどうでも良い。どっちにしても日常が変わることがないのだから」とすぐに楽な方向に走ってしまうし、それを許さなければやってられないほど、日常はストレスフルである。故に、クリエイティブに関しては、日本にいると一歩後手になってしまうのは仕方が無いことである。(isn't It?)

それでも、と言うか、だからこそ、こうして海外に出て行けるというのはボクらにとって僥倖と言う他ない。外に出て初めて自分のマインドを取り戻し、それを使ってマジョリティに支持されない(つまりとてもカッコイイという意味である)音楽を提供する、というサイクルである。OK、OK。戻ったときに何が出来るか、それもまた楽しみである。

 ロードの途中のモーテルに着いたのは午後9時頃。周りには何もないように見えるが、Moo氏とPittを含むMesa Cosaギャング達はパブへと繰り出した。オーストラリアでは星がとても綺麗に見える。月は生えかけの爪くらいの大きさである。明日という日に楽しみを担保して、ボクはお休もう。お休み!!
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by dn_nd | 2012-08-22 09:28

OZ Tour2012 #5「あやしげなパーティー。」
 オフである。特に何も起こらない。ランチにヴェトナム人街にてフォーを食べ、夜はメキシカン&ジャパニーズ・フードパーティーであった。ボクは牛丼とムー氏発案・味付けの茄子味噌ピーナッツ炒めを、マッタちゃんがコロッケとインスタント豆腐を作った。おいしく出来て、とても食べ切れないだろうという量だったけれど、すぐに無くなってしまった。オーストラリアはワインもビールもとてもおいしい。先日のSt. Kildaのハイソなクラブでは気を使ってか「おいしいビールを持ってきてくれ」と伝えるとアサヒ・スーパードライを持ってきてくれて、かえってがっかりしてしまったくらいである(こちらでは当然Japanese Beerの方が値段がずっと高い)。ビールが1ダース、ワインが3本、(何故か)マッコリを2本飲んでしまうと、すっかり11人の酔っぱらいが完成してしまい、Mesa CosaのCrazy Sax担当、Roy(彼は日本のノイズシーンにとても詳しい。ボクらがボアダムズと97年にやったというと、「それはヤマモトがまだいた最盛期のメンバーの頃だね」と興味深そうに言っていた)が持ってきていたポケット「イングリッシュ〜ジャパニーズ」辞書・会話編を取り出して、変な日本語大会となる。ああいう辞書は、ほとんどコミックのようなものである。センテンスは段々とヒワイな方へ進んでいき、それをPabloが情感タップリに読み上げるので、笑いが止まらなくなってしまった(ついでに、ニンニクを調理した手で涙を拭ってしまい、更に大泣きになった)幾人かはバックヤードへあやしげな煙を立てに行き、酒の酔い以上のものになって、バラバラとお開きに。パーティーの中での唯一の真剣な話題は、ズボンズは今回のショウの話題がホットな内の8ヶ月後くらいにはまた戻って来た方が良いということである。そうなると、The Sweet Passion Tourも1年の長さになってしまうのだけども。

 ともかく、明日は「ただの」ドライブ。ズボンズ・メンバーは「こんな楽で良いのかしら?」と言っている。実に。修学旅行のようなものである。ボクらは11人乗りのワゴンに乗って、野生のカンガルーを横目で見ながらNSW州へと向かう。きっと昨晩のパーティーと同じようなことが繰り広げられることだろう。はは。
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by dn_nd | 2012-08-21 08:15

OZ Tour2012 #4「メルボルン近況と日本の年齢期。」
 今日は何かおいしいものでも食べに行こうと、Richmondという地区にあるヴェトナム人街を目指すが、結局トラム(ちんちん電車です)の支払いのシステムに手間取ってしまい、どうにもお腹が減ってたまらなくなってしまい、乗り換え途中のチャイナタウンにて4人で食事をする。メルボルンで暮らしていた頃には良く行っていた店だが、さすがに10年(6年前のツアーでは立ち寄らなかった)もたつと店内も小綺麗になったような気がする。(味はそのままでした。おいしかった。)兎にも角にも、ボクらが過ごしてきたのと同じ分だけ、こちらでも時間が進行している。残っているものもあるし、消えてしまったものもある。殊に驚かされるのは物価の高騰で、ボクの思っていたオーストラリアの一番良いところの一つは食べ物がおいしい上に安いというところだったのだけど、今や安さで言えばずっと東京に方が安い。(クオリティは、もちろん比べ物にならないのだけれど。)やはり10年近く振りに会った、EMIの担当だったブルースはちょくちょく日本に出掛けて行って、ディスクユニオンなどで大量のレコードを買ってきては、こちらで売りさばいて小遣いを稼いでいると言っていた。(ディスクユニオンで売られている中古盤の値段を考えると、それは全然可能な話である)

 ブルースによると、オーストラリアは現在とても景気が良く、住んでいる本人達もちょっと困惑するほど物価が上昇しているのだとのこと。セントラル・メルボルンの家賃は、高円寺の倍以上するんだよ、ドン、と言っていた。きっとボクはもうメルボルンに戻って暮らすこともないだろう。日本でも景気を良くして、良くしてとシャカリキになっていあるのだけれど、それで儲けが上がる人は結構限られていて、結局庶民の暮らしには良い影響は出ないのかも知れない。そもそも、日本という国は、人の一生に例えると、高度成長期という青年期、バブル崩壊後の揺れる中年期を経て、働き盛りを終えてそろそろ老後のことを考えようか、というポイントに来ているのではないか。その身体に青年期と同じようなこととを夢想し、やらせようとしているのが今の経済政策なのだとしたら、それはみっともないことになる。やはりその年齢期に合った振る舞いというのを、心がけるべきなのだ。(しかし世相を顧みると、中年になった男女がなりふり構わず若返りを求めていますね。結局それが国の姿の反映なのでしょう。もしくは、逆か。)

 メルボルンでの最後のライブはBar Openというクラブ。サポートしてくれるのはどれもガールズバンドで、しかもほとんどが結成間もないというフレッシュな新人達であった。それでも沢山の老若男女が集まり、やんややんやと声援を送っている姿を眺めていると、やはり日本と西洋は違うものだなぁという思いがする。どうも日本という国は、自分の分からないものなどに対する関心や興味が薄く、不寛容で、そのせいで音楽をやる人間も、「聴く人が分かるもの」をやろうとして段々と面白くない(どれも同じな)ものになって行く傾向がある。この辺はいつか改善されると良いのですけどね。

 ともかく、ライブは素晴らしく良く、とても充実したメルボルン最終日となった。やっている自分では気がつかなかったけれど、ボクがステージで寝そべったりすると、お客もしゃがみ込み、パッと立ち上がるタイミングが、まるでその音楽が分かっているかのように、まったく同じでおかしかったとメンバーが言っていた。まさにそれこそは演奏者も観ている人間も、完全に「音楽」に巻き込まれている証拠である。そうしてきっと、同じような感覚を共有しているに違いない。それこそが、ボクの考えるライブでの一番喜びの大きいところである。

 さて明日は(今日か)、昼はメキシコ家庭料理パーティー、夜はズボンズによる日本食パーティーの予定。すっかりお昼の時間だと思うのだけど、誰も起きてきませんな。Let them take a rest, let them sleep.
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by dn_nd | 2012-08-20 11:03

OZ Tour2012 #3「国を離れて。」
 初日から2連ショウというのはさすがにきつかったのか、昨日は一日中ウチにいて、おじいさんのようにウトウトしていた。ツアーのピークが初日に用意されていたようなもので、身体の準備が整っていなかったのだろう。しかし、このような自分のコントロール下にない状況でやり、戸惑いつつも最終的には自分をそれに合わせてしまって「慣れる」と「コントロール出来ている」の中間地点に着地することになるのだろう。人間、自分に合わない状況であっても、それに「流れ」にどうにか対応して、ある心地よいポイントを(程度の差はあったとしても)見つけることが出来る。決して流されっ放しになったり、抵抗したり、いつもの自分のやり方だけをやろうとしては、いけない。

 やはりこちらが日本人であるから、様々な「日本人関係者」がショウに顔を見せる。マッハ・ペリカン(残念ながら解散してしまったが、オーストラリアで長らく活動していた日本人3人組のパンクバンド)のメンバー、ワーキングホリデーでこちらで働いている学生、日本人の彼女を持つオーストラリア人(そう言えば、逆のパターンは少ないような気がする)、日本語を勉強していて、どうしてもそれを使いたい人etc、etc。ワーキングホリデーでこちらに来て、すっかり気に入ってしまい、永住権を獲得したいと思う人間は多いようだ。それでもさすがに国籍までも移すことには抵抗があるようで、永住を決めていても日本人のままでいたい、というのは立っている足元が心もとなくなってしまうということなのだろう。実際は、その国の国民であって、国の様々なシステムを利用し、守られているのであれば、今いる国の発展に力を貸すというのが筋なのだとは思うが、心情としての「祖国」への愛着というものは消し去ることは出来ない。(それが例え問題が多い国だったとしても、おそらく。)国を離れる、というのは大きな孤独であろうと思う。それでも、一方では国に執着する人間がいて、ある人間は新天地にて自分の新しい将来を見る。ある部分はそのままで、ある部分は混ざっていく。それは人の意思が世界を変えていっているということであろう。最終的には国境も何もない世界がやってくる、という風にはボクには想像出来ないけれど、今の世界がこのまま永遠に続くとは、全然断言出来ない。どうなるのでしょうね。

 ところで、ライブはSt. Kildaというちょっとハイソな場所にあるハイソなクラブ、Espyにて。6年前にやったときはすごく盛り上がった記憶があるが、もちろん6年前とはバンドも音楽もまるで違う。Espyというのはけっこう派手なステージで、派手で能天気なお客さんがそれを見ながらビールを飲んで勝手に騒いで盛り上がる、という場所である。あまり「音楽さん」の好むところではないかもしれない。ステージに用意されていたのは最新鋭のピカピカの機材で、まるでどこかのハードロックをやるバンドのような音がする。照明はやたらと明るくて・・・・この辺でやめておこう。とにかく、ボクは上手くそこに自分を合わせることが出来なくて、ショウの終盤にはすっかりエネルギーが遠のいてしまったような気分になってしまっていた。お客は割に盛り上がっていたのだけれど、「音楽さん」のやることは不可思議なものである。ボクにはどうにかそのエネルギーがゼロになる前にバンドを着地させることしか出来なかった。いやまいった。とりあえず、お客さんは満足してくれたようなので、それで心を暖かくして、明日またがんばろう。

 ウチに戻ってきたのは午前3時。ビスケットを齧って、おやすみなさい。
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by dn_nd | 2012-08-19 10:31

OZ Tour2012 #2 「考えを明確に。」
 オーストラリアツアーの初日。午後より、ラジオのインタビューが2本。英語という言語は、例えば日本語などと違って、とても明確な言語である。なので、特にインタビューなどで使う時には、それまで日本語的「ニュアンス」の深い森に包まれていた考え等を、ハッキリと明確にまず自分がつかんでいなければならない。「音楽さんが降りてきて・・・。」などという話を英語でやるというのは、ただそれが言葉通りに翻訳出来ていれば良いというものではなく、そこに含まれている雰囲気や固有の意味合いをも伝えなければ、誤解されたまま話が進行してしまう。(だいたいの場合、相手は勝手に自分の解釈で納得してしまうものである)そしてそれが記事になったときに「あぁしまったなぁ」と思うことになるのだが、外国でのことなので、まぁいいかと見逃していた。しかし、こう海外での活動も長くなってしまい、音楽自体が「どうしてこういうことが出来るのか?」という風に、受け手も感じるようになっている今となっては、インタビューももっと丁寧に答えなければならないように感じている。なので結局「音楽さんが・・・・」という話になるのだけれど、まだまだなかなか上手くいかない。もっとボクは自分の考えていることを明確にしなければならない。

 初日には無謀にも2本のショウがブッキングされていて、まず1本目はToteという、海外にしては結構しっかりしたクラブだ。このショウは、呼んでくれたMesa Cosaの地元的ビッグイヴェントという面持ちで、かなり沢山の人が集まってくれた。ライブも実に盛り上がった。初日的な環境の違いからくるズレ(まだ現地の空気に慣れていない。なにしろ、真夏から真冬へ、よそよそしい東京からeasy goingなオーストラリアに来たのだから、ね?)が演奏に出てはいたのだけれど、お客の盛り上がりが全部帳消しにしてくれたようなものである。ダイブしたり、グラスを投げてきたり、大騒ぎでありました。

 それでけっこうヘトヘトになって帰りたくなっていたのだが、その後にもう1本Ponnyというロッククラブにてライブ。Toteでの終演後に「え?これからまたショウをやるの?」と驚かれてしまったが、ズボンズはやるのである。演奏が始まったのは午前2時半を回ったころ。もうお客も完全に「in」の状態に入っている時間である。もちろん、ボクらも演奏に「in」してしまって、「音楽さん」が連れて回るところにひたすら付いて行くのみである。ライブは良かった。しかし、疲れた。

 クラブを出たのが、午前4時半。寝たのは、何時だったかな?寒いメルボルン、明日もがんばろう。おいしいものが、食べたいな。
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by dn_nd | 2012-08-18 11:49
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