ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
☆最新の記事☆
DirtyなPresent。
at 2015-11-17 18:26
致命傷を負った生き物、その回復。
at 2015-06-21 00:26
それは未来の話である。Zoo..
at 2015-05-08 08:18
これまでは楽な方向に傾いてい..
at 2015-05-06 19:06
もっとチャレンジが必要となっ..
at 2015-05-05 08:54
☆以前の記事☆
2015年 11月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 02月
more...
☆その他のジャンル☆
☆検索☆
☆ファン☆
☆記事ランキング☆
☆ブログジャンル☆
☆画像一覧☆
Top

<   2013年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧

一方のドアが閉じているとき、どこか別のドアは開いている。
 とうとうツアー間近になりました。

 facebookにて海外のファンにMoostop脱退とズボンズの困難な現状について書き込んでみたら、なかなか面白いコメントがたくさん書き込まれていたので、ほんの少し紹介したいと思う。

 「Mooはシャンプーのコマーシャルに出れるくらいハンサムな奴だよ、実際のとこ。で、そうなるとTighten Rapのイントロは誰が弾くことになんの?誰が?オレはバカだけど、MooのFunkベースがあのしなやかヘアーよりよっぽど重要なことくらい分かるよ。20年もやってるって?ならあと20年やってくれよ!」

 「どうかとにかく音楽を止めないで持ちこたえて。あなた達の音楽はサウンドだけで成り立っているのではなく、それ以上のもの。それは人の心の内側を変えてしまうもの。思いっきり楽しませて怒りを浄化して、悲しみをポジティブに変換させることが出来る。魔法の贈り物なの。」

 「とても残念なニュースだ。でもこう考えてはどうだろうか。一方のドアが閉まっている時、かならずどこか別のドアが開いているものだよ。きっと、DONにとっても、Mooにとってもね。辛抱強くいよう。人生の道筋をどう辿るかはキミ次第だし、人生はキミのものだよ。」

 「諦めるな!Pittにベース弾けるおじさんがいなかったっけ?愛してるぜ!!」

 まだまだたくさんあるのだけど、中にはちょっと胸を打つようなコメントも多くて、いっちょ頑張るかなんて気にもさせられてしまう。海外の人々のコメントはこちらに直接語りかけてくるようなものが多い。きっと日本人と違って遠慮や謙譲する文化がないから、その思いをストレートに書き込むのであろう。

 ほとんど誰もが困難にぶち当たり、立ちすくむときがある。それをそれぞれが必死の思いをして乗り越えることで処方の仕方を学び、自分の哲学を獲得していく。「困難なときほど、チャンスでもある。」と書き込んでくれる人が多い。ボクだってそう思う。これは誰の問題でもなく(ある意味ではMoo氏の問題でもない)ボク自身の問題なのである。つまり、これを「どう」乗り越えていくのかということは。さあ、またタフになるためのレッスンである。誰もこのような授業をやってくれる訳ではない。ただ神さまがその機会を与えてくれるだけである。それを真正面から受け止めることで成長が出来る。そして、成長がこそボクの求めることである。

 ツアーも二日後に控え、状況は(少なくともボクの視界は)少しづつクリアーになってきているように感じる。出来ないことは出来ないだろうし、やるべきことはやらなければならない。バンドを継続出来るかは個人の問題とも違うのでまたanother matterではあるが、正直に考えると、やり続けるのが正解だし、必要なことなのだろうと思う。これで人生を挫くことになったとしても、きっともうとっくに挫いているのだ。だが、繰り返すが、バンドは個人のものではなく、ボクだけの力で引っ張っていけるものでもない。まだまだメンバーの間で語られなければならないことはたくさんあるし、このツアーで受け止める「何か」もあるだろうと期待している。

 きっとりょうちゃん(Moostop)との最後の日本ツアーになることだろうから、なんとなく懐かしい曲をピックアップしてリハーサルしている(そのいくつかはここのとこのライブでも演奏した)。"Pleasure Drop"なんかは1999年以来やってなかったし、"No Line"はほとんどライブ演奏した記憶がないが、どちらも昔からのファンの間では人気の高い曲である。へそ曲がりなボクはこれまではそのような曲をあえて無視そうとするところがあったのだけれど、今回はもう次が無いという機会なので、やってみている。悪くない、と思う。案外昔の曲を聴いても、今と変わりがなくて(成長がない、のか)苦笑してしまうが、悪くないものだ。ズボンズのバンドとして初めて作った曲は"スワンプ"で、これはスタジオでボクがいきなり弾き始めて、すぐ出来た曲であった(吉祥寺のペンタスタジオだ)。考えてみると、今とまったく変わってない。その時のメンバーはボクとMoo氏とズボンズに加入するのを断った(後になって「なんで俺をいれなかったんだ?」とからまれたが)ドラマーの3人だけだった。もう20年も前の話で、カート・コバーンが自殺した頃の話である。いやはや。その時からずっとボクの側にいつも「存在していた」りょうちゃんがいなくなるのは、とても寂しいことであるし、彼なしで誰がオレのやることを察して音楽に変換してくれる人間がいるのか、とも思う。人生は厳しい。でもきっと、そういうこと抜きではボクも「男」にはなれないのかもしれない。いや、誰しも。

 皆さん、どのような場合であっても、今回のツアーは見に来てください。今という時代は、すべては通り過ぎて、過ぎてしまうとそれは瞬時に何でもなかったことであるかのように忘れていってしまうのだけど、どうか引っかかって欲しいと思う。(本当はこんな風にお願いしたくなんかないのだ)チケットは donuts@thezoobombs.com にメールするだけで大丈夫だし、あとはただ来れば良いだけですよ。見逃して欲しくない、と思うのです、とにかく。
[PR]
by dn_nd | 2013-05-15 11:03

ズボンズの今後、と、蛇について。(Moostop脱退に関する続記)
 4月末の連休中に九州を単独でツアー回ってきた。今回も例によってドン・マツオ・スタイル(またはチャック・ベリー・スタイル)の現地寄せ集めローカルミュージシャン達と一夜限りのインスピレーション溢れる(口の悪い人が言うには”行き当たりばったりの”)ステージを3晩行ってきて、やはりステージで演奏するのは自分の「本性」に合っているのだなと自覚したものである。「ネイチャー」と言っても良い。

 ネイチャー、とは言っても、音楽を演奏している時の自分というものは、普段生活し成長してきた小さな頃から知っている自分とは幾分か違うように感じる。野性の獣が獲物を確実に仕留めるように、音楽を高いところまで持ち上げる為には、ありとあらゆるエネルギーを注ぎ込むし、また同じことをメンバーにも要求することになる。風を読めないことで、ある時には怒鳴りつけることも(よく)ある。それが出来ないということにまるで我慢が出来ない。実にやっかいな人間になっていることを一方では自覚していて、それを是認する訳ではないのだけれど、演奏をやり始めたり音楽を作り始めると、その「獣性」というものがムックリと起き上がり「ガルルル」と唸るのを止めることもまた出来ないのである。普段のボクは、近所でもどちらかと言えば(ちょっと変わったところはあるけれども)人の良い好青年(好中年か)と認識されている(たぶん・・・)。自分としてそう思う。不満もなければ、無理もない。しかしそれでいて、音楽をやっているとき、もっと拡げて言うと創作しているとき、は自分という人間が大きく自由を獲得し、解放されているように感じているのである。そこに日常生活ではあまり必要のないデーモンが顔を覗かせるのであろう。(普段は部屋で寝転がって本でも読んでいるのだろうか)

 解放されている、自分は何事かを為そうとしている・創り上げようとしている感覚は他では得れないものではある。しかし、それが時に他人を傷つけることも(よく)あるし、結局のところ他人を傷つけるということはボクにとっては自分を痛めつけることと同義でもある。クリエイティブが犠牲を求める、という陳腐な物言いになってしまうが、そうとしか言えない。そうして今となって、年を重ねるごとに自分の耐性が弱まっていることに気付く。

 あるいは、創作する際に出てくるデーモンは、自分が密かに飼っている蛇のようなものかもしれない。その蛇は、クリエイティビティを果たすことによって栄養を得てますます太く大きくなっていく。その一方で本体である(陽性に属する、または社会生活をする)自分は栄養を抜きとられていく。もしかすると、あるポイントを超えるとその蛇に食われてしまうかもしれない。ささやかで温かい幸せの実現はみるみる小さくなっていくかもしれない。分水嶺がどこで来るのかは分からない。しかし、その蛇に乗っかって世界を眺めると、それは輝いていて素晴らしいもののように見える。自分が生きている実感があり、喜びがあり、何故生きているかが分かる。それを見る為には大蛇に乗らなければならない。さて、ボクは何を書こうとしているのだろう?

 ムーストップ氏がズボンズを辞める(つまりミュージシャンを止めるということである)ということが動かしがたい事態となって初めてそのことを深く考え続けてているのである。実感として(または直感として)、ムー氏がいなくなることはズボンズを成り立たせ続けることを、限りなく「不可能」というポイントに追い込むことになる。肺癌宣告をされた患者のように。もちろん、可能性はあるかもしれない。肺をごっそりと新しいものに入れ換えて様子をみることも出来なくはない。(ひどい例えだ)しかしどのような重い疾患も同じだが、結局患者本人の「生き延びる強靭な意志」無しでは、問題をクリアすることはない。「強靭な意志」、そんなものをボクが持っているのであろうか。どの道を選ぶのか、ボクは決断をしなければならないようだ。さて、ボクはミュージシャンであり続けたいのだろうか。いつまでも大蛇とダンスしていたいのであろうか。

 5月のツアーも間近に迫ってきているにもかかわらず、未だにボクには決定出来ない。ある朝にはミュージシャンであり続けることにソリッドで力強い決心を持つこともあれば、その夕方には完全に自信を喪失してしまっていたりする。困惑している。なので現段階ではこのツアーが最後になる可能性は高いとは思いつつも、次の一手を打てなくもないかもなとも思う。分からない。ともかく、今出来ることをやり、行動が何か導きを(少なくとも示唆を)してくれることを祈るばかりである。新しいかっこいいEPを完成させた(その余波として新しいアルバムもアウトラインは出来た)。ツアーに向かってリハーサルに入っている。新しい曲をやり、今まであまり取り上げなかった昔の曲にチャレンジしている。そこでは相変わらずムーストップ氏は大きな役割を果たしており、それがある意味ではボクに「彼無きバンド/音楽」をイメージさせるのを阻害しているようにも思う。ムー氏は、いつも以上でもなく、以下でもなく、同じように取り組んでいる。20年近く一緒に行動してきた仲間であり、この戦場から逃亡するそぶりはまったく感じられないし、作戦をいい加減にこなすような姿勢はない(そんな人間ではない)。読めないヤツだ。

 ともかく前回書いたブログが方々で評判となり、またズボンズに(チラとでも)意識が向いたのはうれしいことではあるが、ボク個人としては「脱退」やら「解散」やらということを宣伝に使いたくない。(センチメンタルは苦手である。)ただ、ズボンズはやはり良いバンドなので、出来るならばもっと多くの人に観てもらいたいと思うのもまた本心でもある。再度、5月のツアーを観に来て下さい、とお願いしたい。またすぐにでも新作EPの試聴が出来るようになると思うので、聴いてもらえればと思う。(出来れば、買って下さい。150枚限定なので、お早めに。donuts@thezoobombs.com で予約してください。チケットも、です。)

 また、近々報告しますです。

ドン・マツオ
 
[PR]
by dn_nd | 2013-05-08 11:37
hidden hit counter