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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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あの橋の向こうへ。(ZOOBOMBS American Tour2010 #27)
 Rochesterを出て、国境の町Buffaloへ。5年前、アメリカからカナダへの入国を許可されず(当時のドジなマネージャーがvisaの申請をしてなかったのだ!)、一週間近くの再交渉と放浪の後にようやくvisaを再発行され、入国したのがこの町からであった。その件は未だにカナダに入国する際への足枷となっており、イミグレーションではいつもすんなりと通してもらえない。その後はもちろんいつもvisaをとっているので問題はないが、事件のせいでどこの国に入るときも緊張してしまう癖がついてしまった。あの入国できなかった時に味わされた犯罪者にでもなったような気分は、あまり心楽しいものではない。しかしイミグレーション担当者の判を押したような冷酷さよ。イミグレ局自体がステンレスで統一された「殺風景」をデザインしたようなつくりになっていて、空気もイスは冷たく、局員はわざわざこちらを不愉快にするための特別な訓練をしてきた人のように見える。質問を受けたり、コンピューター処理を待っている間に「一体この人はどんな実生活を送っているのだろうか?趣味は何か?恋人はいるのか?ニッコリ笑うことはあるのだろうか?」などと100くらいの疑問を持ってしまう。(もちろん中にはFunkyな局員もいて、ライブ見に来てよといったら本当に来た人もいた。ものすごい例外だと思うが。)今回もボクらは割合すんなりとスルーして、カナダへと入国した。国境のブリッジを越えている時、何か一巡りしたような感慨があった。

 Torontoに戻ってきた、と思えるほどにボクらはこの街に馴染みがある。いつも滞在するエリアは決まっているのだが、まるで田舎に帰ってきたような気分である。アメリカでの20日以上に及ぶ緊張状態から解放されて、こころのどこかが緩んでいくのが分かる。伝説のEl MoCamboのブッキングマネジャーで、今やズボンズ北米活動の親分とも言えるDan Burkeと再会し、あのスラングや4文字禁句を連発するヤクザな声を聞けて嬉しい。もはや親父のいないボクにとって彼は同様の存在で、Danはボクを「オレの息子」という。彼は本当に凄腕のブッカーで、実際今晩のショウもBuffaloでのミスブッキングをカヴァーするためにボクがDanに相談したのである。それもわずか2週間前に、サンクスギビングの最終日の日曜日に。ところが彼はThe HorseshoeというTorontoでも有名なハコを即座に押さえてくれ、visaを取る手配をし、お客だって入れてしまうのである。こんなこと世界中でDan以外に出来る人間はいない。

 ここのところのライブが一体何だったのかというほどの熱狂的盛り上がりでTorontoのショウをやりきった。次は3月に戻ってくることが決まっていて、更に大きなことが起こりそうな気配もある。ボクらは流れがうまくいくのを待っている。バンドはいつでも、もう何年も、OKである。
# by dn_nd | 2010-11-29 08:47

こんなつらさは屁でもない。(ZOOBOMBS American Tour2010 #26)
 どうもサンクス・ギビングに呪われているようである。木曜日からこっち、お客の入りがサッパリなのだ。昨晩のRochesterにおいては、前のバンドの時は沢山いた人達がズボンズがセットチェンジしている間にすっかりいなくなってしまっていて、残った10人程度が乗って見ているという状況で、さすがのボクの意気消沈して最後にやろうと思っていたDolfをやらずしてステージを終わらせてしまったくらいだ。(Rochesterは学生街で、どうも地元の学生バンドが友達をたくさん呼んで、自分達が演奏したあとサッサと引き上げてしまったらしい。まったく!ズボンズを見ないで帰るなんて!!思い起こしてみれば、確かにネクタイをしていたりフォーマルな格好をした人間が多いなと思っていたのだ。音楽ファンではないのかもしれない。)終演後、興奮したお客に「お前ら本当にすげぇよ!絶対また帰ってきてくれよな!」と言われたが、ボクはすげなく「No。」と返してしまった。まぁでも考えてみればこの街が悪いという訳ではなく、完全なミスタイミングでのブッキングだったのだけれど。(正月の3が日にやっているようなものだ。)しかしこういう状況が続くと、ツアー全体が意気消沈し始めるんだよなぁ。

 とは言え、長いツアーになってくると、こういう状況はままあるものだ。人によっては中だるみというかもしれない。集客が悪い日が続くこともあれば、メンバー間の意思疎通が上手くいかない日が続く時もある。もしかするとそれは、体力の消耗が現実を引き起こす現象のかもしれない。いずれにしても結果としてステージでの演奏が不完全燃焼になり、ネガティブな連鎖を引き起こしてしまうのだ。それでも大抵の場合はどこかの時点でバンド「開眼」する日が来て、バンドはステップアップし、ツアーは元の軌道へと戻っていく。ネガティブ連鎖の途中でツアーを終えなければの話だが。いやいや、ボクはどこかできっちりと落とし前をつけるつもりでいる。もちろん。

 体力的に、精神的にきつい時、ボクは前線に送られた兵士を思う。文字通り手足が凍るシベリアで、またはフィリピンの湿地で毎晩蚊や南京虫に悩まされながら、「明日は死ぬかもしれない」という極度の緊張状態を何ヶ月も続けなければならなかった人達。そこを生き延びなければならない状況に比べると、今なんて屁でもなんでもないんだ、と思う。たかがロックバンドをやっているだけの男が大袈裟なと思うかもしれないが、何故かボクは子供の頃からそう考えることでつらい状況を乗り越えようとする癖がある。ボクの仲良かった祖父は実際前線から帰ってきた人間で、直接話を聞いた訳ではないが(おじいちゃんはボクが4つの誕生日に亡くなった)、戦争を乗り越えてきた人を身近に感じることで、自分にも同じDNAがあり、きっと同じ状況を乗り越える強さを自分も持っているのだ、と心のどこかで信じたいのだろう。こんなのはまだまだ足元にも及ばないつらさなんだ。

 ともあれ、ツアーも残すところ8日間。これから愛するTorontoへと向かう。サンクス・ギビングの最終日である。へこむかなぁ、どうかなぁ。むむむ。レッツ・ビギン!!
 
# by dn_nd | 2010-11-28 07:51

NYCでは考えることはあまりない。(ZOOBOMBS American Tour2010 #25)
 N.Y.C.はアメリカの他のどの都市とも違う。すべてがハイスピードで、派手にバリバリと進んでいるエンターテインメントだ。そこにはこれまで見てきた土着のアメリカの姿はあまり見えないように思える。誰もが「NYCにいるアメリカ人」として何かを装い、いくらか無理をしているようにも見える。(少なくともMemphisとはかなり違う。)東京も日本においては同じような位置付けになるとは思うが、NYCの喧騒はもっとエネルギーと衝動と暴力に満ちている。そう、エネルギーの高さに於いては、他のどの場所とも比べ物にならないであろう。とは言え、正直言うと、ボクにとってはほとんど印象に残らない街であった。世界中のエネルギーの集まる場所にもかかわらずその中心は空洞という、よくある姿が見えただけである。そのエネルギーに巻き込まれて揉まれている間は最高にエキサイティングだが、ちょっと離れてしまうと自分自身を見失いかねない。と言うより、自分自身の「本来」をそのような場所に見つけるのは難しいのではないか。そのエネルギーのレベルに合わせた自分でないと受け入れてもらえないのではないか。そして、その「受け入れ」手とは一体何なのだろう。

 都市に生きるというのは、そういうことなのだろう。エキサイティングで孤独。そのダイナミズムがクリエイティブエナジーを作り出し、新しいものを次々と出現させる。しかしもはやボク自身はそういうものにあまり興味がないようである。どちらかといえば、常に「特有」の何かを求めている。自分の風習や価値観とは違うが、そこから何かを見出せるもの。しっかりとした質量を持つ物事、そういうものが世界に存在していることを知るのは感動的だ。そう、NYCにあるのはエキサイティングなことであっても感動するようなことではない、ということかもしれない。NYCでボクの脳はあまり刺激を得れなかった。

 それでもアメリカに失望させられることはない。NYC以外のテリトリーにおける様々な「特有」の成り立ちはそれを補って余りある。と言うより、それがあってNYCがあるというのがバランスのとれた姿だと感じる。すべての州がNYCを目指すとき、それはアメリカがアメリカでなくなるときである。さて、わが国日本はどうか。バランスのとれた姿を保てているのか。
 
# by dn_nd | 2010-11-27 19:36

トラベリング・マン。(ZOOBOMBS American Tour2010 #24)
 朝、まだみんなが寝静まっている中でボクはこっそりと部屋を出て、近くのマクドナルドへ行った。大抵、Motelというものはフリーウェイの出口そばにあるので、ブブーッと大きな音をたててトラックが通過するうんざりするような殺風景な景色が広がっているのみである。街までとても歩いて行けるような距離ではなく、もちろん周りに小洒落たカフェやベーカリーなんてものはない。あるのは大きな看板を掲げたステーキハウスやDenny'sやマクドナルド、タコベル、ウェンディーズ、ダンキンドーナッツのようなドライブスルーできるファーストフード店だけである。(スターバックスも滅多にない。)周辺に民家があるようにも見えないが、マクドナルドは朝からそれなりに地元の人々が集まっている。そのほとんどが年金暮らしと思われる老人である。おそらく彼らは毎朝日課のようにマクドナルドに集い、ブレックファーストを食べながら親交を温めているのだろう。もしかすると時間を潰しているだけかもしれない。(時々そんなに食べて大丈夫なの?と思うような量の「マックブレックファースト」を広げている人がいる。確かに、身体の大きさも半端ではない。ボクなんか4人分+more くらい入ってしまいそうである。)

 「ヘイ、デュード!昨日のサンクスギビングデーはどうだった?あぁ?オレはもうパンプキンパイを2切れも食べてな、充分楽しんだよ。あぁ、用意してあったんだ。でもな、何が欲しいと言ってもキャッシュだよ。なんたって、キャッシュ以上のものはないんだ。とにかくキャッシュが一番大事で、今すぐ必要なんだよ、そうだろう?」隣のテーブルの爺さん4人組の会話の一端である。白人の年齢を顔から判断できないが、もちろん年金暮らししているような爺さんである。よれよれのスウェット上下にジャケットを羽織っている。食べているのはマックパンケーキにハッシュポテトにコーヒー。アメリカのマックでよく見る光景である。(ソフトクリームを食べている老人も、けっこういる。)中学生高校生大学生と若者がひしめき合い、ざわざわと騒がしい日本のマクドナルドと違って、アメリカは明らかに低所得者だけが集まっている。そこにはプラダのバッグもiPadもない。(時にBGMもない。)「うらぶれた」という表現がぴったりの人々である。

 マクドナルドで見れる光景でなくとも、アメリカはかなり貧富の差がはっきりしていて、日本のように明らかにホームレスのような身なりをしている人(あれはあれで一つのステートメントだ)以外は大体それなりに身ぎれいにしているというようなことはない。アメリカでは「うらぶれた」人々はうらぶれていることを隠すことはしない。トマス・ピンチョンの小説で出てきた何といったか忘れたが「ゾンビ人間」のようにデローンとしている人もよく見る。若くとも、年を取っていても、平気で小汚い格好のままでいるし、態度だって悪い。それだけ社会の中で自分を取り繕うことをしなくてすむからストレスも少ないと言えるのかもしれないが、ボクにしてみればちょっと取り繕ってでも身ぎれいにしている日本人の方が好ましく思える。(まぁ最近はそうしない人もちょくちょく見るようになってきた。そんなところまでアメリカの影響を受けることはないのだが。)しかしそれは個人の美意識の問題であって、社会の見えない圧力で「そうしていなければならない」と思わされるところが日本の難しいところであろう。社会や人々の許容量に関して言えば、明らかにアメリカは寛大である。

 しかし一方で、社会や世間によって規制されていることで保っている良い部分もある訳で、それがなくなったとき果たして日本人はうまくやっていけるのかな、とも思う。毎年の成人式の馬鹿騒ぎするニュースのように、タガを外そうとして外してしまうと、日本人は本当にみっともないことをする一面を持っているからだ。社会として、制度として、システムとして枠を決めてある中での振舞いしか経験がない為に、それをなくして「自由にやっていい」と言われても滅茶苦茶にやってしまいかねない。そういう意味では、社会の枠自体に少なからずストレスを感じ続けている反発があるのだろう。これから日本はどちらの方向に進むのだろうか。社会的な規制がなくなり、アメリカのように個人の自由意志で生きていかなければならない時代がやってくるのかもしれない。どちらが良いのかは、ボクもよく分からない。

 トラベラーであるボクにアメリカの実際は見えていないのかもしれないが、長くいるとそれなりに感じる部分がある。ボク自身はこれからどうしたいのだ?どこに向かっている道の路上にいるのだろう。アメリカで暮らしたいかと問われると、あまりに日本人であるボクには難しいかもなぁと思わないではない。では、日本に戻ってからの生活はどうかと考えてみると、それもまたそうとう窮屈に感じてしまうであろう。一体何が自分の理想なのかちょっと迷ってしまったかのようだ。

 でも結局はトラベラーのままなのかもしれない。何処も自分の拠点を持たず、と言うよりも、自分自身が拠点となり、壁のこちらへ向こうへと移動し続けるしかないのかもしれない。愛する祖国、My Home Townというものを持てないというのはボクの宿命だと受け入れるしかない。一方で、色々な場所にHome Townを作っていっているように感じるときもある。色々な場所に家族や親族がいるように感じることもある。孤独とは言えない。トラベルし続け、その先々にHome Townを見つけていく。帰る場所はないが、それが自分にとって一番ぴったりする生き方なのだとしたらそれで良しとするしかないのだ、実際のとこ。

 ツアーも残り10日連日のショウを走り切って終了である。
# by dn_nd | 2010-11-26 17:18

すべては個人のゲーム。(ZOOBOMBS American Tour2010 #23)
 今の日本がそうであるように、国が経済的に豊かになると、それに伴って国民の意識は外の国に向かなくなっていくであろう。国の中で色々なことが実現できるというのに、どうして難しい外国語を習得し、生活様式も考え方も違う外の国へ出向く必要があるのか。自分のフィールドで満足できているのならば、無理に努力するよりは楽にできる現状を維持していたいと思うのは至極当然のことだと思う。学生はより高い知識の吸収を外に求めずとも、ほどほどのラインで就職し、楽しくやっていける自分の生活ペースができればいいのであり、働くようになってからは、その環境の中でいかに楽しくやっていけるか、ということになろう。世界がグローバル化しようが、自分の生活の質が保たれているのであれば、それ以上の関心など持てなくて当たり前だと思う。これは皮肉でもなんでもない。結局は比較の問題であって、どうも海の向こうの方がより良い、楽しいものがあるように見えるなぁ、と考え我慢できなくなる人間だけが勇気を振り絞って飛び出すことになるのであって、良し悪しでは語れないものだ。

 見た感じ、アメリカ人もかなりドメスティックな内向きなように思える。実際アメリカ人は自ら赴かなくとも、優秀な人材や物質は向こうからやってくるし、わざわざ面倒くさい努力をして海外を目指す必要はなく、来るものを彼らの尺度で受け入れさえすれば良いのである。それもまた物の良し悪しや本当の価値といったものではなく、あくまで彼らの価値感の中での話であり、万事彼ら次第なのである。世界がそうなってしまって良いのか、とボクも思うけれど、当の国にいてそれをアメリカ人相手に議論を吹っかけても仕様がないように感じる。

 結局は個人の経験に関わる問題で、あくまで個人として生きている間にどれだけ成長したか、達成したかという尺度で考えるならば、国自体の環境や状況はあくまで個人のもち札のようなもので、そのカードを使ってどのようなゲームをするのかが大事なことのように思う。

 日本の若者は内向き志向が強く、チャレンジ精神に欠けると言われる。確かに日本にいるときはそういう傾向が強いなと思っていたのだが、こちらに来てけっこう沢山の海外チャレンジしている日本人達に会うと、それは一面であって、マスコミが「与えよう」としているイメージに過ぎなかったのかもなとも思う。(すべてを一括りにして、どちらかというとネガティブなスパイスを効かせて報道するのは日本のマスコミの嫌な癖である。)そのような若者はアメリカで暮らし、困難を乗り越えてたくましく暮らしている。特に女性が元気である。やはり色々な慣習やマインドセットから男子は逃れられず、プレッシャーに負けて帰ってしまうという。むむ。日本男子よ・・・。

 昨晩のN.Y.C.で共演してくれたThe Hard NipsもBrooklyn在住の日本女子4人組であった。彼女らの演奏を見ていると、とてものびのびしててナチュラルで良いと思う。(ボクはもっと沢山のことを背負ってやってしまう。これはもう逃れられない性癖である。)色々と教えてもらうことが多かったのと同時に、さてボクの目的は一体何なのだろうと、ちょっと考え込んでしまった部分もある。

 アメリカのツアーが始まって3週間が過ぎ、自分達のペースもできたし、こちらの空気にも慣れてきた。おそらく身体のすべての細胞も新陳代謝によって、すべてこちらで口にした食べ物から組成されたものへと変化しているであろう。明日はツアー最後の休日で、残り10日間はノンストップでゴールインするのである。まだまだその間に考えることもあるであろう。N.Y.C.でボクはちょっと疲れてしまったのだ。
# by dn_nd | 2010-11-25 22:06
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