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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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立ち上がって世界を見る。
Velvet Sunという荻窪にあるクラブのブッキングをやっている森くんと打ち合わせしていた時に出た話。特にFree Jazzをやっているミュージシャンによくみられる事らしいのだけど、曰く「自分達のやっている事が難解(=高尚)過ぎて日本人には分からない。だから演奏やってもお客に受けなくて当然なのだ。むしろ、それこそが(自分が)凄い証拠だ。」もちろん、こういう物言いは誰の目にも明らかなように、非常に幼稚で偏った、ひがみっぽいものである。それに対して、ある人はこういうだろう。「それは本人の努力不足であって、ミュージシャンであるならば、どうあってもそこにいるオーディエンスを楽しませることができないと、本物とは言えない。」確かにそれは一見筋の通った意見だし、音楽が言語も文化も超えた普遍性を持つという原理から考えると正しいようにも思えるが、実際はこれもまた乱暴な意見だと思う。言い換えれば、価値観も性格も異なる職場であれ、自分を殺して頑張れと言っているようなものだからだ。

 音楽というものは言語も文化も超える。とは言え、決して普遍性を持つものではなく、例えそれが良いものであっても、全ての人に良く感じてもらえるとは限らない。(日本人の趣味嗜好や態度というのは決してオープンではない)やはりあくまで音楽というのは個人の中から生まれるものである以上、全てを共有するのは難しい筈である。しかしそれが誰にも支持されないのであれば、勿論、ステージの上でお客を前にしてやる理由はない。しかし、お客に受けを狙って演奏するほどの才気も器用さもなければ、やりたくもない。ならば、どうか。

 ここで最初の発言のように自己防衛に走って殻の中に閉じこもってしまうのであれば、そこまでである。それ以上何も発展しないし、本人の才能も発揮されないままつまらない人生を送る羽目になってしまうであろう。それは愚かだ。もしかすると彼の音楽をチェコスロヴァキアの人は受け入れるかもしれない。イスラエルの人はどうであろう。何も日本人が日本人に受けないからと言って、それが彼の能力を否定するものではない。自分が信じるものであれば、必ずそれを分かってくれる人間もいる筈だという信念を持って、世界へ突き進んで良い時代であり、我々は世界へ出て行くのに何の規制もない国に生まれている。幸運なことに。

 あとは自分の問題である。自分の人生を「やり切った・バットを振り切った」ものに出来るか、自己憐憫に満ちたしかし不平不満を抱えたもののままにするのか。何が自分はやりたいのか、その為に自分は最大限の努力・犠牲を払えるのか。立ち上がって、世界を見てみよう。
by dn_nd | 2010-07-25 16:58
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