ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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若きウェルテル達。
 昨晩、夜も7時を過ぎてから、ライブを見に新宿まで出掛けた。10代のバンドを集めたイヴェントだったのだけど(挫・人間を見にいったのだ)、月曜の夜というのに子供達がギューギューとひしめき合っていて、軽く驚いてしまった。更にイヴェントが進むにつれ、何かこれまでとは違う、生の音楽に対する熱烈な希求が若い世代に生まれてきつつあるのを感じて、ちょっと嬉しく思った。ようやく日本のロックも若く新しい世代が席巻し始めるような気がする。それも、今迄よりもずっとリアルな手応えを持つ音楽が。これまでは、言うのも何だけど、あまりに下らなかった。若い世代がそういうものの影響ではなく、自分達が手探りで、自分にとってリアリティのある音楽を見つけようとしているのであれば、ある意味必要悪だったと言えなくもないが。

 ただ、気になる点がない訳ではなく、一つはその音楽性が、どうしても日本製のものになってしまっているという感じがする所である。もちろん、洋楽的なものを単に借りてきて日本語を乗せてそれで良しとするバンドに比べるとずっと良いとは言え、「これが日本の新しい世代のロックだよ」と世界に紹介するには、やはりまだまだタフさが必要だし、もっと世界を最初から視野にいれた音楽作りをやるが良いであろう。可能性は大いに開けているのだから。

 きちんとした大人が、上の世代が、方向付けをしてやらなければならない。甘い言葉で目先の儲けへと、間違った道へ引っ張って行くしょうもない大人が蔓延している。彼らには世界を見せてやったり、世界を開いて見せたりする事は出来ない。ただひたすら自分の信じているルールの中で「自分の」ゲームをやっているに過ぎない。それが「今」の無様な体を作っているのだ。(今迄しょうもないシーンしか作れて来なかった人間に将来が作れる訳ないじゃないか。)

 もはやボクは若いとは言えないので、同じシーンを共有することは出来ないだろう。ボクらはボクらの進む道があって、やらなければならない事がある。それでも、若い世代と断絶するのではない。やはり音楽というのは、すべてを超越したものだと信じている。フラットに付き合っていきたいと、ボクは思うんだけれど。
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by dn_nd | 2010-07-27 18:15
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