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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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「ペルシャ猫を誰も知らない」の勧め。
 いつも思うが、日本はとても恵まれた国である。しかし肝心の国の人間はそのことに気づかず、文句ばかり言っているように見える。ボクらはどこへ向かって行こうとしているのだろうか。もしくは、繁栄が人間の熱容量を落とさせてしまうのか。

 「ペルシャ猫を誰も知らない」は、イランという政治的規制の強い国で、どうにか国外に脱出してでもインディロックをやりたいという若者の奮闘記である。(ここではインディロックというのが一つの音楽ジャンルとして表現されている。これは正しい。)ドキュメンタリーではないが、キャストは本人達そのもので、主役のカップルは撮影終了後すぐに国外に脱出したのだという。

 何度も書いているように、インターネットの普及は世界の扉を大きく開いた。イランであれ中国であれ、若者達が自分の好きな音楽を見つけてしまえるのだ。レコーディングするにしても、これまでのように設備の整ったスタジオで技術を持った人がいないと出来ないというものでなく、自分達だけでも気軽に安価で出来るようになっている。もはやそれまでのような、言わば「写本の修道士」のような権威は意味を成さなくなっているのだ。そうして、新しい世代は古い世代とも共存し、多様性を保ったまま大きな自由にゆくゆくは向かっていく、それこそがグローバル化の意義であろう。そういう意味で、この映画は新しい世代に入ったが故に作られる事になった、「今」のインディミュージックシーンの一部を映し出している映画だと思う。ワールドミュージック的視点や単なる政治的関心から見えるのは表面的な一部分に過ぎない。(そこしか見えないということは、もう思考が一世代前なのだ。)この映画は若者が見に行かなければならない。

 そこで冒頭の嘆声に戻るのだが、明らかに映画に写されているイランと比較して進んだグローバリズムや自由を獲得しているボクらは、彼らほどの情熱を行動力を頭を使う事をやっていないだろう。日本はTime紙に「10年後のヨーロッパの姿」とすら書かれているのである。(主に経済についての記事だったが。)グローバリズムが進めた先がこのような人間力の低下を招くというサンプルに、決してなってはいけない。

 ボクらはやりたい事をバリバリとやっていいのだ。この恵まれた環境の中で、ただエネルギーのゲインをググッと上げさえすれば良い。これからの世界に「写本の修道士」はいらない。世界に必要なのは、まったく違う能力を持った人間達だ。それは一言で言うと「意欲を持った人間」だと思う。古い考えに安住せず、変化を受け入れ、多様性の中で生きていける人間である。

 ボクはそうなろう。

 「ペルシャ猫を誰も知らない」公式サイト
http://persian-neko.com/
 
by dn_nd | 2010-08-13 08:30
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