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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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人格の中のネットワーク。
 よくある事だと思うが、人間は生きている中で何人かの自分を使い分けている。仕事場での自分、家庭での自分、趣味仲間の中での自分、そして誰も知らない一人での自分。それぞれの「自分」は意識的に別々のものとされ、仕事場で感じたり考えたりした事は、家庭や仲間との会合には持ち込まないようにしている人が多いのではないか。

 もちろん、無意識の領域では人間はいくら上手に使い分けていたとしてもあくまで同じ人間なので、すべての「自分」は無意識下のネットワークで繋がっていて、仕事上のトラブルを抱えている時に家族に怒りっぽくなってしまったり、趣味のバンドでの演奏に力が入らなかったりするだろう。

 更に、それぞれの時間配分に関して、どれかひとつの自分がメインで忙しくしている時には、他の自分のその周辺や、やっている事が疎かになってしまうので、全部を満足いくように取り組める時間が足りないと感じている人も多いのではないか。

 ボクは、仕事であれ家庭であれバンド(サッカーでも良いのだけど)であれ、「自分」のやっている事はひとつなのだと意識出来るかどうかがこれから生きていく上での鍵になっていくと感じている。もちろんシチュエーションは別々だし、表面上はやっている事はまるで違う事なのだけど、それぞれが別々のままでネットワークが繋がっていれば、総体としての「自分」は揺らぐ事なくひとつ~個人としてしっかり立っていけるのではないか。

 人は一日の間に、一体どれだけの事を感じ、考えるのだろうか。その中には玉石混合であろうが、素晴らしいアイデアもあるに違いない。初めから「これとこれとは関係がない」という考えでいては、せっかくの「自分」の営みが全体の中で相互関係を見出せぬまま役に立たないものになってしまうし、そのままでは沢山の人格を別々に抱えたままで、自分がどういう人間か自覚出来ないで終わってしまうかもしれない。「自分」というのは、あくまで総体である。

 いっそ、それぞれの場所に於いて出す顔(ペルソナ)を同じにするようにトライしては如何か。ボクはその方が結果として自分が他者に明確に理解してもらえるように思えるし、自分も楽ではないかと思う。世界がフルスピードで動いている時代に、「自分」を使い分けている時間なんてないのである。いずれにしても、自分という人格の中のネットワークを遮断してしまっているのは勿体無い事だし(損である)、今はやはり、それらすべてを生かす事によって、より豊かな、よりしっかりした個人が立ち上がるのだと思う。世界のカオスの成り立ちも、個人のカオスの成り立ちも、マクロであろうがミクロであろうが、同じなのである。
by dn_nd | 2010-08-17 07:53
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