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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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現代は現代でしかない。
 生まれてからの経験が個人の「感動」の様々を感じるファイルを作っている。その為、現代に生きるボクらと、違う時代に生きる人間の趣味嗜好が違っているのは至極当然である。その場合に、環境や社会情勢からではなく、遺伝子的に保ち続ける、ある種の「あらかじめプリセットされた感動ファイル」というものが、どれくらい影響を与えるのか、或いは本当に存在しているのだろうか、と思う。「縄文時代の生活様式や、土器のデザインを見ると、日本人にもこれほど熱くモーレツなパワーがあったのかと感じる」というアーティストもいて、それは賛同したいのは山々なのだけれど、いかんせん繋がりが遠すぎて、実際の自分の感覚から考えてみると、励まし以上のものではないようにも思う。

 パワーは著しく落ちてはいるが、やはり現代は現代でしかない。頭では分かったように感じても、実際に魂の奥から引っ張ってこれるエネルギーがどのような性質で、どれくらい強いものかは、自分が一番知っている筈である。(そして、それは上手く引っ張り出すことが出来れば、ものすごく強いものではあるのだけれど、場合によっては現代人の身体の方はそれに耐えるには弱くなってしまっているかもしれないと思う。)そして、そのエネルギーを提示出来るか出来ないかで価値は決まる。様式や時代を超えたアートの本質はそこにあるのではないか。そこに誰もが人間という存在の可能性の大きさや、微笑まざるを得ない面白さを「再」発見する。(実はそれはすでに持っているものなのだが。)

 それにしてもここ10年ほどの音楽の好まれ方も随分変わった。いつの間にかに、エレクトリック期のMiles Davisの音楽は、カフェでかかってもクールと感じる人が増えたことだろう。100年前のブラームスを聴いていた人々に、「100年もたたないうちに、このような音楽が好んで聴かれるようになりますよ。」などと言ってThe Whoを聴かせても誰も信じなかったに違いない。また、The Whoこそが一番激しい「今」の音楽だと思い込んでいた60年代の若者はその50年後にAids Wolfのような音楽が何千枚も売れるなどと想像も出来ないであろう。(江戸時代の日本人に150年後には日本人はこのような音楽をやってますよとズボンズを聴かせてはどうか)

 つまり、この時代を突っ走って行くしかないのである。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言うが、結局自分の頭で分かったように思っても魂はそう言う事を聞いてはくれない。魂だけが歴史を知っている。そして、現代からの影響をも取り込み、常に新しいエネルギーを紡ぎ出してくれるのである。そういう根源的な意味に於いては、縄文人も現代人も同じようなものだと言える、か。
by dn_nd | 2010-10-19 06:22
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