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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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トラベリング・マン。(ZOOBOMBS American Tour2010 #24)
 朝、まだみんなが寝静まっている中でボクはこっそりと部屋を出て、近くのマクドナルドへ行った。大抵、Motelというものはフリーウェイの出口そばにあるので、ブブーッと大きな音をたててトラックが通過するうんざりするような殺風景な景色が広がっているのみである。街までとても歩いて行けるような距離ではなく、もちろん周りに小洒落たカフェやベーカリーなんてものはない。あるのは大きな看板を掲げたステーキハウスやDenny'sやマクドナルド、タコベル、ウェンディーズ、ダンキンドーナッツのようなドライブスルーできるファーストフード店だけである。(スターバックスも滅多にない。)周辺に民家があるようにも見えないが、マクドナルドは朝からそれなりに地元の人々が集まっている。そのほとんどが年金暮らしと思われる老人である。おそらく彼らは毎朝日課のようにマクドナルドに集い、ブレックファーストを食べながら親交を温めているのだろう。もしかすると時間を潰しているだけかもしれない。(時々そんなに食べて大丈夫なの?と思うような量の「マックブレックファースト」を広げている人がいる。確かに、身体の大きさも半端ではない。ボクなんか4人分+more くらい入ってしまいそうである。)

 「ヘイ、デュード!昨日のサンクスギビングデーはどうだった?あぁ?オレはもうパンプキンパイを2切れも食べてな、充分楽しんだよ。あぁ、用意してあったんだ。でもな、何が欲しいと言ってもキャッシュだよ。なんたって、キャッシュ以上のものはないんだ。とにかくキャッシュが一番大事で、今すぐ必要なんだよ、そうだろう?」隣のテーブルの爺さん4人組の会話の一端である。白人の年齢を顔から判断できないが、もちろん年金暮らししているような爺さんである。よれよれのスウェット上下にジャケットを羽織っている。食べているのはマックパンケーキにハッシュポテトにコーヒー。アメリカのマックでよく見る光景である。(ソフトクリームを食べている老人も、けっこういる。)中学生高校生大学生と若者がひしめき合い、ざわざわと騒がしい日本のマクドナルドと違って、アメリカは明らかに低所得者だけが集まっている。そこにはプラダのバッグもiPadもない。(時にBGMもない。)「うらぶれた」という表現がぴったりの人々である。

 マクドナルドで見れる光景でなくとも、アメリカはかなり貧富の差がはっきりしていて、日本のように明らかにホームレスのような身なりをしている人(あれはあれで一つのステートメントだ)以外は大体それなりに身ぎれいにしているというようなことはない。アメリカでは「うらぶれた」人々はうらぶれていることを隠すことはしない。トマス・ピンチョンの小説で出てきた何といったか忘れたが「ゾンビ人間」のようにデローンとしている人もよく見る。若くとも、年を取っていても、平気で小汚い格好のままでいるし、態度だって悪い。それだけ社会の中で自分を取り繕うことをしなくてすむからストレスも少ないと言えるのかもしれないが、ボクにしてみればちょっと取り繕ってでも身ぎれいにしている日本人の方が好ましく思える。(まぁ最近はそうしない人もちょくちょく見るようになってきた。そんなところまでアメリカの影響を受けることはないのだが。)しかしそれは個人の美意識の問題であって、社会の見えない圧力で「そうしていなければならない」と思わされるところが日本の難しいところであろう。社会や人々の許容量に関して言えば、明らかにアメリカは寛大である。

 しかし一方で、社会や世間によって規制されていることで保っている良い部分もある訳で、それがなくなったとき果たして日本人はうまくやっていけるのかな、とも思う。毎年の成人式の馬鹿騒ぎするニュースのように、タガを外そうとして外してしまうと、日本人は本当にみっともないことをする一面を持っているからだ。社会として、制度として、システムとして枠を決めてある中での振舞いしか経験がない為に、それをなくして「自由にやっていい」と言われても滅茶苦茶にやってしまいかねない。そういう意味では、社会の枠自体に少なからずストレスを感じ続けている反発があるのだろう。これから日本はどちらの方向に進むのだろうか。社会的な規制がなくなり、アメリカのように個人の自由意志で生きていかなければならない時代がやってくるのかもしれない。どちらが良いのかは、ボクもよく分からない。

 トラベラーであるボクにアメリカの実際は見えていないのかもしれないが、長くいるとそれなりに感じる部分がある。ボク自身はこれからどうしたいのだ?どこに向かっている道の路上にいるのだろう。アメリカで暮らしたいかと問われると、あまりに日本人であるボクには難しいかもなぁと思わないではない。では、日本に戻ってからの生活はどうかと考えてみると、それもまたそうとう窮屈に感じてしまうであろう。一体何が自分の理想なのかちょっと迷ってしまったかのようだ。

 でも結局はトラベラーのままなのかもしれない。何処も自分の拠点を持たず、と言うよりも、自分自身が拠点となり、壁のこちらへ向こうへと移動し続けるしかないのかもしれない。愛する祖国、My Home Townというものを持てないというのはボクの宿命だと受け入れるしかない。一方で、色々な場所にHome Townを作っていっているように感じるときもある。色々な場所に家族や親族がいるように感じることもある。孤独とは言えない。トラベルし続け、その先々にHome Townを見つけていく。帰る場所はないが、それが自分にとって一番ぴったりする生き方なのだとしたらそれで良しとするしかないのだ、実際のとこ。

 ツアーも残り10日連日のショウを走り切って終了である。
by dn_nd | 2010-11-26 17:18
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