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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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海に飛び込む。
 今さら書くことでもないが、Youtubeはすごく便利である。ボクは映像よりも、専ら音源を聴くために使うことが多い。Mattaさんは、海外のミュージシャン仲間がUPしているものをフックとして、ボクはそれを参考にしつつなんとなく日常的に引っかかっているものを検索し、更にその先へと掘り下がっていく。そこは新しいもの古いものという時系列はなく、偶然性に満ちており、Mattaさんに言わせると、「ちょうど昔ラジオでエアチェックしていた時と同じような感じ。」なのだそうだ。なるほど、そうかもしれない。iphoneなどを使っていると、街中でも次々と好きな音源、聴いたことがない音源をpickしながら行動できる。そんなに手間ではない(ただ1~2回クリックするだけである)。自分がDJでありながら、自分の知らない、聴きたいと思っている音源をかけているようなものか。

 違いと言えば、それは「自分の意思」でなされなければならないという部分である。インターネットの世界は巨大で、音楽に限らず情報というものに関して言えば、ほとんどすべてがあると言ってもさしつかえないだろう。しかしそれらは、こちらが積極的な働きかけをしなことには浮かび上がってこない。「自分の意思」を持っていないと、アッという間に大量のデータの海に飲み込まれてしまう。実際そこは海である。広く深く、中にどんなものが存在しているのか、どんな危険があるのか分かり得ないのである。飛び込み、自分の意思で戻って来なければならない。しかし海に飛び込むことで得るものは多い。もちろん、飛び込まずにいて、誰かが取ってくる獲物だけで満足することも可能だが、労して自分で獲得したものこそ価値が高いのは、言うまでも無いであろう。

 帰ってきて、日本はインターネットのアクセスに関して、結構遅れているんだなと思う。アメリカのようにどこにいても、かろうじてネットだけは繋ぐことが出来るという状況ではないみたいである。この遅れは、いまだにそれほど沢山の人が切実にネットアクセスを望んでいないことの現れだろう。(携帯が繋がれば充分なのだ)これは、そもそも受動的態度を強いられ、慣らされてきた日本人の性質と無関係ではないと思う。インターネット世界は、あくまで能動的な必要がある。海に潜る人間だけが何かを掴み得る世界なのである。

 グローバルな世界はひとつの大きな海を共有している。そこには日本で良く言われているような「貧富による教育の格差」はないように思われる。すでにすべての分野の最高の学府があり、あとはそれを「自分が」どう学んでいくかである。人間の生き方を規するのは、その人自身である。学ぶことは棚からぼた餅が落ちてくるのを待っているように、誰かに授けられるものではない。自ら貪欲に獲得していくものである。そうしてグローバルな世界を理解していれば、それはどこにいても習得可能ではないか。あとは実際に身体で経験することで、それは確固とした質量を持って、自分の人間に備わっていくであろう。それは自分自身の肉ともなり、自分を守ってくれる鎧ともなろう。

 問題はそのような姿勢を持っているかどうかだ。そうして、その姿勢を伝えることであろうと思っている。何を言われても、何度でも海に飛び込んで何かを掴むことである。飛び込む自由を、飛び込む楽しさを喜びを満喫することである。
by dn_nd | 2010-12-25 09:11
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