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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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考える身体。
 頭で分かった・分かることだけがすべてだと思い込まないようにしなければと思う。日本の学校教育の悪影響かとも思うが、どうもボクらは、例えば音楽なんかにしても、頭で分かる部分にのみ強く意味を持たせてしまう傾向がある。どうも感受性の強い10代の頃に「この作者の言いたいことは何か?」という不毛な問いに答え続ける努力をし続けたせいで、反射的に対象の「言いたいこと」「伝えたいこと」を考えるようになってしまった、のか?主張やメッセージ性の強い歌詞や、寂しさ・「今の」自分を表して「くれているような」歌にシンパシーを覚えるのはそのせいかと思う。

 しかし、そこで「感じる」ことを止めてしまってはその先まで行けない。ボクは意味や主張を知らない(もしくは理解できない・あてなまらないetc...)にもかかわらず、心にズシンとくる音楽があるのを知っている。Smokey Robinsonの"You've really got a hold on me"の身体に沁みてくる感じを、その歌詞からのみ説明することは不可能である。というよりも、いかなる言語活動をフル稼働させたところで、「それ」が「来て」いることを説明し尽くすのは、ものすごい時間を要するに違いない。(自分個人の歴史的背景、音楽専門的解析、その日の気分etc...)例えばSmokeyが「百合ヶ浜放るトンビ」ともし同じようにあの調子で歌っていてもせまって「来る」ものはちゃんと「来る」ようにも思う。(ちょっと無理やりだけれど。)実際それは頭を通してではく、心を通してやって来る。そもそも頭だけで納得できても、「なんかどっか違うんだよな、うまく説明できないけど」、と思う。きっとそれは身体の方が考えているのである。

 脳だけではなく、身体その細胞の集合体それ自体、というか、その個々の細胞それぞれが「思考」する。現に身体に「今日の調子はどうか?」とか「これに関してどう思うか?」と尋ねたり対話したりするのはみんなやっていることであろう。一般的に脳だけが中央集権的にすべての「思考」と「決定」をするように思われているけれど、勿論本当は身体全体がそれぞれの思考する主体であり、それを自覚していると脳の負担はずいぶん少なくなるようにも感じる。(身体が記憶システムとしていかに優れているかは、とっさにある行動に出ることが出来ることで、誰しも納得するであろう。)むしろ、頭で理解出来ることだけが全てだと思うことは、おこがましいことである。その意味で、身体を大事にすることは、実に必要なことであります。どうにかもっているから大丈夫、と考えているのは脳の方か、身体の方か。
by dn_nd | 2011-01-29 09:47
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