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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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オペラの嗜み・・・から脱線。
 たまたま、ここのところドイツに接触している。とは言っても、ワーグナーのオペラを聴き、フルトヴェングラーの評論集を読んでいるくらいである。「オペラを聴く」と言うのは、他の音楽リスニング作法(?)とは大きく違うものだ。ガーシュウィンの"ポーギーとべス"のように英語で歌われ、Jazz的なリズムが加えられているものならまだしも(あれはオペラとは言わないのかも知れない)、ドイツ語でドバーッと延々に続けられるワーグナーのオペラはヘッドフォンを耳に押さえつけるようにして解説書を頼りに聴き続けなければ、BGMとも言えないただの通り過ぎる音楽のようになってしまう。そもそもクラシックを聴くにも、3分間のポップスに耳を馴らしてしまったボクなどには、まったく違う時間感覚を養う必要があった。勿論、クラシックを音響音楽としても聴くことが出来るし、リズムに激しくノって、それまでの"ポップス耳/感"で聴きとおすことも出来るのだけど、クラシック音楽の内包するスケールや時間感覚は、もっと別なものであろう。歌詞もなく、場合によっては題名すらない4楽章50分を超える交響曲に、どうシンクロしていくのか。そんな悠長な時間などないという人もあろうが、ボクの場合はどちらかと言えば、その長時間、フックのない(いや、本当はあるのですが)音楽に集中し続ける力がなかったのだ。しかし、トライしてみるもので、ここのところは随分楽しんで聴けるようになってきたようである。(まだ薀蓄を傾けれるようなレベルではないですが)

 オペラは、しかし、交響曲よりも更に上の集中力が必要とされる。なにしろ全3幕、CDにして4枚組みである。(ところがこのワーグナーは4部作のオペラの内の1作に過ぎないことが解説で判明した)さすがに1日で全部を聴きとおすことが出来ず、5日間ほどかかって漸く聴き終えることが出来た。意外にもとても面白いものだった。オペラというものはTVも映画もない当時の人々にとっての大きな娯楽だったに違いないが、これを素朴に楽しめていた時代の人間というものに、憧憬を感じない訳にはいかない。ボクらは想像力でその埋め合わせをするしかないのだけれど、その頃の人間と現代の人間の感覚の違いはどういったものか。しかし、それはたかだか100年程前にしか過ぎなくて、その間に起こった「発展」がどれだけボクらに快適さと生き良さをもたらし、一方で不安や孤独をもたらしたのか。

 世界は最早ここから更に「増えていくことで発展」する展望は持てないであろう。ボクらはピークを過ぎた人類がこの先どう「より良いスケールダウン」を達成出来るかという、人類史上初めての場面に遭遇している。階級に関係なく殆どの人間が「歴史というものが存在する」という認識を持っていながらそれに挑むという意味でも初めてのことだろう。我々は「今」歴史が作られつつあるのを知りながら歴史という時間を過ごしている。そして、ボクらが何かから学ぶことが出来るとすれば、やはりそれは歴史からでしかないであろう。大きな時間の流れというものの認識が必要なのだと思う。

 ・・・・・と、書いたところで、また大きく脱線してしまっていることに気付きました。なんでこうなるのか。(ドイツとはまったく関係がない)続きはまた明日にしますです。
by dn_nd | 2011-05-21 06:14
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