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ズボンズのリーダー,ドン・マツオの思考あれこれ。
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「保守」か「自然」か。
 山口防府の印度洋やパンの双葉屋のようなお店は地元のそこを愛する人達にとってはかけがえのないものであろうし、そういうお店があれば、その存続に協力する形で、他での無駄遣いを無くして、それらの店に立ち寄りたい。一杯だけお酒を飲むでも、一つ二つパンを買うでも良い。他の実はどうでも良いところでお金を落とすくらいならば、「ずっといて欲しいなぁ」と思う店にお金を使うべきであろう。(なにしろ実際は本当にどうでも良いところに、大した理由もなくお金を使っているものである。コンビニでパンやら食べ物やら買ってみたり、ファミリーレストランに行ってみたり。)

 そのような「ささやかだけど自分の愛するもの」というものの不在は、無くなってみないと分からないことだけれど、自分が自分でいることにとっては実に大きな損失なのである。何かと理由をつけて「競争力が足りなかったのだ」とか「変化が必要だ」とか「経営努力をしてなかった」とか分かったような「現代的」な解釈をしようとするが、それらはすべて単なる経済の話であって、お金を大きくグルグル回そうとしている社会(という謎の存在)に惑わされているようである。

 昨晩も「クオリティの高いフレンチを、こんな値段で」というようなお店の経営を誉めそやす番組をTVでやっていて、実に結構なことだとは思ったのだけれど、やはりそれがどうしても必要なものとは思えない。そのような店に行って「やぁ、おいしい」とフランス料理(立ち食いなのだ)を食べてみたくもあるが、しかしやはり大した満足感は得れないのではないか。(同じ経営者が「それまで日陰のような存在であった古本屋を誰でも便利に分かり易く使えるようにした」というBook Off。こちらに関しては、どちらかといえば害があるようにも思う。特に店内のBGMやら店員の奇妙な従順さに。)満足感、というのは経済の問題ではなく、魂の問題であって、心が喜ぶことである。それをなんとか上手いことお金の問題に摩り替えようとしている。テレビは怖いですねぇ。

 ともあれ、ともかく、「変化が必要」とかいちいち競争に持ち込まれることに防御線を張っておかなければならない。「以前よりももっと良いものを」というのは、クリエイティブな人間にとっては当たり前のことであって、髪型を変えたり新しいメニューを無理やり加えたりという目新しさを演出することとは大分違う。どうも日本という国は、高度成長期の、いやもしかすると文明開化以降の時代の「どんどん変わっていくことが当たり前で、それが善」という価値観に、未だに囚われ過ぎているように見える。その部分はその部分で進行させておけば良かろう。刺激があるのだって、とても良いことである。しかし、それを社会的普遍性として語るのは馬鹿げている。

 変わり続ける、目新しくあり続けることに労力やお金を注ぎ込むよりも、より自分の愛するものに、深めてくれるような物・事にエネルギーを注ぎ込みたい。それは全然保守的な行動ではない。ただ人間として自然なだけである。保守と自然は、大分違う。自然とはもっと伸びやかで、手に負えないほど自由なもののことである。むしろ「高度成長」のような20世紀のイデオロギーに囚われている人達の頭や押し付けの方が保守的であって、古いもののように感じる。自然でいるのは、常に新しい。それは、自分という人間が、常に新しい存在であるからで、お店のメニューや内装や、ファッションや髪型が、新しいからではないのである。
by dn_nd | 2012-07-25 07:56
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