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ジョン・アーヴィングの「オウエンのために祈りを」の中にこういう一説がある。
”六八年の夏を境に、ごく平凡な社会のなかで残忍なことがつぎつぎに起こるのが珍しくなくなり、そのために人びとは悩まされるようになった。” アメリカの、時代はヴェトナム戦争そしてJFK暗殺など、暴力が始めてTVという装置を通して家庭内に直接届けられ始めたころである。もちろん、現在に至っては暴力だけでなく、あらゆるサイコな事例、精神疾患、政治家や資本家たちの不正・不正直etc,etc、がほとんど一日中流されっぱなしである(グルメやレジャーも同じく)。間違いなく人は、その目の当たりにした場面に影響を受ける。(もしくは何らかの示唆を)結果、同じような形であったり、または違う形をとって、暴力や不正を行動することになる。さて、それら人間の悪の本性というわれる部分は、はたして元々持っていたものがTVなどメディアによってこじ開けられて表面に浮かび出てきたものなのか、それとも、元々は無かったものだが「そうしてもいいのだ」という許しを自分に与えてしまった結果なのだろうか。 六八年から45年が過ぎようとしている。もはやボクらはTVのない世界に戻ることは出来ない。だからといって、それに操られることのないようには出来る。それは自分の頭で考えることである。世界というものは、ものすごく多面的に作られている。TVやメディアが流すのはそのほんの一面に過ぎない、と理解すること。その他の面を補うために「自分」の想像力を駆使すること。そのためにはまず自分という人間の多面性を理解しなければならない。自分がこれだけ多面的で、矛盾を多く抱え、はっきりしない不確かな感情で動いている生物であることを、認識すること。 誰もが等しくややこしい存在であることに気付いた上で、より良く生きていくように心がけていくことで、人間の明るい未来はやってくるのではないかと期待したい。一度明けられたパンドラの箱を閉めてしまうのではなく、全部さらした上での将来向かえる選択をしなければならないであろう、いずれにしても。誰だって悪い将来なんて望んだりしない、とボクは信じたい。
by dn_nd
| 2012-07-27 08:10
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